西湘バイパス上で、老ネズミ市民の「危険性なきスピード違反」に“物言い”を付けた2警察官には、少しも国民の安全に寄与したところがないにもかかわらず、それぞれの“業務実績”として「速度違反運転検挙件数1件」がカウントされていることでしょう。一方、日本では、市民からの“物言い”が警察に届きにくくなっているということに注意する必要があります。市民が困った問題に対して “物言い” を持ち込み、一種の駆け込み寺の機能をはたしていた交番も大半は警察官不在の空き交番になってしまっています。市民生活に溶け込んでいるところがPolice Boxと違うということから”Koban”がそのまま英単語になっていたのですが、いまや交番は「かつて日本の市民とともにありしもの」になってしまっているのです。
更に、私たちが子供の頃には「そんなことをしたら“おまわりさん”に言い付けてやる」などという言葉が普通に交わされていたことが示しているように、市民の“物言い”が正義の味方である巡査に持ち込まれる仕組みになっていたのですが、巡査が「巡(見回り歩く)」ことをやめ、“おまわりさん”の姿が市民の生活の情景の中に見えなくなってしまっています。市民に頼られ親しまれていた“おまわりさん”や、これも死語となってしまっている“駐在さん”は、日々の“業務実績”は乏しいものの、その存在が大きな犯罪抑止力を発揮して国民の生命と安全に寄与していたものと考えられます。なぜ“おまわりさん”がいなくなってしまったのかというと、これは決して警察官の絶対数が減ったためではないようです。
少々旧聞に属しますが、次女が自宅近くの路上でヒッタクリ事件に遭ったことがあります。急いで自宅に帰って110番通報するも20分間ほどは電話がつながらず、ようやく警察官がやってきたのはヒッタクリ事件発生後かれこれ40-50分後のことでした。しかも、訪れてきた警察官一同の数は7-8名で、たかがヒッタクリ事件にしては勿体ないほどの“警察官大動員”でしたので驚くとともに「この人たち警察署内で何してたんだろう」と訝ってしまいました。このように、犯罪に対する抑制力も検挙力も発揮することなく警察署内でたむろしていた警察官の一人一人には「事故発生事情聴取件数1件」が“業務実績”としてカウントされたのでしょうが、こんなことではヒッタクリ犯人逮捕という本来期待されている“業務実績”など挙がるわけがありません。案の定、大勢で念入りに事情聴取したにもかかわらず、以降警察側からの連絡は一切なく梨の礫になってしまいました。
近年「予め警察に連絡しておいたのに」犯されてしまった殺人事件の類が増えてきているようです。すべてがそうだと言うつもりはありませんが、「警察の市民離れによる犯罪抑止力と検挙力弱体化」によるところが存外大きいのではないでしょうか。「集団的自衛権」などといっていますが、国民の生命を「自衛」することさえできていないのですから、自衛隊の時代遅れの“軍事”訓練の武器や弾薬のために巨額の国費を空費することをやめて“警察”力強化の方に振り向けるべきではないでしょうか。古ぼけた警察無線を更新して警官一人一人が随時自在に情報をやり取りできるようにしたり、“おまわりさん”に定番の自転車をバイクに代えて機動力を高めたりすることによって、警察官を再び市街に送りだして市民生活の中に溶け込ませるようにしたら、かつての「安全な国・日本」に戻れるのではないかと思います。自衛隊員にしても、本来の存在意義は「国民の生命と財産の安全確保」にあるはずですから、“軍事”演習は必要最小限にしておいて、天然災害時ばかりでなく、市街パトロールなどの“警察”活動に加わる必要があります。尖閣湾についても、“警察”の機能を果たしている海上保安庁に、海上自衛隊から装備を移譲すれば事足りる話です。「正当防衛」と「緊急避難」の目的に限定していたら、たとえ武力を行使したとしても、“軍事”紛争に拡大することはありません。安倍晋三首相は、かつて「尖閣諸島に自衛隊を常駐させる」構想を口にしていましたが、どう見ても“軍隊”にしか見えないものを“警察”に代えて配備したら、それこそ宣戦布告するようなことになります。これも「届かぬ市民からの物言い」でしょうが、中国側で事に当たっているのも軍隊ではなくて「中国海警」だということをくれぐれもお忘れなきように。