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日本には立法機関がない?

3組 佐々木 洋  2015.03.21

“異次元の地方創成”は実現できるのか

 小田原市議会議員として頑張っている佐々木ナオミさんがFacebookに次のような書きこみをされていました。

 小田原市の事業も、「コンサル」「アドバイザリー」が多すぎます。先日も総務常任委員会で、「“自分たちで考えて”やったらどうか」と指摘したばかり。行政はコンサルさんのいい営業先だろうし、小田原市職員の脳みそは全てコンサルが請け負ってるんじゃないかしら?と思える任せっぷり。そのうえ、失敗しようが責任はないし。ヘンな仕事だなといつも思います。税金はコンサルさんのお給料のためにあるのではないのだよ。

 このように、市政の問題点を明らかにして主権者である市民に見せていただけるのは有り難いことだと思いましたが、一方では、「どうして他の市会議員さんたちは、同じように怒りの声を上げられ、“丸投げ体質”を変えていこうとしないのだろうか」と不思議に思いました。そして、小田原市に限らず、このような事態は全国の都道府県市町村の政治体制に蔓延しているものと考えられ、これでは安倍首相や石破大臣が“異次元の地方創成”などとノタマワっても成果は上がるわけがないという思いが“確信”に変わりました。


リクワイアメント(要求仕様)を提示する側に

 確かに、高度で複合的なプロジェクトとなると、“自分たちで考える”ことは難しく、「コンサル」や「アドバイザー」などといった専門家の持つ知識やノウハウに頼らざるを得なくなります。しかし、専門家に“丸投げ”することは、自分の家を建てる場合に間取りやレイアウトなどといったリクワイアメント(要求仕様)を何も言わずに設計事務所や工務店などの言いなりになるのと同じですから絶対に避けなければなりません。市民から選ばれた議員さんにより構成される議会(立法機関)が、制作される物ないしはシステムのエンドユーザーである市民にとって最もふさわしいと思われるリクワイアメント(要求仕様)を審議して市役所(行政機関)に指示する必要があるのではないでしょうか。そして市役所当局は、複数の「コンサル」や「アドバイザー」に提案を求め、市議会が提示したリクワイアメント(要求仕様)に最も合致した提案を採択して、発注先決定について議会の承認を得るようにする必要があるように思えます。

国政にも見られる“丸投げ”体質

 国政でも同じようなところがあって、例えば国会の予算委員会でも、国会議員が内閣の提出する予算案に対して「質問」をするだけで良いのかなと常々思いながらTV中継を見ています。国家予算というのは、国民が納めた税金の使い方を決めるものですので、国民から選ばれた代議士により構成される国会(立法機関)が、国民にとって最善と思われる税金の使い方について審議して決定すべきではないかと思うからです。ところが現状は、内閣(行政機関)が官僚機構に作成を“丸投げ”した予算案が国会に上程され、それに対して国会議員が「質問」し、閣僚が官僚の作成する答弁原稿に基づいて関係大臣が回答するだけで、ほとんど修正されることなく、多数決で承認されてしまう形になってしまっているのですから、国会が“国権の最高機関”とされるのは名ばかりじゃないかと思わざるをえません。

反映されない国民の利益

 しかも、予算案の作成過程に、国会からの国民の利益に基づくリクワイアメント(要求仕様)が反映されることは一切なく、各省庁及びそれぞれが縦割り式に管轄している産業の利益を極大化するために練られた予算要求を財務省が査定して政府予算案が決まるのですから、同じ“丸投げ”にしても市政よりヒドイものです。国政では市政以上に複合化した問題の解決が求められているのにもかかわらず、縦割り式の官僚機構から横断的な問題解決のための予算の要求が出されるはずがなく、結局は省益や庁益を反映した予算要求がされ、これに対して、かつて現在国会議員の片山さつき女史がしていたように「予算をつけてあげる」という形になっているのですから、横断的な問題解決能力のある「コンサル」や「アドバイザー」に“丸投げ”した方がまだマシだからです。

“丸投げ劇”の舞台裏

 また、財務省から予算をブン取ってくることは各省庁の担当官の手柄になっていますので、予算を使い残すことなど“もっての外”で、次年度の財務省との予算折衝の手前もあって無理やりにでも使い尽くすのが通例となっています。無駄な経費は使わずに残して国庫に返上することが国民にとっては美徳なのですが、省庁内では罪悪視されているのですから“倒錯”しているとしか言いようがありません。かつて当時の通産省の外郭団体に出向していて、“財政基盤の弱い零細企業を支援するために”補助金を支出する事業に携わっていたことがあります。この時に、補助金支出対象候補について信用調査を行うというので驚いたことがあります。“財政基盤の弱い零細企業”ですから、信用調査をするまでもなく信用能力がないことが自明であり、制作物納入後に支払う出来高払いが原則になっていましたから貸し倒れになる事態もあり得なかったからです。信用調査実施の理由について「倒産して制作物が納入できなくなったら、その分予算が余ると困るからだ」と聞かされた時には唖然としてしまいました。これも税金が省益を守るために使われている典型的な例だと思います。

安倍首相の“法律違反”

 2015/3/4日本経済新聞に「規制…岩盤を崩す…旧弊を超えて」シリーズのうちの「理容・美容 分断70年」が載っており、その中で安倍首相が美容室で髪をカットしてもらっていることについて「厳密にいうと法律違反の疑いがある」という厚生労働省幹部の談話が紹介されています。「美容師が髪をカットできるのは原則として女性客のみ」という規制があるからだそうです。一国の総理大臣さえ無意識のうちに違反してしまうほど形骸化していながら理容業と美容業の融合を妨げる隠然たる壁となり続けている法令がなお変えられず残っているのは、理容室と美容室を分ける法律に議員立法による規制が加わって、それぞれの縄張りが固まったという経緯があるからなのだとか。「議員立法は手をつけにくい」という厚生労働省幹部のコメントには、“臭いものに蓋”をして、議員立法のせいにしてなすべきことをしていない官僚の怠慢ぶりが透けて見えているようですが、何よりここでも「議員立法」なる言葉が普通に使われていることに注意する必要があるように思えます。

「三権分立」の実現こそ「改革の本丸」

 私たちは中学校で「三権分立」を習い、立法権は国会に属するということを学んだはずです。ですから、本来、「議員が立法を行う」のは当然のことであって、「議員立法」というのは「馬から落ちて落馬する」と同じ同義反復語なのですが、この言葉が罷り通っているのは、「議員が法案を上程するのは稀であって、大半の法律は行政府から上程される法案に基づいて立法されている」という現実を物語っているように思えます。そして、国会議員諸氏もこの現状を良しとしていて、立法府の一員であるという矜持の姿勢を失ってしまっているように見えます。先日も、国会の予算委員会で自民党議員が集団的自衛権について「政府は閣議決定事項を粛々と法案化していただきたい」と述べ「議員立法」する意欲が全くないところを示していました。特に、高度で複合化した政治課題については、国会議員の情報やノウハウが不足しているために“自分たちで考える”ことが難しいことでしょう。しかし、国会の場で審議したリクワイアメント(要求仕様)に応じてのみ行政府が法案を上程する形にしないと、「行政府立法」が続き国民の声が法令に反映されない事態が続いて行ってしまうのではないでしょうか。国民の側も、国会議員を、我が社我が団体の利益を守ってもらうための政治献金拠出先だとか、中央官公庁にかけあって地元に利益を誘導してくれた上にウチワやネギを配ってくれる有り難い存在だとか思っていないで、「国民の視点で立法する意欲の旺盛な人物」に投票するようにしなければならないのではないでしょうか。立法機関が然るべく機能して「三権分立」の実態を備えるようにすることこそが「改革の本丸」だと思います。

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