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平和憲法記念日に思う

3組 佐々木 洋  2014.05.04


上書き保存」の重要さ

 皆さんには、「愛読・必読のホ-ムページ/ブログ」というものがありますか。私は起きしなに、この「小田原高校第11期」(WEB11)とともに「少々難あり・旅の絵日記…定期券.名刺も消えて,沽券消え…戸惑いの24時間フリータイム」という少々長いサブタイトルが付いたブログ(http://yg-style.seesaa.net/)を読むことを日課にしています。東芝時代に職場をともにした鳫義次(通称:ガンちゃん/「鳫」というのも珍名さんで、病院の呼び出しでこの名前を呼ばれると周囲の患者さんたちが一瞬ギョッとするそうです)さんが挿絵つきで発行しているブログです。その「ガンちゃんブログ」の2014年04月24日に「上書き保存で鮮度を保つ」という記事があり、そこに次のような記述がありました。万年青年のガンちゃんも今や古稀近くになっていますが、相変わらず感性豊かで気分は依然として万年青年。また若かりし頃、誤字脱字が多い文章を書いてカラカワレタことを逆に誇りに思っているのか(?)、自分のニックネームを「誤字脱字」と名乗り、ブログ・タイトルにも「少々難ありとこだわりを示しているのだと思います。どうぞ「少々難ありの程をじっくりとご鑑賞ください。

 

勝みなみ選手が女子ツアー最年少の15歳で優勝 遼・真央・沙羅・歩夢に続いた 15歳優勝は珍しくない 経験が浅いことが幸いした?
経験を積まなくて一人前<一流>になれないには疑問 怖いもの知らずで優勝してしまった彼らや彼女たちは コーチなどの先人から 経験を経験させられて輝きを失ってしまう。 強く輝いていた15歳に戻そうと経験薬を強いられて 長いトンネルへ

<経験を積む> 
経験は積んではいけない 経験にも鮮度がある 新しいものに入れ替えなくてはいけない 男性の恋愛経験は名前を付け保存だが 女性は上書き保存らしい

<経験の上書き保存宣言> 
カビだらけの経験を後生大事にしていると見苦しいジジイになりますよ

 

  ガンちゃんは、このように、相変わらずのサラリとした筆致でいながら「経験至上主義」をバッサリと切り捨て「経験の上書き保存」を推奨していますが、私にとってグサリと来たのは「カビだらけの経験を後生大事にしていると“見苦しいジジイ”になりますよ」という一節でした。自分自身が、過去の経験を重視するあまり、すっかり“見苦しいジジイ”になってしまっているのに気付かされたからです。

「経験の上書き保存」して良いこと悪いこと

  しかし、感性派のガンちゃんと違って“中途半端理性派”で理屈っぽい私は「上書き保存して良い経験と悪い経験があるのではないか」、つまり、「上書きすることによって消去してはならない経験があるのではないか」とすぐさま思い直しました。そして、逆に「消去してはならない経験を上書きするのも“見苦しいジジイ”ではないかという思いを強く持ちました。おりしも渡米中で、日本の「集団的自衛権」行使を吹聴して回っている自民党幹事長の石破茂の、日本の忌まわしい戦争経験をすっかり「消去」してしまっている“見苦しいジジイ”姿が思い当たったからです。「例えば、“日本を守ってくれているアメリカ”のイージス艦が“敵”の攻撃によって危機にさらされている場合にですよ、アメリカと同盟している日本が何の手だしもせず手をこまねいているのはオカシイじゃありませんか」というのが、“見苦しいジジイ”コンビの方割れである安倍普三首相の「集団的自衛権」主張論の言い分です。しかし、待って下さいよ。アメリカのイージス艦を危機にさらすような“敵”が現れたとしたら、その“敵”は相当強大な戦力を備えているものと考えられます。日本の財政が破綻の窮地に陥っているにもかかわらず、国費を投入し続け着々と軍備を強化してきた自衛隊といえども、メジャーリーグ級のアメリカ軍に比べれば、まだまだAAか精々AAAのマイナークラス。マイナー・リーガーがメジャーリーガーの窮地を救えるわけがないではありませんか。日本が「集団的自衛権」行使の名のもとに手出しをしたのがきっかけとなって、 “敵”に対する戦争に巻き込まれてアメリカとともに“集団的参戦”していくのが必至ということになります。かくて、悲惨で愚かな戦争の経験を「上書き消去」することなく、寧ろ、世界に向けて「武器よさらば」を訴えるべく定められたはずの「日本国憲法」は全く踏みにじまれ、日本は“いつか来た道”を再び辿ることになります。そもそも、安倍・石破の“見苦しいジジイ”コンビが“アメリカは日本を守ってくれている”と思い込んでいるのも勘違いです。アメリカは“お人好しの足長おじさん”ではないのです。自国の国益がないところに派兵して自国民の血を流させることを容認するほどアメリカ国民は寛容ではありませんし、またそんな財政的な余裕もないはずです。現に、核兵器開発をしているかどうか分からなかったイラクに大量派兵し、雨や嵐の爆弾投下をしたのに対して、核兵器開発をしていることがはっきりしている北朝鮮にはなんの武力行使もしていないではありませんか。イラクには国益(自国の石油利権の確保)があったのに対して、北朝鮮にはアメリカの国益に絡むところがほとんどないからですよ、きっと。恐らく、北朝鮮による日本人拉致問題についてどんなに懇願し続けたところで、アメリカは日本に対して救いの手を差し伸べようとはしないでしょうね。そんなことをしてもアメリカには一切「国益」がないのですから。

上書きには上書きが

 先日、商船三井の船舶が中国側に差し押さえられるという事件が起きました。菅官房長官は4/21午前の記者会見で、「中国側の一連の対応は、1972年の日中共同声明に示された日中国交正常化の精神を根底から揺るがしかねないものであり極めて遺憾である」と日本政府の見解を表明しました。確かに日中国交正常化に当たって中国政府は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言しました。これは、「日本軍国主義による侵略」という経験を消去して「中日両国国民の友好」促進に転ずるために中国政府首脳がとった未来志向の「上書き」政策の賜物でした。その後1995年に、日本側も、過去における植民地支配と“侵略”について中国や韓国に謝罪する村山談話が発表しました。しかし、安倍普三首相は、日中国交正常化の際に中国首脳が行った戦争賠償請求放棄の英断に甘えて図にのって、ここでも「してはならない経験の上書き」をして“見苦しいジジイ”になってしまっていることに気がついていないようです。「“国”のために命を捧げた“英霊”に対して“尊崇”の念を表すのは国家元首として当然の責務である」という旨のコメントを繰り返しながら靖国神社参拝を続けていますが、これは、過去の帝国主義国日本が起こした“聖戦”という名の戦闘行為を、一度は日本政府が村山談話で “侵略”と「正しく上書き」して中国に謝罪しておきながら、再び“尊崇すべき英霊がお国のために命をささげた聖戦”と「してはならない上書き」をしてしまっていることに他ならないからです。“侵略”だと認めているなら安倍普三のコメントは「“国のためと唆されて”命を“捧げさせられた”“犠牲者”に対して“懺悔”の念を表すのは国家元首として当然の責務である」とならなければならないはずです。同盟国のアメリカからさえイェローカードが提示されていたくらいですから、日本の国家元首が靖国神社を参拝する姿を見て中国や韓国の人々が「日本は過去を美化している」と非難するのは当然な話だと思います。商船三井の船舶が中国側に差し押さえられた一件の裏には、「日本が“侵略”を“聖戦”に上書きするなら、こちらも戦争賠償 “放棄”を“請求”に上書きしてやるぞ」という中国側の“意趣返し”の気持ちが潜んでいるように思えてなりません。

美しい女性からの「上書きしてはならない」呼びかけ

 ところで皆さんはイラン出身のサヘル・ローズという女優さんのことをご存知でしたか。小田原のラジオ体操の仲間「和みの会」でお知り合いになった小田原市会議員をされている植田理都子さん(なんと小田高XX期3年3組で私とは同窓同級生!)はご自分のFacebookに、「東京新聞」のインタビュー記事を紹介しながら、次のような一文を掲載されています(https://www.facebook.com/ritsuko.ueda.184)。
 
「私は戦争を伝えるために生かされたから」と女優の仕事をしながら月1回のペースで講演活動をしているサヘル・ローズさん。
イラン・イラク戦争で4歳のときに両親と10人の兄弟を失った。親からつけられた名前も不明。孤児院にいたときに大学生のフローラさんに養子として引き取られた。フローラさんは養子をとったことを親から反対されて日本へ。住むところも仕事もなく、二人公園で寝泊まりした時期も。
イラン人はいらんと、学校でのいじめにも、フローラさんの「生き残ったことには理由がある。自信を持ちなさい」の励ましを支えにして今がある。
 
 紹介されている「東京新聞」の記事には、「日本の平和 蜃気楼」、「戦争での利益 誰かの命奪う」、「9条誇り 関心を」といった小見出しが躍っています。ガンちゃんブログによると「男性の恋愛経験は名前を付け保存だが 女性は上書き保存らしい」そうですが、恋愛とは対極的な悲惨な戦争のことですから、美しくて聡明な女性であるサヘル・ローズさんたりとて、自らの戦争体験を「上書き」できるわけがなく、寧ろ、自分自身は経験していない日本の戦争を「名前を付け保存」して私たち日本人に対して警告とエールを発しているように見えます。こうしてみると、日本の戦争経験をいとも簡単に消去し上書きすることができている安倍・石破“見苦しいジジイ”コンビは、美しくて聡明なサヘル・ローズさんが経験した戦争の地獄体験に比べると千分の一萬分の一程度の戦争経験しかしいないのでしょうね。ですから、実際は為政者たちや既得権保有者たちの権益を守るための戦闘行為でありながら、「国益を守る」という大義名分のもとに、直接は権益にあずかることがない国民が戦地にかりだされて命を奪われたとしても、それが「戦争での利益 誰かの命奪う」であるということが分かっておらず、命を奪われるのは身内(We)ではなくて誰か(They)なのだと割り切っていられるのでしょう。そんな安倍・石破コンビが率いる自民党に国政選挙で圧倒的な指示を与えた日本国民も、結果的に日本の戦争体験を上書きした“見苦しいジジイ”の仲間入りをさせられていることになります。

 しかし、我々大衆は「戦争での利益」を追求する安倍・石破コンビら為政者たちのWeの中には入っておらず、「誰かの命奪う」の「誰か」They(ヤツら)扱いされるということだけは肝に銘じておく必要があります。安倍・石破コンビも「日本の平和 蜃気楼」という思いは持っていると思いますが、問題は「積極的平和主義」の名のもとに「平和のために戦争する」ことによってしか“蜃気楼”状態から脱することができないと思い込んでいるところです。古今東西、自国が仕掛ける戦いを自ら「侵略」と銘打った国はありません。それぞれが平和のための「聖戦」と銘打って、それぞれの国民を戦地に赴かせ、戦地ではお互いに「戦争での利益」にあずからない両国の国民同士が「命を奪いあう」という構図が常になり立ってきたのです。悲惨で愚かな戦争を繰り返してきた人類の歴史を“上書き”できるのは「戦争の放棄」しかないはずです。世界で初めて「武器なき平和」を宣言した日本と日本国民に対してサヘル・ローズが贈る「9条誇り 関心を」という呼びかけを決して上書きしてはならないと平和憲法記念日に当たって改めて胸に刻んで心新たにしました。


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