タシケントといえば、その昔NHKのシルクロードという番組で見ただけの遥か遠い街だった。悠久の時を奏でる喜太郎の音楽と未知の世界の映像に、中学生の頃の僕は壮大なロマンを感じていた。中央アジアは敦煌の向こう、タクラマカン砂漠や天山山脈を越えてやっと辿り着く地域だった。僕が学生年代の中央アジアはソ連邦の一部だったため、旅行をするにも南米やアフリカよりも遠い国々であり、バックパッカーにとっては幻の領域だった。
ウズベキスタンは1991年にソ連邦から独立したばかりの国であり、独立10周年を迎えるタイミングでウズベキスタンに駐在する商社と日本人会が中心となって日本庭園建設プロジェクトが動き出した。そして2001年、僕はその中央アジアの中心都市タシケントに日本庭園の建設と公園緑化技術者の指導のためJICAの技術派遣で赴任することになった。中央アジアに行くことなど思いもよらなかったし、シルクロードの要衝に庭園を造るなんて僕にとっては夢のようなプロジェクトだった。