哲照さんの趣味 


パソコン教室に通う
2015.05.04
7組 山本哲照


 駅前の教室に入校

 私は今年の3月初旬から小田原駅前のパソコン教室に通っています。データベースソフトの「Microsoft Office Access」(以後アクセスと表記)を何とかマスターしたいと思ったからです。

 3月初めこの教室を訪れ「アクセス」だけを勉強したい旨を告げると、なんとそれはできないと断られました。この教室の仕組みは「ウィンドウズ」「インターネット」「ワード」「エクセル」を一纏めにしてそれぞれ基礎から学び、一通り理解してから「ワード」「エクセル」「アクセス」「パワーポイント」「ホームページ作成」などのソフトを学ぶ、というコースになっていてこれらを省いていきなり単一のソフトを学ぶシステムにはなっていない、というのです。つまり入校希望者は全てパソコン初心者で基礎から教えなければならない、と決めつけているわけです。私はすべて独学ではありますが、ウィンドウズ、インターネット、ワード、エクセルなどはある程度理解していますのでそれらを最初から金と時間をかけてやることはどうにも納得できません。その日は話がまとまりませんでした。帰宅してから他のパソコン教室に電話で問い合わせて見るとアクセスだけでも教えるという所はありましたので、翌日再び最初の教室を訪れ談判に及びました。先方は私のスキルを見たいとのことで、パソコンに向かって簡単なテストを受けました。そこでやっと私がOSやインターネット、ワード、エクセルなどの基礎は身につけていて、ブラインド・タッチ(キーボードは見ないでモニター画面だけを見て文字を打つ)もできるという事を認めたらしく、「私だけの特例」としてアクセスだけのレッスンを受けられることになりました。始めてから1カ月ほどで「基礎編」は終り応用編に入りました。やはりこのソフトは相当高度で複雑です。とても独学では無理だという事を改めて理解しました。



 映画のデータベースを作りたい!


 私は、「WEB11」の前身「小田高11期通信」の第6号と第7号でもお話したとおり、1986年職場に導入された「ワーク・ステーション」(日立製)に触れているうちにコンピュータに興味を持ちました。その頃世間ではいわゆる「ワープロ」が大流行していました。コンピュータでできる事務処理の内「文書作成(ワード・プロセシング)機能」だけを特化させた専用機で、私の周囲にも購入した人は大勢いました。私はコンピュータのコンピュータたる由縁」は「文書作成」よりも「表計算」と「データベース」だと考えていたので、「ワープロ」には全く興味はなく、欲しいとも思いませんでした。そして1987年8月にデスクトップ型パソコン(NEC製)を購入し自宅で使い始めました。

 一番初めに取り掛かったのが趣味の映画に関するデータベース作りでした。使用したソフトはアメリカ製の「DATABOX」(以後データボックスと表記)。いわゆるカード型データベースソフトでモニター画面全体を1枚のカードに見立て、適当に縦横の罫線で区切ります。区切られた区画を「フィールド」と呼びそれぞれに項目名をつけます。私が考えたものは「映画の題名」「監督」「脚本」「撮影」「音楽」「出演」「出演者原名」「映画原題」「上映時間」「VTR」「CR」「TP」「その他」「製作年度」「製作国」「題名のひらがな読み」の16項目でした。「VTR」は市販されたものではなく自分で録画したテープがあるかどうかということです。「CR」は1980年代の情報誌「シティロード」のどの号にその映画の関連情報が掲載されているかを記したもの。「TP」はTV情報誌「TVぴあ」のことで同じく関連記事が掲載されている通巻ナンバーを記したものです。たとえば「CR」の所に「8912」と表記されていればシティロードの1989年12月号にその映画の情報が掲載されているということになります。その情報というのは封切り時期と映画館、映画の内容、評論家による評価、監督や出演俳優のインタビューなど多岐に亘ります。「シティロード」は1979年1月号から最終刊の1994年4月号までのものをそろえてあります。もっとも雑誌をバックナンバーとして完全な形で保存してあるわけではなく、各号の記事の中で映画に関係するページだけを切り取ってとじひもで綴じ、適当な分量にしてハードカバーをかけてあるだけですが・・・



 シティロードとTVぴあについて

 
 「シティロード」(City Road)は1970年代後半から1994年前半まで関東地方だけで発売されていた情報誌です。映画・演劇・音楽・イベント・スポーツなどの情報を網羅して当時は「ぴあ」と並んで人気がありました。発行部数ではかなり「ぴあ」に差をつけられていましたが、そのマニアックな内容は「ぴあ」とは大いに違っていました。特に映画に関しては蓮實重彦、犬田四方彦、宇田川幸羊、今野雄一、松田政男、出口丈人、田中千世子、秋本鉄次、おすぎ、荒井晴彦、河原晶子、中野翠、斎藤正治など錚々たる論客が辛口の論陣を張り、映画ファンには特に人気があった雑誌です。私は当時勤めていた会社の同僚5、6人と映画同好の会「シネマクラブ」を作り、毎月の例会には全員がこの雑誌を持って参加しました。当時の定価は150円~250円でしたが、私は新聞社の出版関係に在籍していたので出版物は取次を通して2割引きで買う事ができましたので、大いに皆に重宝されました。

 「TVぴあ」は1998年11月に創刊されたテレビ番組の情報誌です。創刊された当時はテレビで放映される映画を紹介する欄が充実していて、私にとっては大きな情報源でした。これが掲載されているページをシティロードと同じように切り取ってとじひもで綴じ、ハードカバーを付けて保存してあります。こちらは創刊号からそろえたので発行年月ではなく、通巻番号で表記しています。雑誌のバックナンバーを表すものに「Vol(巻)、No(号)」というものがありますね。創刊した年がVol1(第1巻)で創刊号がNo1(第1号)となり、たとえばある雑誌が2000年4月号が創刊でこの年は12月号で終ったなら12月号はVol1(第1巻)No9(第9号)となるわけです。そして通巻番号は4月号がNo1、12月号がNo9となります。私は「TVぴあ」の創刊号通巻No1からずっと揃えました。しかしいつからかは覚えていませんが、「TVぴあ」の映画紹介欄はだんだんお粗末になって行き、とても切り抜いて保存しておくだけの価値のないものになったのでその作業はやめました。「シティロード」も1994年4月頃に廃刊になってしまったので、現在我が家では両誌の古~い切り抜きが色あせて物置の隅に眠っています。



 どうやってデータベースを作っていったか?

 さて、実際のデータベース作りについてですが、当初は「シティロード」の記事から拾ってくることが一番多かったように思います。次に多かったのがテレビで放映された映画を録画しておき、それを再生しながらその映画の原題、監督、脚本、撮影、音楽などの担当者(これはカタカナ表記)、出演者(カタカナ表記と原名表記)などをレコーダーの一時停止機能を駆使しながらメモしておきます。そのメモをデータボックスに打ち込んでいくわけです。但し、外国映画の原題名・監督・脚本・撮影・音楽・出演者名などについては英語は大体分りますが、フランス語・イタリア語・ドイツ語・ロシア語・スペイン語などは全く分りませんので、原題名、監督名、主演俳優名など見当のつくものだけしか入力できませんでしたが・・・また書籍・雑誌・新聞などで監督・俳優などの原名が表記してあるものは大いに参考にさせてもらいました。封切り時には新聞夕刊にかなり大きな広告が掲載され、そこには原題名・監督・主演俳優などの原名が記載されている事もあり、それも残らずデータボックスに書き込んでいきました。ファイル名「外国映画」というデータベースに1988年頃から作り始めコツコツと積み上げて来たデータがいつの間にか6000件を超えた頃、時代はMS-DOSからウィンドウズに変っていました。



 アクセスへの挑戦と挫折


 ウィンドウズに対応できなかったデータボックスは使えなくなり消えて行きました。6000件以上の膨大なデータをウィンドウズ対応のソフトに移し替えるしか道はありません。幸いMS-DOSでファイルやデータの知識を一応上っ面だけでもかじっていた私は、いろいろなOSに共通して読み込めるカンマファイルに変換してデータを残しておきました。そしてマイクロソフト社のデータベースソフト「アクセス」にそのカンマファイルをインポートしてアクセスのデータとして復元し、さらにデータの入力を続けました。しかしアクセスは操作が簡単だったデータボックスに比べて格段に難しく使いにくいものでした。それまでパソコンに関してはすべて独学でやってきた私には手に負えないものだと分りかけてきた頃、何回目かのバージョンアップを行ったアクセスの文字入力が極端にやりにくくなりました。詳しい説明は省きますが私はこれでアクセスを使い続ける意欲をなくしました。2000年代初めの頃だったと思います。データの数は6700件余りになっていましたが・・アクセスを使い続けることはやめましたが、テレビ放映された映画を録画しておき後で再生しながらその映画のデータを記録する、という作業だけはその後も続け現在でも続いています。ただし、いつの日か再びアクセスに挑戦する日が来るかもしれないと、2009年9月に「アクセス2007」を購入し、パソコンにインストールしました。現在パソコン教室ではそのアクセス2007を学んでいます。



 11期の学友と映画を通じて交流


 昨年4月11日付の「WEB11」に2組の下赤隆信さんが西部劇「赤い河」などに関する一文を投稿されました。4月18日に6組の榮憲道さんがそれに呼応して投稿され、お二人のやり取りを見ていた3組の佐々木洋さんが7組にも山本哲照という映画好きがいるということを5月2日に「榮さん、下赤さん」とお二人に呼び掛ける形で寄稿されました。それがきっかけとなって榮・下赤両氏と私との交流が始まりました。昨年9月16日の「WEB11オフ会」では私とこれらの三氏が同室となり、映画の話に花が咲きました。もっとも、縁結びの役を果たしてくれた佐々木さんはそれほど映画に興味はない模様で、ひとり「蚊帳の外」状態だったようですが・・・このオフ会以後榮・下赤両氏と私との間では頻繁にメールのやりとりが行われたり、或いはWEB11を介して映画のことが話題になり、分らないことをお互いに質問したりしました。たとえば「あの映画の監督は誰?」「あの映画の主演女優の名前は?」「音楽を担当したのは?」「シリーズ化されて何作まであったっけ?」「あの男優とあの女優が共演した映画の題名は?」とか数え上げればきりがありません。

 こういう疑問がわいた時、私のデータベースで検索すればすぐに答えが見つかります。但し、私のデータは2000年を数年過ぎた頃で終っています。アクセスに挫折してから新しいデータは殆ど入力されていないからです。古い映画に関しては強みを発揮しますが新作には殆ど対応できません。下赤さんや榮さんとの交流が深まるにつれて私の知的好奇心がうずいてきて「このままでは中途半端だな。映画のデータベースをもっと充実させ、使い勝手を良くするためにもアクセスを本格的に学んでみるか!」と決意してパソコン教室の門を叩いたわけです。学び始めて感じた事はアクセスはやはり相当高度なビジネスソフトで習熟すれば会社の仕事には大いに役立つだろうということです。現にテキストに出てくる事例は営業・在庫管理・原価管理など私が現役時代でも関わりのなかった事ばかりなので戸惑う事は多いのですが、データベースの概念を理解するには何とかクリアしなければなりません。しかしこの教室でアクセスを学ぶ人はほぼ例外なく業務上で使用する人で、私のように「私的(もっとあからさまに言えばたかが趣味」)な映画のデータベースのためにこんな難しいソフトを勉強に来るなんて・・」と教えてくれる女性インストラクターも半ば呆れているようです。しかし、始めてからそろそろ2か月が過ぎようとしています。大分終りに近づいてきていて間もなく「マクロ」に取りかかるようです。何とか一通り使いこなせるようになって、下赤さんや榮さんの難問・奇問にも「快刀乱麻を断つ」ような答えをお見せしたいと、老骨に鞭うって通っているところです。

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