そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら
そのうち •••••••••
そのうち •••••••••
そのうち ••••••••• と
できない理由を
くりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に淋しい墓標が立つ
そのうちそのうち
日が暮れる
いまきたこの道
かえれない
これは野田新首相が民主党代表選の演説で引用した「どじょう」の作者相田みつをさんの「そのうち」と題する詩です。お彼岸の墓参りの際、菩提寺の住職から「読んでみてください」と渡された小冊子に載っていたものです。
死を忘れ、無常の命を忘れたとき、そこにしのびよってくる思いが「そのうち」というまのびした心の姿勢であり、生き方でありましょう。
一瞬先の命さえ誰も保証されていません。まして、明日、明後日、来年の命の保証を誰ができましょう。
それなのに私たちはずっと生きておられるような錯覚の中で、何も今日しなくても明日がある、何も今回の機会を無理してつかまなくても、またという機会がある、という思いの中で、はてしなく「今」をとりのがし続けているのです。
わかっているかい
死ぬんだよ
そう、お前さんも
このわたくしも
これは元•永平寺の講師をしておられた小倉玄照老師の詩です。この当たり前のことを、私たちは日常身辺のことにとりまぎれて忘れ、また、あえてそのことから目をそらそうとしております。
死を忘れたとき生もぼける。 (『供養のはなし』青山俊董)
14ページの冊子を読み終えて、先日亡くなられた鍵和田さんを想いだし、私自身反省している次第です。
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