小田原フィルハーモニー交響楽団


市民会館での第7回演奏会にあたって
  高4期  江良 皓

 待望久しかった市民会館での初めての演奏会乞意義深くもベートーベンの画期的な作品でかざることができたのは、私たち団員にとっては格別、喜びの感でいっばいです。またと私たちの演奏を温かく聞いて下さっている皆様もきっと喜んで下さると思います。今日この新しいホームグランドで小田原フィルの新しい歴史が……少し気負って言えば小田原の音楽文化の新しい歴史が始まったと言ってよいでしょうか。来年は五年目を迎えるのです。子供は五つにもなれば、一人で歩くのは勿論、いっばしの生意気を言います。私たち小田原フィルはどうかと言えば.生れた時から生意気で五つに近くなって生意気なのは当然だと言わんばかりに今日、ベートーベンのエロイカをご披露に及んでいる次第です。
 実際、今回ほど曲の演奏が大変だったことはないような気がします。五つになろうとして、つきはじめた分別で、
反省とやらをせねばなるまいと言ったところです。これは冗談ではありません。小田原フィルは、未だ一人歩きでき
ないのだ、という深刻に悩まねばならない問題を抱えこんでおり、冒頭、「小田原フィルの新しい歴史始まる」 などとラッパを吹いたのはとんでもないのぼせた言い方で、誕生以来、本質的な問題はあまり解決しておらず、常に細々と危い橋を渡るようにして現在に至っていることに気付くのです。以前のプログラムにも私たちの苦心の一端を披瀝
したのに続き、重ねて同じようなことを訴えるのも心苦しいのですが、これを機会に真に新しい小田原フィルの歴史、ひいては小田原の音楽文化が花聞くようにとの願いから、私たちの実情や希望の一端を述べて皆様のお知恵なり、積極的、具体的なご援助をお願い致したいと思います。

 「小田原フィルハーモニー交響楽団」という堂々とした名を発足の時につけた時、いささか面映ゆい気がしたもの
です。しかし、やがてはその名にふさわしいオーケストラに成長する、いやさせようという悲願が込められていたのです。ところがメンバーの増加は、はかばかしくなく、演奏会まぎわになって他の交響楽団のご好意ある応援に 頼るようなととを繰り返しているのです。どうか楽器の心得のある方は積極的に参加してください。現在、小田原フィルにないような高価な楽器を自ら購入して入団して下さるならば、こんなうれしいことはありません。市当局からは援助をいただいていますが、更に「伝統ある」と自負できる小田原のアマチュア音楽を盛んにし、郡山市をしのぐ音楽都市になるような方策を講じていただけないものでしょうか。これは私たちの虫の良い願いでしょうか。私たちの活動は「音楽青年あるいは老年の道楽の域を出たものである」 という自負に今夜の聴衆の皆様には異論がおありですか。
 「音楽は単なる生活の飾りものでなく、精神生活の一部そのものである」というのが、アマチュア音楽マンの信条であり、機械文明が極度に発達しているアメリカには何十万というアマチュアオーケストラマンがいるという現象はそのことを何よりも物語っているのです。そういう現象はやがて私たちのものともなるでしょう。私たちはそうした遠い(近いことを願いつつも)将来には市民の多くの生活の充実につながるだろうと信じられる仕事を始めていると考えています。私たちは、ティンパニー、ファゴットといった楽器が欲しい。誰もが行きやすい練習場が欲しい。またでき得るなら縁の下の力持ちとして楽団の運営をしていただけるパパかママが欲しい。そして、営利が目的でない私たちのような活動の場合、会館を無料で貸していただけないでしょうか。欲しいものばかりで大変あつかましくなりましたが、これは実際偽らざる気持で、そのため今後の努力をいとうものではありませんが、何分にも皆様の大なるご声援を得たくあえて訴える次第です。

 1日も早くこのホールに市中のアマチュアが結集して、高らかに「O Freunde」の歌声を響かせる時が来るよう祈りつつ。




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