随  筆


私版『わが恋せし女優たち』
2015.05.01
6組 榮 憲道

 七つ森書館発行の『わが恋せし女優たち』という本がある。映画おたくの逢坂剛氏と川本三郎氏の対談を纏めたもので、映画の裏事情を知り尽くした二人の話は興味津々で、映画ファンにはたまらない内容になっている。
 題名からして当然、女優(外国)の話だが、二人の《私だけの大好きな女優》ということで、冒頭から対談の3分の1程までをマイナーな女優のことで費やしている。巻頭言に、逢坂氏が「ジョン・フォードよりジョン・スタージェス、ジョン・ウエインよりランドルフ・スコット、ウイリアム・ホールデンよりリチャード・ウイドマーク」と記す通り、ややへそ曲がり的な対談となっており、そこがこの本の魅力なのであろうが・・・。
 その逢坂氏の一押しは、オードリー・ロング。日本ではジョン・ウエイン主演の「拳銃の町」(1944)という戦後最初に公開された西部劇に準主役で出演している。私もそのDVDを持っているが、その楚々とした風貌は「荒野の決闘」(1946)のキャシー・ダウンズ(クレメンタイン役)と双璧をなす存在なのかも知れない。西部劇には清楚な女性はどうも荒くれ西部男には合わないようで、勝気で男勝りの鉄火女の方が主役を務めるケースが多い。
 一方、川本氏の「彼女のことで熱っぽく語るのは川本さんぐらい」と逢坂氏に皮肉られているのが、パイパー・ローリーである。彼女はユニバーサル映画の青春スターで、タイロン・パワー主演の「ミシシッピの賭博師」(1953)のヒロインであるが、実は私も小学生4、5年の頃、たまたま富貴座でこの映画を観て、その可憐さに最初に好きになった外国の女優であった。
 彼女は、”お姫様女優”に満足せず一旦引退、アクターズ・スタジオで演技を学び直してカムバック、「ハスラー」(1961)でアカデミー助演女優賞にノミネートされる演技派に成長した。
 私は”女性コンプレックス”の塊であった。小学生時代、いつもクラスで1、2を争う小柄な身体で、大柄な女性には引け目を感じていたし、中学生のときには、地味な性格の上にかなりのきび面で劣等感があり、積極的に女性と話す勇気は持ち合わせていなかった。高校時代はほぼ男子校でもあって,女性との関わりは全くといっていいほど無かった。
 そんなことから、小柄でスレンダーな,瞳のパッチリした可憐な女優に憧れた。日本では、野添ひとみ、中原ひとみ、高千穂ひずる、桑野みゆき、八千草薫・・・そしてやはり吉永小百合ということになろうか。
 吉永小百合は、春休みの早稲田大学構内で撮影していた日活青春映画のロケ現場に居合わせ、まだ高校生だった初々しい彼女と、ほんの1メートルぐらいの至近距離からその端正な横顔に見とれた思い出がある。
 そして、私の好きなマイナー女優の一押しだったのは,宝田明主演の「青い山脈」(1957)に雪村いずみ(寺沢新子役)の妹分として出ていた笹るみ子なる小柄な女優で、小リスを思わせるしゃきしゃきした感じに魅せられた。今井正監督の元祖「青い山脈」(1949)では確か若山セツ子の演じた”笹井和子”役であり,ここから芸名の”笹”を名乗ったのではなかったろうか。。
 そんな彼女は、東宝映画に20数本出演しているが、女優としてはほとんど無名に近い存在であろう。むしろ後年コメディアンのなべおさむと結婚し、離婚騒動で騒がれたことがあり、「どうも小柄な女性は性格もきついらしい」と世間に知らしめたことで有名になった。
 実は、私が結婚した”愛妻”も、小柄でキュート、更には料理・和裁・洋裁の長けた典型的な日本的女性のはずであった。しばらくは亭主関白で安穏に過ごしていたが、いつの間にやらすっかり逆転して今では私の方が小さくなっている。こちらも《後の祭り》であった・・・。
 まあそんなことはとにかく、私がスクリーンで観た映画のヒロインとして印象に残った外国女優を10人挙げてみたい。
 ・「死の谷」(1949)       ヴァージニア・メイヨ
 ・「ライムライト」(1952)    クレア・ブルーム
 ・「ミシシッピの賭博師」(1953) パイパー・ローリー
 ・「ヘッドライト」(1955)    フランソワーズ・アルヌール
 ・「スパルタカス」(1960)    ジーン・シモンズ
 ・「草原の輝き」(1961)     ナタリー・ウッド
 ・「ひまわり」(1970)      リュドミラ・サベーリエフ
 ・「眺めのいい部屋」(1985)   ヘレナ・ボナム=カーター
 ・「レオン」(1994)       ナタリー・ポートマン
 ・「初恋のきた道」(1999)    チャン・ツィイー

 そして別格として、スレンダーな肢体に清楚で上品な顔立ち、洗練されたファッションセンスが加わって、今でもファン投票で《人気ベストテン女優》に名を連ねるオードリー・ヘップバーンである。デビュー作「ローマの休日」(1953)から、「麗しのサブリナ」(1954)「戦争と平和」(1956)「パリの恋人」(1957)「昼下がりの情事」(1957)「許されざる者」(1960)「ティファニーで朝食を」(1961)「シャレード」(1963)「マイ・フェア・レディ」(1964)「暗くなるまで待って」(1968)「ロビンとマリアン」(1976)等、ゲーリー・クーパーやケーリー・グランド、ウイリアム・ホールデンやショーン・コネリー、錚々たる男優と互角に渡り合い、皆それなりに評価の高い作品で次々とヒットを飛ばした。彼女と同年代に生きたことに私は幸せを一杯感じている。      

                                            (完)



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