しもさんの趣味 -2-


郷愁の西部劇
2014.11.18
2組 下赤隆信


 榮兄のあとを受けて、思いつくままに。
 榮さんが書かれていた、「面白ブック」連載、小松崎 茂の「大平原児」、毎月雑誌が出るのを待ちかねて、何日も前からお店に通い、まだかまだかと店のおじさんを困らせた。おじさんは、「もう明日くらいに来るんじゃあないかね」などと、やさしく笑っていたものだ。

 「伊勢万」という、お茶やアイスキャンデーや本、文具などを商う店だった。
 「大平原児」は当時、絵物語といったジャンルで、登場人物の衣服や出てくる銃器などの描写が精緻をきわめ、子供心を大西部に誘う力があった。「トマホークのモーガン」などという謎の人物が、ここぞという場面で颯爽と登場したものだ。

 私がいまでも西部駅のDVDなどを買い込んで見ているのは、ひとえに若き時代への懐かしさからで、その証拠に新しく封切られる映画にはとんと興味がわかない。
 たとえそれが西部劇であっても同じことで、なんだか違うんだなあと思いつつ、見ないで過ごしてしまう。

 私たちが子供のころは、あまり楽しみのなかった時代だった。
と言うか、今の時代にない、別の素朴な楽しみはあったので、いまはそれがかえって貴重なものになっているようであるが…。

 小学生時代は、夏の夕方、学校の運動場で開かれる映画会が、何日も前から待っているような大きな楽しみだった。
 いろいろ見たなかで「エンタツ、アチャコ」や、「悲しき口笛」(美空ひばり、小林桂樹、信謹三)などを覚えている。
 竹ざおに布を渡したスクリーンはときどき風にはためき、近くでよく見ると、白い生地が調達出来なかったのか水玉模様だったりしたものだ。

 やがて、大人たちに映画館へ連れて行ってもらえる年齢になると、オリオン座や東宝劇場へ良くつれていってもらった。
 初めて洋画を見たのもこの頃で、その映画が西部劇だった。
 私は長い間それが「ウインチェスター銃73」という映画だったと信じていた。ラストに近く、切り立った岩場の上と下で銃を撃ち合うシーンがあり、上の男が撃たれて崖を転がり落ちてくるシーンが強烈に記憶にのこっていて、それが後年見た「ウインチェスター銃73」のラストシーンと重なったからである。
 しかし、さらに後になって、DVDというもので往年の名画を見ることが出来るようになって、細かいところまでつぶさに見てみるとどうも違うようにも思えてくる。
 昔見たものでは上の男は黒づくめの服装だったように記憶しているが、DVDのほうはチェックのシャツである。
 いまとなっては、はっきりとは分からないが、しかし自分では、生まれて初めて見た洋画は西部劇で、それも、あの名作「ウインチェスター銃73」であると思っている。

 玉石混交、映画ならなんでも手当たり次第に見たが、若い頃はやはり、戦争映画、ギャング映画、コスチューム劇などが面白く、なかでも西部劇はやはり一番だった。また、上映される本数も圧倒的に多かったように思える。
 しかし、西部劇ばっかりが面白かったわけではなくて、洋画、特にアメリカ映画を見て、その進んだ暮らしぶりには驚嘆した。
 「波も涙も温かい」という映画では、フランク・シナトラが旅行に出るシーンで、トランクに、新聞を四つ折りにしたくらいの大きさの何か白い平たいものを沢山放り込んでいて、これが何なのかずっと分からずにいたのだが、後年あれはクリーニングしたワイシャツだったんだと納得した。
 日本でもシャツをクリーニングに出すとそういうたたみ方で戻ってくるようになってからのことである。
 同じく、シナトラが髪を靴磨きに使うブラシのようなものでなでているのにもびっくりしたが、のちに日本でもヘアブラシが使われ始めた。
 「荒鷲の翼」という海軍航空隊のことを描いた映画で、ジョン・ウエイン扮する海軍軍人が冷蔵庫を開けて缶のようなものを出して、何かで穴を開けて直かに口をつけて飲み始めた。缶から直接ものを飲むということも奇異に感じたが、中味が何かということもおおいに気になった。
 後年、日本でも缶ビールというものが普及して、あれは缶ビールだったのだと気がついた。

 「パパはなんでも知っている」というテレビドラマがあったが、そこで見られるアメリカ家庭の進んだ暮らしぶりや文明の利器はドラマのあらすじ以上に興味津々だった。

 西部劇……。  はじめのうちは、“クイックドゥロー”・早射ちの決闘シーン、敵味方の銃の撃ち合いや騎馬の疾走など派手な場面が面白かったが、いやいまでもそれらが無いと物足りないことは物足りないのだが、しかし西部劇特有の味わいや決まりごとみたいなものがあり、それが西部劇を魅力あるものにしているように思えてくる。
 日本の時代劇でもやはりそうで、侍が刀を腰に差す仕草、席につくときに刀を鞘ごとすっと腰から抜き取る仕草、袴の侍が席につくときに袴の膝の後ろをちょっとたたいてから膝を折るといった仕草、またテレビの銭型平次で、平次が「出かけるぞ」と神棚の十手をとって帯に差すと、すかさず女房のお静が門口で切り火を切る、といったシーンなど、なんでもない細かいところに味わいがあった。
 最近の時代劇はあまりにも芸術づいてしまっていて、それが見られなくなっている。

 さて、西部劇のそういう真髄の部分。
 せりふがいい。
 酒場での撲りあいは西部劇によく出てくる。
 景気のいい音を立てて撲りあい、どっちかが倒れてもまた起き上がって撲りあう。
 この殴り合いの場面というのは、たいてい一編の見せ場なので、そう簡単にけりをつけてしまうわけにはいかないのだろう。立ち上がってはまた撲りあう。
 もういいかなという頃合いを見て、隅のほうから老人が出てくる。この老人はたいてい酒びんをぶらさげていて酔っ払っているのだが、立ち上がろうともがいている男に向って、「若いの、帽子を拾いな」なんて言う。その若いの、は顔をあげて周囲を見まわすと、壁際に避けて成り行きを見守っていた男たちは無言で、あんたの負けらしいぜ、と言っているようである。
 若いの、はよろよろと立ち上がると、「あの開いているドアから出て行くぜ」なんていうせりふを吐いて出て行く。酒場ではまたピアノが鳴りだし元の喧騒がよみがえる、という寸法である。
 次にこれも酒場でのシーン。
 スイングドアを開けて入ってきた男が、ウイスキーを注文してから、周りの男たちを見回して言う。「ウイルソンって男を捜 してる。青いシャツに黒い帽子だ。馬は白と茶のブチだ」。
 そういう大雑把な話でも、「その男なら二三日前に見かけたぜ。ツーソンに向うとか言ってたな」なんて言う人がいて、広大な荒野のなかにぽつんとぽつんと在る町、わずかばかりの人間がその町から町を渡り歩いていた、当時の様子が伺えるのである。

 水と馬。
 アメリカにはスプリングフィールドという地名が大小三百以上もあるそうである。不毛の大地に人が家畜が作物が根付き、そこが大きな町となるのに水がいかに大きな意味を持っていたかということであろう。
 「砂漠の流れもの」(ジェーソン・ロバーツ、ステラ・スティーブンス)では、主人公は偶然の出来事から水の湧き出るところを見つけ、そこに定住し、そこを奪いに来る数多の外敵と戦い死守してゆく。壮絶な殺し合いも描かれるのだが、やがてそこは町となってゆき、主人公の男は豪勢な晩年をおくるのである。その冒頭に「アメリカには、スプリングフィールドという町が300以上ある。これは、そのなかの一つのスプリングフィールドの物語である」という字幕が入る。
 ほかにも荒野をゆく旅人にとって、水は馬とともに命をつないで行く大切なものだということが、描かれているものが数多くある。
 キャンプで食事をした後、食器は水で洗わず、砂をかけて汚れを振り払うようなことをするだけである。
 どんな濁った水でも無いよりはましだ、汲んでおくという場面も多い。
 「死闘の丘」(Shotgun)。(スターリング・ヘイドン、イヴォンヌ・デ・カーロ)という映画では、自分の撃ち殺した男三人と馬一頭が浮いている沼の水を水筒に汲むシーンがある。
 主人公と連れの女が三人の追っ手に追われている。平坦でさえぎるもののないところなので、主人公は沼を盾にして、追っ手を迎え打つのだが、相手は拳銃、こちらはライフル、射程を測って仁王立ちになり、拳銃の射程に入る前に一人を討ち取り、さらに迫ってくる二人を、身を伏せながらライフルの早撃ちで目にも止まらず打ち倒す
 その後である。主人公はその死骸の浮いている沼の水を、馬の鞍につける大きな水筒に満たす。また、相手の馬のほうが疲労していないと見ると、自分たちの馬と、追っ手の馬を取り替えて、鞍を付け替えて出発してゆく。
 余談だが、この映画に出ていたイヴァンヌ・デ・カーロという女優さん、瞳の色が青いというより紫色に近く、大変エキゾチックな女性だったので注目していたが、のちに出世して、あの大作「十戒」のヒロインに抜擢されている。

 馬車を渡たす。
 開拓者の一行が、大きな河に行く手を阻まれ、馬車何台かを向こう岸に渡すシーンがあった。
 手分けして、傍らの森から大きな木を切りだし、枝を払い丸太を作る。それを、馬車の両側にロープで固定する。
 その間に、馬の達者な男が、細い紐を持って対岸にたどり着き、紐を手繰ると、紐はだんだんに太いものに繋がれていて、最後は太いロープになる。そのロープを対岸の大木に結わえてこちらの端を馬車にくくりつける。馬車が河に入ってゆくと丸太の浮力で浮き上がり川下に流されるが、ロープの力でだんだんと対岸へ引き寄せられ、川幅のぶんだけ川下になるが、無事対岸に着くという仕掛けで、さらに馬車には後ろにもロープが繋がれていて、次の馬車を渡すのに使われるのである。

 追っ手やインディアンに、気づかれずに食事の用意をする場面があった。(「襲われた幌馬車」、リッチャード・ウイドマーク、フェリシア・ファー)
 この映画のなかで、スカウト----騎兵隊や開拓者の一行などを先導する、土地や原住民事情に精通した男たちのことだが、そのスカウトが言う、「火は大きな木の下で焚くんだ。木が煙を消してくれる」

 モニュメントロック、正式には高くそびえるものと低くて台地状のものとで各々正式の呼び方があるようだが、まあ昔風にモニュメントロックとしておこう。なんの目標となるものの無い荒野で開拓者の隊列は遠くのモニュメントロックを目標にして馬車を進め、突き当たると迂回してまた遠くのモニュメントロックを目指して進むといったことでその前後には長い時間の間に一筋の道が出来ていて、こんなシーンも長いアメリカの開拓の歴史を感じさせる。

 「1852  Arizona Territory」。
 こん文字を見て懐かしい気持ちになる方はいないだろうか。
 B級西部劇の冒頭はだいたいこんなふうで、遠くにモニュメントロックを配した真っ青な空をバックに少し毒々しいような赤い文字がアップになる。日本語字幕には、「1852年、アリゾナ准洲」と出る。こんなところも何か懐かしい。

 映画の冒頭に出てくる、各映画製作会社の「表紙のシーン」もいろいろ思い出す。
 ライオンが吼えるワーナーブラザーズ、いやMGMメトロゴールドウインメイアーだったかな、
 逞しい男が大きな銅鑼を叩くユナイテッドアーチスト。
 サーチライトが交差する20th CenturyFox。
 自由の女神のColombia。いろいろと思い出される。
 B級西部劇の宝庫はレパブリックだったか?

 間に挟まれる、ニュース映画や次週の予告編も楽しみだった。テレビの無い時代に映像でニュースを見られるのは大変貴重なことだった。
 横を向いて何かを写しているカメラマンが三脚の周りを回ってくるりとこちらにレンズを向けるとそのレンズが画面いっぱいに大きくアップになるムービートーンニュースなんていうのを思い出す。
 予告編もわくわくして見た。そして、また来週も通ってしまうのであった。

 若き日の郷愁、映画。
 ふるさとや思い出の場所を訪れてみても、ずい分変わっていることも多いが、映画は昔のままの姿で残っている。
 むしろ、見る側のほうの感性が枯渇していて、若いころ見たときの感動とちがっていることが多く、歳をとったことを実感させられることも多い。

 書店などで、DVDが並んでいるところへ行くと、つい昔の映画を探してしまう。ああこんな役者がいたなと思い出す。
 並んでいるDVDのなかで、西部劇が非常に多い。してみると、昔を懐かしんで買ってゆくオールドファンが多いのではないか。

 いろいろ思い出すままに書き連ねてくると、何だかだらだらと止まらなくなってしまう。
 このへんで、トリの山本兄にバトンタッチとしよう。

 うろ覚えの箇所もあまり調べもせずに書いてきたので少し心もとない。信 謹三だったか謹 信三だったかもさだかでないのです。
 山本さん、間違いがあったら、どうぞ指摘して下さい。

 



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