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犬も歩けば憲法に当たる   その1

3組 佐々木 洋  2014.09.20



哲学の道迷い込み

 「いい歳をしているんだから、そろそろ拡散してばかりいないで収束する方に向ったら」と友人たちによく勧められるのですが、なかなかその忠告通りにはいかず、逆に年々交流の輪が、ひょんなことをきっかけとして次々と広まってきています。「哲学の道への迷い込み」もその一例で、もともとはメンバーのイニシャルを連ねて命名した大学時代のゼミのミニ同期会MIKSで飲み会を重ねていたところに、日本女子大学の関連ゼミにいて当時の私たちにとってのマドンナが「旧姓(森)がMで現姓(桑原)もKだから良いのではないか」という甚だいい加減な理由でMIKSに入ってきたのがそもそもの契機でした。そして、その元マドンナが、あるMIKSでの集まりの際に、「ヘーゲル美学の会」が毎年清里で行っているという「オープンレクチャー」への参加を誘いかけ、それに応じてその常連となり、更にこれが高じて、昨年の8月からは月1回東京で行われる哲学書読者会に参加して“七十の哲学手習い”をするほどまでに哲学の道に深く迷い込む仕儀となってしまいました。

犬も歩けば哲学者と当たる

 私は「哲学」について「気むずかしくて取っつきにくい学者がする超難解な学問」というイメージを伴っていたのですが、清里の「オープンレクチャー」で初めてお目にかかった長谷川宏先生は、そんなイメージとは真逆で、気さくで飄々とした雰囲気を漂わせておられて、書かれていることも話されることも“超難解”どころか分かりやすいものでした。ここで、「哲学門外漢の私にとって狭すぎる門と思えていた哲学は意外と広い門ではないか」と“勘違い”したことが、哲学の道に深入りするきっかけとなるものでした。そして深入りして参加した読書会の最初の課題図書「方法序説」では、その著者デカルトが、一時は払拭したはずの“気むずかしくて取りつきにくい学者”の姿を“超難解”な文章に露わにし、これに次いで現在取り組んでいる第2冊目の課題図書「日本文学序説」でも、“気むずかしくて取りつきにくい”顔立ちをした加藤周一が、面食いの私が写真を見て即座に予想した通りの“気むずかしくて取っつきにくい”議論を並べ立てていて、ヘキエキさせられています。しかし、犬も歩けば棒に当たるで、このようにして歩いてみなければ、名前だけは知っていたデカルトや、長谷川宏先生、加藤周一などといった哲学者の著書に出遭うことができなかったわけですから、「先ずは歩いてみよ」を改めて自分に言い聞かせています。このことによって、友達の忠告と裏腹に“拡散”が更に進むかもしれませんが。

違う道筋で同じ棒に当たる

 小田原のテニスサークル「八幡山LTC」に仲間入りし、そこから、山歩きの会、そしてラジオ体操の「和みの会」に加わったことから、「戦争と平和を考える会」の類に参加するようになったのも、最近の私の交流の輪の広がりの一例です。「和みの会」の最長老におでましいただいて「梅津さんの戦争体験を聴き会」を開催したのをきっかけに小田高後輩の市会議員・植田理都子さんとお知り合いになり、“犬も歩けば棒に当たる”の言が正しいということが次々と立証されてきました。その上、植田さんにご紹介いただいた「8月15日を考える会のつどい」に出席する運びとなり、そこで手にしたチラシを頼りに今度は、おだわら城北9条の会主催の平和憲法学習講演会「憲法9条にノーベル平和賞を!!」を聴きに行く段となりました。しかし、その場で配られた九条の会の趣意書「憲法9条、明日をつむぐ」に発起人として「加藤周一」の名が連ねられていようとは思ってもいないことでした。犬も歩いた別々の道筋で同じ棒に当たったとしたら、さぞやビックリすることでしょう。早速、読書会では「加藤周一がどうしたこうした」と呼び捨てにしているくせに「ほう、加藤周一“先生”が九条の会の発起人を“なさって”いたとは!」と急に“先生”付けの敬語遣い表現になるのですから我ながら呆れた豹変ぶりです。早速、交流の二つの輪に思わぬところで接点ができて、「犬も歩けば憲法に当たる」という喜びを実感した私は、読書会のレポートを送りがてら、読書会メンバー宛に以下のようなメールを書き送りました。

日頃私がその著になる課題図書の「日本文学史序説」についてイチャモンを付け続けている「加藤周一」の名前と写真が、九条の会の発起人の中に含まれていたのでビックリしました。「“気むずかしくて取りつきにくい爺さん”だとばかり思っていたのだがこんな一面もあったのか」と心を入れ替えて、次回読書会(9/11)に備えて第6章をひとまず読了したのですが、「やっぱり、ついてけないなあ、このオヤジには」というのが実際のところです。

哲学者にもできる平易な議論

 そして、読者会当日に、元マドンナがそっと私に手渡してくれたのが「憲法9条、未来をひらく」という題名の小冊子でした。哲学の道に“拉致”した張本人として、私が加藤周一の論調にヘキエキしているのを見るに見かねてのことなのでしょう。読んでみると確かに、他の8人の発起人(三木睦子、鶴見俊輔、澤地久枝、小田実、奥平康弘、大江健三郎、梅原猛、井上ひさし)と並んで加藤周一がそこに書いている「再説9条」と題する文章の内容は、「日本文学史序説」と大違いで、イチャモンを付ける余地がなく、「我が意を得たり」とするものでした(敢えて「再説…」と題する必要もなさそうに見える文章なのになぜ「“再”説」という題名を付けたのか一切解説していないところには、相も変わらぬ加藤周一“持ち前の”マイペースぶりが現れているようにも思えますが)。実際に、私は読書に当たって、疑問に思ったり同意できなかったりする個所には黄色のマーカー、そして、納得できて自分自身の考え方に取り入れたいと思う個所にはピンクのマーカーを、それぞれ付けることにしているのですが、同じ加藤周一の著でも、「日本文学史序説」が黄色ばかりでピンクが僅かしかないのと真逆で、「憲法9条、未来をひらく」のなか「再節9条」には、ピンク・マーカーがやけに多くなっています。気むずかしくて取っつきにくい哲学者であっても、平易で説得力のある文章を書くことができるのです。「“やればできる”じゃありませんか」と今は亡き加藤周一“先生”に遅ればせのエールを贈りながら、ピンク・マーカー部のピンクたる所以を以下に記してみたいと思います。

武力は地域紛争の解決に有効な手段ではない

 加藤周一(これ以降“先生”は省略)、20世紀の後半に戦争の主要な形態となってきている「新しい型の戦争」(国家対民族、正規軍対ゲリラ部隊など)では、「ほとんど常に強大な正規軍の敗北」に終わっている」として「ベトナムでの米軍」と加藤周一がこの小論を執筆している時には進行中であった「イラクにおける米英占領軍」などの例を掲げ、「新しい型の戦争は、そもそも地域紛争の解決に武力が有効な手段ではないことを示唆している」と述べています。多大な戦費を投入している以上、アメリカ当局には国民の前で“敗北”であることを明らかに認めることができないのでしょう。しかし、例えば、イラク戦争の場合、サダムフセイン独裁政権こそ取り除くことができたものの、逆に深刻な民族間の内戦を引き起こし、今また「イスラム国家」という強力なテロ集団の生成を促す結果になっているのですから、“地域紛争の解決に武力が有効な手段ではない”のは確かなことだと思えます。たとえ、非難さるべきところの多い独裁政権であったとしても、少なくとも内戦やテロを封じ込めることには成功していたのですから、此の政権を武力行使によって倒したとしても、代わりに内戦やテロが起きて収拾が付かなくなりのは自明の理です。しかも、イラクの場合には、大義名分のない戦争をアメリカがしかけたのですから、これに抗するものがすべてがテロリズムであったわけでなく、逆に大義名分のあるレジスタンス(抵抗運動)が含まれていたものと思われます。ところが、尻馬に乗ってアメリカのイラク侵攻に対して真っ先に支持の意を表明した時の小泉純一郎首相は、馬鹿の一つ覚えの「我々はテロに屈しない」と言い放つだけで日本がイラクの敵国ではないことを納得してもらう努力もせずにいたため、武力集団にとらえられて命乞いする日本人青年はあたら命を落とすことになってしまいました。

平和憲法は国連憲章の鏡

 一方、「旧い型の戦争」(国家対国家、正規軍対正規軍)については、結局は第二次大戦の勃発を防ぐことができなかった国際連盟の「失敗のみを強調して国際社会の、あるいは世界史の“現実”と称するのは不正確」として、国際社会の“現実”には「失敗にもかかわらず戦争を排除しようとする一貫した意志と、そのために国際機関を創り、強化し、拡大してゆく世界の潮流」があると加藤周一は述べています。ここで重要なのは、「その中心が憲章に原則として戦争の禁止を掲げる国連であることは言うまでもありません。日本の平和憲法と第9条は、国連憲章にあらわれた世界の潮流の先駆的表現」と続けて述べられているところだと思います。ところが、日本の為政者の中には、本来はアメリカの国益を守るために締結された安保条約であるにもかかわらず、これを片務契約とみなして「日本の平和はアメリカの武力によって守られている」としたり、日本が世界でただ一つの原爆被爆国であるにもかかわらず、「日本はアメリカの核の傘の下にいる」と結局は核兵器保有を容認するような発言したりする“卑屈な”考え方が根付いていて、多くの日本国民もこれに盲従しているという“現実”があります。本来なら日本は、平和憲法を押し立てて、“原則として戦争の禁止を掲げる国連”を主導する立場に立たなければならないはずなのですが、アメリカの尻馬に乗ってばかりいるのですから、“日本はアメリカの傀儡”と見られるだけで、とても“独自の正論を発する国”として尊敬されるはずもなく、国連加入諸国の中のone of them でしかなくなってしまうのも無理はありません。アメリカが国連憲章に反した行動をとりそうになった時には諫めて抑制するというのが同盟国としての正しいあり方でもあって、そうすることができるようになって初めて、広い支持が得られて国連での主導権を発揮することができるようになるのだと思います。

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