音楽と情景 -1- 日本編
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2015.11.18   4組 吉田明夫

 私の周りにはいつも音楽がある。仕事をしている時も、食事をしている時も、休憩をしている時も、そして眠りに入ろうとしている時も、外出時以外はいつもである。そんなのは煩わしいと思う方もおられるかも知れないが、これは若いときから続いている。まるでアル中かニコチン中毒のように。特に最近はインターネット・ストリーミングやタブレットによる楽曲再生も簡単に手に入れることが出来るし、NAS(Network Attached Storage)に所有している楽曲を全て入れておけば、家中どこでも再生出来る。パソコンとタブレット(iPhoneも)とWiFi環境があれば何でも可能です。

 新聞もタブレットで読む。先日病院で診察待ちをしているときに契約購読をしている新聞を読み切ってしまったので、売店で紙の新聞を買って読んだが、広告が多く老眼鏡をかけないと読みづらく、紙面が大きいのでページめくりも結構大変である。それもタブレットに慣れてしまったからでしょう。それにタブレットならば主張や解説の異なる複数の新聞を読み比較することも出来ます。

 私が小学校に入る頃は、義父が喫茶店兼和菓子屋を経営していたので、店に電気蓄音機というものが置いてあった。レコードはSP盤専用で、針は片面聴く毎に取り替えていた。今考えると不思議なのだが、当時ヘンデルの曲が1枚だけ在った。題名は漢字だったので読めず覚えていない。他は全部当時の流行歌だった。今思うと場違いの感じがする。でも良い印象の曲だったのだが、未だにその曲を手に入れることが出来ていない。

 終戦直後は流行歌
 当時は、岡晴夫の「泣くな小鳩よ」、「憧れのハワイ航路」、近江俊郎の「湯の町エレジー」、藤山一郎の「影を慕いて」、双葉あき子の「夜のプラットホーム」その他奈良光枝、霧島昇等のレコードである。店の従業員に頼まれて、小田原の東宝通りに在った奥津レコード店まで買いに行った。これらの曲は殆ど映画化されていたので、よく父に連れられて観にいった。

 小学校高学年になると所謂ラジオ少年になり、毎日が勉強の代わりに半田小手との付き合いになった。最初に組み立てたのが並4という4本の真空管で成り立つ受信機であった。アルミのシャーシーに手回しドリルで真空管のソケットの穴を開けた。当時のNHKは第2放送で頻繁にクラシック音楽を流していた。また、第1放送では堀内敬三の解説で「音楽の泉」というクラシック番組があり、楽しみに聴いていた。機械いじりがきっかけで音楽に出会ったようである。その頃知ったのがドヴォルザークの新世界交響曲である。当時は第5番とされていたが、最近は第9番とされている。このレコードが欲しくて当時宮小路にあった大村楽器店で30㎝SP盤で5枚組を手に入れた。演奏は映画「オーケストラの少女」で有名なストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団のものである。

 「演歌は日本人の心の故郷」は本当か?
 
その後流行りだしたのが、古賀メロディーの演歌であった。実は1980年韓国ソウルでタクシーに乗ったときのことである。運転手がカセットテープで鳴らしていたのが、どうもカラオケ用の日本の演歌調に聞こえた。私は演歌を好きではないが、その雰囲気は分かる。韓国のタクシー運転手は大方片言の日本語は話せる。そこで「今聴いている曲は日本の何という歌か?」と尋ねると「これは昔から韓国に在る韓国の曲だ」という。20分位の乗車中、4〜5曲聴かされた。どうも古賀メロディーだ。しかし、全部韓国の曲だという。そういえば古賀政男は十代後半までを京城で過ごしていた。恐らくその頃に知った朝鮮半島の曲が、古賀メロディーの原点のような気がする。

 音楽的だった懐かしい童謡
 私たちが小学校低学年だった頃の童謡は何故かクラシック音楽の雰囲気を持っていたように私には感じる。その後段々とその魅力は薄れ、合唱コンクール等で歌われるものには音楽の魅力そのものを感じなくなって行った。今ではAKB48の方がよっぽどましだと思うことさえある。
 「赤い靴」、「みかんの花咲く頃」、「もみじ」、「花嫁人形」、「月の砂漠」等は特に思い出深い。
音楽が粗雑になると童心も粗雑・粗悪になると言えば言い過ぎなのか?

 1900年代初頭、ベルリンフィルハーモニーを指揮した日本人
 山田耕筰(1886〜1965)戦前ベルリン・フィルやレニングラード・フィルを指揮する。近衛秀麿(1898〜1973)1923年ベルリンで指揮をエーリッヒ・クライバーに、作曲をヴァンサン・ダンディに学ぶ。
 山田も近衛も自腹でベルリン・フィルを雇い、ヨーロッパでの指揮者デビューを果たした。最近まで詳しいことは知らなかったが、テレビで戦前の日本人指揮者や作曲家を扱っているのを時々見る。

 戦前の日本人作曲家
 ① 橋本国彦(1904〜1949) ② 山田一雄(1912〜1991) ③ 須賀田磯太郎(1907〜1952)
 ④ 尾崎宗吉(1915〜1945) ⑤ 金井喜久子(1906〜1986) ⑥ 高田三郎(1913〜2000)
 ⑦ 大澤壽人(1907〜1953) ⑧ 安倍幸明(1911〜2006) ⑨ 平尾貴四男(1907〜1953)
 ⑩ 鬼頭恭一(1922〜1945) ⑪ 小山清茂(1914〜2009) ⑫ 川島 博(1933〜)
 ⑬ 清水 修(1911〜1986) ⑭ 芥川也寸志(1925〜1989) ⑮ 近衛秀麿(1898〜1973)
 ⑯ 信時 潔(1887〜1965) ⑰ 貴志康一(1909〜1937) ⑱ 山田耕筰(1886〜1965)
 ⑲ 小船幸次郎(1907〜1982)小田原フィルハーモニーの初代指揮者、私も第2回の演奏会から4組の吉田の龍ちゃんや5組の中村さん達とよく面倒をみていただいた。

 上記のように戦前に活躍した日本人作曲家がこんなに沢山居られたとは、2〜3人を除いて最近まで知らなかった。アジアでもヨーロッパのようにクラシックの流れを継ぐ日本人作曲家が沢山いたことと、最近では海外で活躍する日本人演奏家や指揮者の多くなったことも素晴らしく改めて日本に誇りを持ちたい。


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