4年後の2006年僕はウズベキスタンに植えられた桜の調査に行った。時間も限られていたので、墓地整備を行ったベガバッドの2か所とキルギスタン国境に近いアンディジャンの墓地2か所を回った。ベガバッドの墓地はきれいに整備され墓石がきちんと配列されていた。そして桜も4mほどに育っていた。アンディジャンの墓地は今回が初めてだった。ここは当時政情不安で行くことが出来なかった場所である。そのうちの一か所はまだ、土饅頭の上に鉄のプレートが打ち込まれているだけの墓地だった。もう一か所は小さな墓地だったが90歳近い老夫婦が墓守をしていた。こんなに日本人に手厚い国民は世界中どこを探してもいないかもしれない。
僕はアンディジャンからキルギスタンへ国境を越えた。オシュの町へ着くとそこにはカシュガルまで300Kmという標識が出ていた。中学生時代に見ていたNHKのシルクロードという番組で遙か彼方のカシュガルがもう目と鼻の先にあった。心が躍った。
オシュから首都ビシュケクを抜けてカザフスタンのアルマトゥへ向かった。アルマトゥには日本人墓地があるという情報を得ていたからである。日本人墓地を見つけるのはそんなに難しいことではなかった。しかしそこは墓石は整備されていたものの草に埋もれて誰にも世話をされていない様だった。国が違えばこうなってしまうのかと残念に思った。 日本から遠く離れた中央アジアの地に眠る抑留者の方々。年老いていく遺族の方々。戦後70年近く経っても日本人抑留者の墓守りをしてくれているウズベク人。
ほとんどの日本人が知らない抑留者の過酷な史実。遠く離れた中央アジアに日本人抑留者が眠ることさえ、いつか日本人の記憶から、日本の歴史から消え去ってしまうのだろう…