旅  行




 スイス山中で聞く「堅忍不抜」

2015.09.06  3組 佐々木 洋

 スイスへの“みそぎ”の旅

 若かりし頃から家族を顧みぬ行いばかりしてきたことが祟って、なにかと“みそぎ”をしなくてはならない機会が増えてきました。この度、出かけたスイス旅行(8/17-24)も、“罪滅ぼしのためのカミさん孝行”を目的とするものでした。私自身は、8年前のちょうど同じ時期に11期同期の水口幸治、山本哲照、中澤秀夫とのMYNS旅烏カルテットで「ヨーロッパ三感トリップ」http://h-sasaki.net/EuropeTrip.htmをした時にスイスに行ったことがあるので魅力度はイマイチだったのですが、カミさんの“憧れのスイス”選択を優先して、同名のパッケージツアーに、ヘソクリはたいて申しこんだのでした。


 “分かっていなかった”スイスの数々
 しかしスイス入りしてからすぐに、同じMYNS旅烏カルテットで2001年に出かけた「還暦記念カナダ・アメリカ西部ドライブ旅行」の旅行記(http://h-sasaki.net/CanadaAmericaDrive3.htm)でとることを戒めていた「ここで有名なのは何と何。何と何を見たからもうここは“分かった”」とする態度を自分自身がとっていたことに気づきました。実際に前回は見ることができなかった逆さマッターホルン(下写真上)や逆さモンブラン(下写真中央)を見ることができましたし、前回は煙ならぬ霧で巻いて視界を閉ざし邪険にしていた乙女(ユングフラウ)も優しく私たち夫婦を出迎えてくれました

マッターホルン
モンブラン
ユングフラウ

 サンモリッツが“都市”だったとは!
 前回はフランスからTGV(Train a Grande Vitesse : 高速列車)でジュネーブからスイス入りしたので、空路でスイス入りしたのも初めて。飛行機接着棟と手荷物受取ターンテーブルのある建屋との間を走るシャトル電車を擁するチューリッヒ空港がヨーロッパ5大空港の一つに数えられるということも、チューリッヒがスイス最大の都市だということも初めて知りました。そして、第一泊目のホテルのあるサンモリッツの地を踏んだのも今回が初めて。国際スキー大会が行われるところとしてその名前は知っており、てっきり小さな山間の“村”かと思っていたのですが、結構大きな規模の“都市”だったのでビックリしました。有名ブランド店が立ち並ぶ通りがあったり瀟洒な高層ホテルが随所に建てられたりしている上に「学校広場」なる通りもあるのですから、単に外国人来訪者のための観光都市ではなくて、スイス人のための生活拠点として根付いていることが分かります。

 “心眼”を駆使してパノラマ展望
 私たちはサンモリッツ湖畔で自由行動の一時を過ごしてからムオタス・ムラ―ユ展望台へのオプショナルツアーに加わりました。総勢31名のうち、アルプスの夕景を眺望しようとして行動をともにしたのは15-6人だったでしょうか。しかし、麓駅のプント・ムライユから急勾配のケーブルカーに乗って勢い込んで臨んだムオタス・ムラ―ユ展望台は深い霧に閉ざされて視界はゼロ。それでも、誰一人として不満や愚痴を口にすることなく、銘々、撮影されているパノラマ写真を頼りに“心眼”を駆使してアルプス・ビューを楽しんでいます。やがて、100年以上の歴史を誇る伝統の山岳ホテルでのデイナータイムの始まり始まり。二つの円形テーブルに分かれ、一方のテーブルの私たち夫婦の左手に座したのが松尾さんでした。

 思わぬ時に思わぬ場所で“堅忍不抜”
 簡単な自己紹介を交わすうちに松尾さんが秦野在住と分かったので、「私は小田原出身。私が通っていた高校には秦野から通学している人が結構いましたよ」と応ずると、「えっ、すると佐々木さんは娘が通っていた小田高の大先輩なんですか!」という松尾さんの少々頓狂な声が返ってきました。そして更に、「自分が言うのも変ですが、娘は頭が良かったので小田高に越境入学させたんですよ」と、今度は少々面映ゆい言葉が続きました。ついで、「それじゃ、松尾さんご自身も小田高キャンパスに行かれたことがあるのでは?」という問いに対する「勿論ありますよ。あそこで“堅忍不抜”と書かれているのを見て、やっぱりスゴイ学校だと思ったんですよ。」という答を聞いて、思わず「えっ、“堅忍不抜”までご存じだったんですか!」と上ずった声が口をついて出てしまいました。♪ここはお国を何百里離れて遠き♪スイスの山中で、まさか小田高校歌に詠われている“堅忍不抜”という言葉を聞こうとは!

 “堅忍不抜”が報われて
 折からの山容を覆い隠す深い霧によって心の中も曇りがちだったのですが、思わぬ時に思わぬ場所で“堅忍不抜”の言葉を聞いて嬉しくなってしまったのですが、ディナーを終えて展望台に戻った私たちには更に大きな喜びが待っていました。先刻は垂れこめていた雲が嘘のように晴れあがって虹がかかっており、下の写真のように、期待してきたここからのパノラマ展望が、片鱗をのぞかせてくれるようになっていたのです。これぞまさしく、不満や愚痴を口にすることなく、小田高校歌で詠われている♪望ゆたかに気は闊(ひろ)く♪、♪堅忍不抜の心♪を保ち続けていた私たち一同に対する神様からの贈り物だったのでしょう。一同は喜びの心に満たされながら帰路のケーブルカーに乗り込みました。なお、スイスは緯度が高いためか日没が遅く、午後の8時になっても下の写真のような明るさです。

 小田高はベルニナ・アルプスなのだ
 このあたりは、同じアルプスでも「ベルニナ・アルプス」と称される“辺鄙なアルプス”で、マッターホルン、ユングフラウやモンブランのような“スター選手”はいません。しかし、展望台自体の標高が2,453mあり、最高峰で標高4,049mのピッツ・ベルニナ(Piz Bernina)をはじめ、ピッツ・ズポ(Piz Zupo)などの標高3,000m級の“質実剛健”な山々が連なっているのを目の当たりに展望することができます。松尾さんが小田高キャンパスで見かけたというもう一つの「質実剛健」という言葉は、吉田松陰の甥で神奈川県第二中学校(小田高の前身)の初代校長となった吉田庫三さんが“質実剛健の校風”作りを目指されたことによるものだそうです。そうか、ベルニナ・アルプスと小田高は「質実剛健つながり」があったのだと、例によって例の如く勝手に判断し勝手に満足してパッケージ旅行の2日目の行程を終えました。