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新しい生活で WEB11を楽しんでいます 6組 瀬戸章嗣  2014.04.01

 疲れ残りに、処理力低下、もの忘れ、帯状疱疹、坐骨神経痛、これらはいずれも、元気が取り柄で来た私がこの1年間で、加齢を思い知らされた経験です。

 <凡才人生100年>を生きている私としては、ここは一つの節目と考えて、今年は、<選択と集中>と<拘束解除=気ままな生活>で行くことにして、最近は、いろいろな整理と、各種リハビリトレーニングに取り組んでいるところです。

 カレンダーは、未だかなり埋まっていますが、当面半分空きを目指しています。<空き>には、<断食><隠遁><ラマダン>に通ずるご利益があると思えます。<原点回帰><無駄省き><安らぎ>、そして<維持><鍛錬>を思います。時間管理で戒めているパソコンですが、最近WEB11はありがたいと思って見ています。

 <ニュース>で、大文字で、新聞各社の社説やトピックスも読めるんですね。そして、同期の皆さんの文章に、同じ場と時を過ごした者同士が共有する価値感や思いを見つけて、幸せを感じています。

 時は、桜の季節、以前、11期通信で、佐々木さんが福神漬通信として、福島県の桜を紹介して下さった時に、A4で100枚近いプリントをして楽しんだことがありましたが、 3月は、神奈川の桜を三部作で10回まで、歴史紹介と合わせての超大作をありがとうございました。

 山北の者としては、御殿場線の山北駅付近の桜や、大口の文明堤の桜と共に、酒匂川の治水の歴史や、御殿場線の歴史に触れていただいたのを嬉しく思いました。

 そこで、触れられた山北町の名の由来ですが、300年前の富士山噴火で堰き止められた 酒匂川支流皆瀬川の氾濫で、土砂被害を受けた記録が寺に残る山北は、河村城があった城山と呼ばれる地区(225メートル)が東に浅間山、丸山と連なる独立丘陵状の 北側にあるので、自分としては、山北町の<山北>の名がどこから来たのかと思った時に、子供の頃、山北駅周辺の地域が、山北と呼ばれ、その中に、我が下清水とか、田中、鶴野などの昔は村と呼ばれていたらしい部落があって、清水は更に上下に分かれていたりするのに対して、山北地域の周辺は、部落名が独立して地域として呼ばれ、それらが集まって山北町になっていたので、明治以後山北駅ができた頃か、町が出来た時に、山北の名が ついたのではないかと思い、当然のように、山の北側の地域と、漠然と思っていたのですが、今回、小田原から見た佐々木さんには、北の方の山の町と映るのかと面白いと思い、今後の検証を楽しみにしたいと思っています。

 今年のお彼岸に帰った時は、大口の桜は未だでしたが、アサヒビールの工場へ入る辺りの福沢小学校付近で、列になって咲く桜を見ました。墓寺の住職に聞いたところ、 住民が旗を振り、外から桜木一本所有の主を募って、20年計画で進めたらしく、それを 聞いて、昔福沢諭吉がこの地の寺の住職を慕い通った縁で名が付いたという福沢村(現在は南足柄市で、開成町では紫陽花まつりで町を盛り上げている。)らしいと思った ことでした。 松田山の一角に遠目にも見えて咲いていた早咲きの河津桜と同じかと思って聞いたところ違い、ソメイヨシノでもない、違う品種とのことでした。

 ここまで書いて、今日はソメイヨシノ日和。おそらく満開。 先週は、3分~7分咲きだった近くの、2キロの桜並木が続く津田山へ、馬に替ってバイクでの花見に出かけます。



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