年寄りのつぶやき・主張等


大丈夫かな“ボンボン王国”の日本

3組 佐々木 洋  2015.10.08

 「遅かりし子育て支援」の舞台裏
 安倍首相が、自民党総裁再選会見(9/24)で、「新3本の矢」の一つとして、「子育て支援」を打ち出しましたね。日本の出生率の低下は1948年に始まっており、1989年には合計特殊出生率が1.57に落ち込むという“1.57ショック”を経験していて、「少子高齢化」の進展は早くから確実視されていたのですが、今頃になって「子育て支援」を打ち出して、しかもこの具体策や財源が明らかにされていないのですから、日本の将来が「大丈夫なの?」と逆に心配になってしまいます。「末は博士か大臣か」と言われていましたが、脳(ブレイン)が優れた博士の方はともかく大臣になることが当然と思われている家庭環境でボンボンとして育てられた安倍首相は「大臣になれば何でもできる」という思い込みが強く「少子化大臣を配置しているから大丈夫だ」と心底思っていたのでしょう。ところが、安倍首相を陰で支えているやたらと「三本の矢」好みのブレイン(脳)殿は、「比較的好感度が高い女性議員の中から任命される少子化大臣は内閣支持率を高める客寄せパンダに過ぎない」ということをとっくに見抜いていますから、アベノミクス3本の矢のメッキがはがれてきており、安保法案強行採決で内閣支持率が下がってきたところで、「新3本の矢」を提唱しボンボン首相が素直にこれを受け入れたものと思われます。

 今度は「一億総活躍担当大臣」ですって
このようにブレイン殿の言うことを素直に聞いて学ぶところは安倍首相の美点であり、これがあるからこそ国会での失言を最少限にすることができているのだと思います。臆面もなく「日本の首脳」と自称していながら、実は自分自身の脳に限界があるということを熟知しているのでしょうね。この点では、同じくボンボン育ちでありながら、なまじっか自分の脳を過信する挙句失言を繰り返していた麻生太郎元首相とは好対照のように思えます。しかし、安倍首相のボンボンならではの「大臣」に対する思い入れ発想は相も変わらずで、今度は「一億総活躍担当大臣」選任ときました。先にオリンピック担当大臣に選任されている遠藤某さんが、肝心の新国立競技場建設問題について責任のある発言をする立場を置かれていないのを見ても分かるように、仕事を遂行するのには権限や責任が必要だということはボンボン首相の眼中にないのでしょう。初代スポーツ庁長官に選任されたソウルオリンピック競泳の金メダリスト鈴木大地さんの場合も、所詮は「少子化担当大臣」と同様に内閣支持率向上のための客寄せパンダに過ぎないのではないかと思います。「遠藤五輪相 鈴木新長官に選手強化を要請」という記事が流れましたが、責任権限が定かでないように見える者同士が要請したりされたりしたところで、どこまで“選手強化”の実効が挙がるものやら。


 ボンボン首相にとっては日米安保条約こそ<正義>なのだ
 1960年安保闘争の頃、安倍晋三少年は首相官邸にいて漏れ聞こえてくるデモ隊のシュプレヒコールを聞いて、岸信介おじいちゃんに「アンポって何?」と問いを発したそうです。すると「日本がアメリカに守ってもらうということだよ」と時の宰相は答えたという話です。この時以来、「米国に対する依存と従属こそ正義である」という想念が安倍晋三少ボンボンの骨身にしみ込んでおり、更にこれが長ずるに及んで、「日本はいつまでも守っていてもらっていては良くない。アメリカを守る立場にも回らなければ。」という“戦後レジームからの脱却”という発想につながって「集団的自衛権行使こそ正義」とする思い込みに結びついたものと思われます。プラトン著の「国家」という本に「“法律”と“契約”が<正義>なるものの起源であり、その本性である」という主旨の記述があります。安倍首相が“法律”(憲法)ではなくて“契約”(日米安保条約)が<正義>と考えているからこそ、国会内外で「憲法違反」の声が高まってきたのに知らん顔をして安保関連法案を強行採決させたというのが構図なのだろうと思います。「僕チャン、アメリカ議会で安全保障関連法案を夏までに成立させるって言っちゃたしなあ」と安保法制成立を焦るボンボン気質が垣間見える国会安保法案の一幕でした。

 「アメリカの勢力圏を守る」のがアメリカの<正義>
 アメリカ議会での安倍演説がスタンディング・オベーションで讃えられた(4/30)のは、集団的自衛権発動によってアメリカが「日本に守ってもらえるようになる」と思っているのではなくて、日本の自衛力強化によって「日本を守る必要がなくなる」ことが歓迎されたのだということがボンボンには分かっていないようです。集団的自衛権発動の要件となっている「日本の存立が脅かされる」事態になった時には“敵軍”の戦力がアメリカ軍に拮抗するほど強大になっているので、日本は“友軍を守る”どころか「国民の生命、自由、幸福追求の権利」を守るため“自衛”で手一杯になっているはずなのに、ボンボン首相の脳内には「正義の味方・アメリカは永遠に不滅です」という程度の想念しかないのでしょうね。もしボンボン首相がもう一歩踏み込んで、「日本は自衛力を強化して自分で自分を守るようにしますから、どうぞ沖縄基地を返還して米軍は日本からお引上げください」などと演説をしたらアメリカ議会の議員諸侯から総ブーイングが起こったことでしょう。「日本を守る」ためではなくて「アメリカの勢力圏を守る」というのがアメリカにとっての<正義>なのですから、“敵国”に対する最前線に位置する日本に“駐留軍”を置くことは「アメリカのため」に欠かせないことなのですが、“三つ子の魂百まで”と言われる通り、幼少時に岸信介おじいちゃんに教え込まれた「日本はアメリカに守ってもらっている」という思いはいつまでもボンボン首相の脳内に“駐留”し続けていくのでしょうね。

 ボンボン首相の軽挙妄動が心配
 アメリカの国務省は「尖閣諸島に日米安保条約適用」という公式見解を発表していますが、尖閣諸島が“敵軍”に対する最前線の中でも最先端に当たるところから、これは「アメリカの勢力圏を守る」ため当然の判断だと思われます。しかし、かつて“軍隊”と“警察”の違いもわきまえていない安倍首相が口にしていた「尖閣諸島に海上自衛隊を常駐させる」という構想を日本が実現しようとしたら、アメリカは強く反対するでしょう。日本が海上保安庁、中国が海警と、“警察”同士が対応している分には良いのですが、海上自衛隊が出て行ったりしたら中国も海軍が出動してきて、一気に“軍隊”間の武力抗争の口火が切られることになり、ここから米中全面戦争が勃発することはアメリカの国益にならないからです。安倍首相は「野党の皆さんは“戦争法案”と囃したてて国民に無用な危機感を煽りたてている。戦争をしたくないと思っているのは私たちも全く同じだ。」と語っていますが、ボンボンには「戦争というものが戦争をしたくないもの同士の間で起こってしまう」ということが分かっていないのです。“法律”(平和憲法)こそ<正義>として「憲法違反の安保反対」と叫ぶ声も高まってきましたが、恐らく次の国政選挙の結果はあまり変わらず、ボンボン首相王国が揺るぐことはないでしょう。1960年安保闘争の頃には、今より遥かに強力な国民運動が展開され、安保反対を唱える国民の声が轟いていたのですが、あの時でさえ、その後の国政選挙でボンボンのお爺ちゃんの岸信介政権が敗れるということがなかったのですから。日本には、「平和憲法は日本が押し付けられたものであり、戦わずして平和を勝ち取るなんて理想論であって非現実的」という考えから「“契約”(日米安保条約)こそ<正義>」とする国民が多いからこそ、アメリカ依存の保守政権が存続し続けてきたのだと思います。少なくとも、私たち70歳代の日本人の子供の代までは、「“敵軍”の戦力がアメリカ軍に拮抗するほど強大になる」こともなく、従って「日本の存立が脅かされる」事態になることもないでしょう。しかし、ボンボン首相が「自衛隊の尖閣諸島出陣」などという閣議決定をして“法律”を決める国会を軽視して強行採決するような軽挙妄動をして“誰もがしたくない戦争”が起こってしまうのが心配です。どうぞ、ボンボン首相シンパの皆さんもこの点だけは見張っていてほしいと思います。

 “積極的平和主義”の後遺症

 
安倍首相が唱える「積極的平和主義」というのは「平和を得るための戦争」を<正義>とするものであり、人類が繰り返してきた戦争の歴史を是認するもののように思えます。日本は平和憲法のもと世界に「不戦」を訴えてきたのですが、今回の集団的自衛権の行使を容認した安保法令の成立によって「平和を得るための戦争ができる国」となり、世界中から信頼を集めていた「不戦ブランド」を自ら捨てることになってしまいました。「不戦」の姿勢だけは取り続けていた時でさえ、安倍首相が日本人の人質の命が危機にさらされている中東にノコノコと出かけて行って、「IS(Islamic State)と戦う有志連合側各国に、総額で2億ドル程度支援をお約束します」と発言をして無用に相手の神経を逆撫でするという軽挙妄動をした結果、日本はISから「敵国」と見られるようになってしまいました。今回は更に「アメリカと一蓮托生で戦う国」となることを宣言し「不戦ブランド」を打ち捨てたわけですから、日本を「敵国」と見なす国や政治団体、テロ集団の数はいや増したことでしょう。ましてや日本が「正義の味方」と敬うアメリカが世界中の随所で不正義を働いた挙句、すっかり「嫌われ者」になってきているのですから、日本国民はいつどこで「敵国民」として攻撃の標的とされても不思議ではない状態になってしまったわけです。数日前にバングラディシュで無辜の日本人が、ISの支部を名乗る集団によって殺害されてしまいましたが、これは決して他人事ではありません。これからはウカウカと海外旅行に出かけられなくなってしまったわけですが、「これも積極的平和主義の後遺症」として日本国民は受け止めていくしかなさそうです。この上、平和憲法が改悪されでもしたら、日本人は世界に向けて何を誇りにしていけば良いのでしょうか。日本人のノーベル賞受賞が相次いでいるのは喜ばしいことですが、これを誇れるのは学者か精々学習者集団どまりに過ぎません。この上更に、日本からの「憲法9条にノーベル平和賞を」という申請が検討されて有力候補になっているという「憲法9条を保持する日本国民」がノーベル賞を受賞するようなことになったら日本国民は誇りを新たにすることができて、「憲法改悪」の動きにも歯止めがかかると思うのですが。しかし、ボンボン首相シンパの皆さんはまったく違う考え方をされているのでしょうね。余計な心配をしなくて済むようなお考えがありましたら、是非人助けだと思ってご伝授ください。



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