小田原フィルハーモニー交響楽団


創立十周年によせて
常任指揮者  小船幸次郎

 小田原フィルハーモニー交響楽団が創立されてもう十年経ってしまった。そういえば創立当時早稲田大学を卒業し
て間もなかった第1ヴァイオリンの小島修君が、今は東京相互銀行横浜支店の支店長代理だし、創立当初から交響楽団の会長としてチェロのトップを努めていられる松尾芳郎先生が、停年で小田高を退職されて相洋高校に転じられているし、創立当初大学生で加入したヴィオラの小暮克彦君がその後加入したフリュートの国分宏子さんと結婚して今は子供ができている。創立当初からコンサートマスターを努めている横山健治君も結婚した。

 私が小田原交響楽団の指揮をするようになったのは小島君との関係からで、 小島君が卒業した早稲田大学の交響楽団を私が指揮していて、小島君はそこで第1 ヴァイオリンを弾いていた。その小島君に頼まれて小田原フィルハーモニー交響楽団を、その最初の演奏会から指揮するようになった。小田フィルに初めて練習に来て驚いたことは、弦楽奏者に上手な人が揃っているこ とだった。横山君は既にプロ級であったし、小島君、江良君、中村瑛君、松尾先生などがいて、演奏会の時は東大や鎌倉方面などからやはり弦の上手な人たちが手伝いに集った。弦にくらべると管は不揃いで、それが現在にまで続いている。その管の中ではフリュートが例外で、何人か上手な人が入ったり出たりした。まず芸大を出て、現在は東京都交響楽団の奏者をしている湯川和雄君、桐朋学園大学出身で現小暮夫人の国分宏子さん、現在桐朋学園大学フリュート科に在学中の北村薫君と武田又彦君など、みんなプロ、又はプロになる人たちだ。吉田龍夫君はプロではないがプロと同じ力量を持っている。クラリネットには横浜国大の音楽科を出た上手な関野昌紀君がいる。トランペットの吉田明夫君とホルンの杉原正明君は小田フィルを背負っている若手の中心だ。弦をはじめ、管のこうした人たちが殆んど小田高の出身者で、みんな松尾先生の指導を受けているのであるから、はたから見ていてうらやましいほど団員仲がいい。これが小田フィルを十年間支えてきたものだ。

 最近になって高校生の中からオーボエ奏者が加入して、それが立派な奏者に生長しつつあるし、芸大在学中の若いヴァイオリン奏者も入ってきたりしていて、地味ではあるが着実に成長を続けている。第1 回の演奏会は公園のお堀端にある本町小学校の講堂で、机を並べてステージを造り、足もとを心配しながらの演奏であったが、聴衆は満員で活気が溢れていた。満員の演奏会が2、3 回続いたが、そのうち聴衆が少なくなりはじめ、演奏会場が今の市民会館に移って、ステージと客席が立派で豪華になったのに反して聴衆は減った。これは社会の娯楽機関が発達した現在とそれ程でなかった十年前との差で、小田フィルだけの責任ではない。どこの催物でも現われている現象である。

 さて、小田フィルは十年間に交響曲と協奏曲、序曲など、それぞれ20 曲以上演奏してきた。その中ではベートーべンとモーツァルトが最も多い。ベートーべンの交響曲は九番を除いて全部演奏した。九番を演奏するのが江良皓君らの夢であったが、まだ実現することができない。それは主として演奏に必要な大合唱団がまとまらなかったからである。今回創立十年を迎えてブラームスの一番の交響曲を演奏できたのは、曲目上での大きな進歩である。

 今後の小田フィルとしてしなければならないことは、いままでの経過で明らかなように、管楽器部門の充実と聴衆の獲得である。地方都市でこれだけ良いメンバーを持った交響楽団は珍らしいのではあるが、交響楽団というのはホルンは4 本、トロンボーンは3 本、現在1本もないファゴットは2本揃っていなければならない。小田フィルが完全な管弦楽編成を持つには長い時間がかかるかも知れないけれど、現在の中心メンバーが変らない限りきっと実現すると思う。その時にはしっかりとした聴衆層も獲得していることであろう。

 新しい事業としては、創立十年の実績をもって、小田原市当局などの援助を要請するなどもよい。但し必要があればの話である。




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