2014年秋のふるさと紀行 Home



  2014.12.09     6組 榮 憲道

 今年最後の小田高同期テニス例会は、無情な雨に中止となってしまった。私は例会に合せて2泊3日のスケジュールを組んでいたので、それはそれとして予定通り小田原へ行こうと準備していたところ、佐々木さんから”有志忘年会”の呼びかけがあり、喜んで参加するとの返信メールを送った。

 その11月25日午後5時、鴨宮の酒房「べたなぎ」に集ったのは5人のメンバー(佐々木・今道・辻・杉山の諸兄と私)。先ずは”スミヤキ”なる小田原海岸の魚の話から始まったが、小さい頃よく食べたという佐々木・辻・杉山さんに対し、今道さんと私とが初耳組と分かれた。たまたま「その魚なら今日仕入れてある」という店の若大将に注文を出し、それを肴に楽しい会話が弾んだ。

 もちろんテニスの話が中心であったが、私が配った『シネマスペクタクル』の小冊子から映画のことも話題にのぼった。「一番思い出に残る映画は?」、私の問いに、メンバーからは「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイド物語」「我が青春のマリアンヌ」「陽のあたる場所」など、意外にロマンチックな題名が挙がった。それなりに皆さん映画好きのようなので一安心する・・。

 散会後、矢作の妹夫婦宅に一泊する。互いの健康を祝して一献を傾けた翌日、事前に連絡しておいた天神山の伝筆寺(でんじょうじ)に向かった。北原白秋が小田原時代この境内の一角に居を構え、多くの童謡を創作した寺である。また妻菊子との間に二子をもうけており、波乱万丈の白秋の人生のなかで一番幸せな時期であったといえそうで、彼が自宅に名付けた「木兎の家」に因み,”みみづく寺”とも呼ばれており、その跡地はみみづく幼稚園となっている。 

 実は2012年秋、小田高同期会の帰りにそっと覗いてはいる。後日、吉田明夫さんが前住職と親しい間柄と判り、寺門を継いだ娘さんの浅井皋月(こうげつ)さんを紹介してもらい多少のやりとりをしていたので、改めて伺った次第である。ご主人を交えて1時間近く、白秋にまつわるエピソードをいろいろ聞き、歓談した。辞去の際には「《みみづく寺の白秋さん》という母のエッセイが載っていますからよかったらどうぞ」と『小田原史談』や白秋自筆の短冊のコピーをいただいた。お母さんは幼稚園の園長をされておられるようだ。

 帰り路は、やや遠回りながら山裾を廻る道を教えてもらった。するとこの道は”白秋童謡の散歩道”と名付けられていて童謡入りの案内板が次々と現れる。さらに進むと”からたちの花の小径”が小田原城の要害・大堀切り沿いに続き、雨上がりの森閑とした林を抜けると、小峰配水池からなんと小田高の正門前に出てきたではないか。この歳になって初めて辿るふるさとの道であった。

 百段坂を下り、小田原から三島に向かう東海道線のなかで『小田原史談』をパラパラとめくっていると、会長を務める平倉正さんの《小田原の映画館》に関するエッセイが目にとまった。「気に入りの映画は弁当持参でくり返し何度も観て、セリフさえ覚えた」「満員の観客の人いきれで汗だく、大人の肩越しに精一杯背伸びして見入ったスクリーン」などの記述があった。平倉さんはどうやら私たちと同世代の人らしい。そして、富貴座・復興館・ロマンス座など最盛期7館を数えた小田原市内の映画館も、郊外に出来たシネコンに観客を奪われ、2003年にオリオン座、東宝館が閉館して全て消滅してしまったという。

 三島駅で大学時代の親友Nと待ち合わせ、彼の家に向かった。案内された部屋の本棚には、私も大好きな司馬遼太郎、池波正太郎などの時代小説と並んで、映画の本が連なっていた。
 私が愛蔵している文芸春秋社の『洋画ベスト150』『日本映画ベスト150』に加え、『外国女優ベスト150』『日本女優ベスト150』『サスペンス映画ベスト150』のシリーズ物や、『ザ・ムービー/ビジュアル大百科』なる月刊誌数十冊が揃っているではないか。近況報告のあとは、駿河湾で獲れた新鮮な海鮮寿司をつまみながら映画談義の花が咲いた。「大学時代、月9回が一番最高に観た記録かな」という私に対し「それなら俺の方が上だな」。Nが映画好きなのは承知していたが、これほどまでとは知らなかった。小田急線で通学していた私は専ら「日活名画座」など新宿の映画館中心だったが、埼玉の彼は「文芸座」の池袋や高田馬場の映画館中心だったようだ。

 最近ではNHK衛星TVで寅さん映画全作品を観たという。とても私の及ぶところではない。「男って本当に映画が好きなのね」、奥さんが呆れていたが、就寝前にその各ジャンルの”ベストテン”をメモしてから眠りについた。そのベストワン映画は、外国では「天井桟敷の人々」で日本では「七人の侍」。女優トップではフランソワーズ・アルヌールと久我美子、男優ではジャン・ギャバンと笠智衆と意外な名前となっていた―。

 翌27日は穏やかに晴れ上がった素晴らしい天気である。9時に彼の運転する車で出発、紅葉真っ盛りの修善寺の温泉街を散策した。ちょうど特別公開中の名刹・修善寺の庭園を逍遥し、河原に降りて独鈷(どっこ)の湯に足を浸しつつ同好の士と会話に興じ、「修善寺物語」の悲運の鎌倉将軍・源頼家の墓を詣でる。名物の蕎麦を食した後、前回とおなじく長岡温泉の”天空の湯”を二人で独占、至福の時を過した。長岡の町を眼下に、錦秋の伊豆の山々と11月にしては珍しいほど真っ白に雪化粧した富士山が見事なコントラストを描いている。

 3時過ぎ、彼と別れた新幹線の中でしばし思案した。来年の『11期WEB』の寄稿文は、題材も少なくなった短歌はしばらくお休みとして《映画》のエッセイで1年間通してみようかな。《西部劇》ではマニアっぽいが、普遍的な《映画》なら少しは興味を持って読んでもらえる気がする。そんな思いに確信が持てそうなこの秋の”ふるさと紀行”となった。


                                       (完)

         
        1つ前のページへ