随    筆



 ふと思う 地球、人類に未来はあるのか?
2015.11.01
6組 榮 憲道

 私は来年1月に75歳を迎える。いわゆる”後期高齢者”の仲間入りである。  終戦後の混乱期から高度成長期を経て現在の成熟社会を歩んできたわけであるが、これらの時代はなんだかんだいっても日本の”黄金期”であり、その間のそして現在の世界情勢を鑑みても、これほど長い歳月を”平和日本”で生きてこられたことを感謝しなければならないであろう。
 
 もちろんそんな時代でも、世間を揺るがせた幾つかの大事件は起きている。日本赤軍の浅間山荘事件、オウム真理教のサリン事件、日航ジャンボ機墜落事故、東日本大震災と大津波に福島第一原発の爆発等々、テレビで釘付けとなった事柄は多い。私的には中学一年のとき箱根早雲山の土砂崩れのときは、たまたま学校行事でその現場近くに居合わせたが、危うく難を免れた。阪神・淡路大震災の時には大阪に単身赴任中で、何ヶ月も続く大阪や兵庫の状況を肌で見知っているし、昨秋は仙台の妻のいとこの案内で石巻から女川の地を巡り、4年近く経ってもまだ復旧途上という大津波被害の深刻な状況を垣間見ている。

 そんな私にとって、数多く観た映画のなかで、衝撃的な映像が幾つかある。
 先ずは「チャップリンの独裁者」、日本公開は1960年であるが、製作は1940年、太平洋戦争開戦間近の昭和15年である。世界制覇をもくろみ、絶頂期にあったドイツの総統アドルフ・ヒットラーを徹底的に皮肉り、笑い飛ばした。ラストに、「私たちは他人の不幸によってではなく、他人の幸福によって生きたい」、死刑を宣告されたユダヤ人の床屋チャーリーは、誰にも冒すことの出来ない人間の尊厳、自由の大切さを訴えた大演説をぶつ。”反ナチ”に賭けたチャップリンの正に命がけの作品であろう。

 そして、シドニー・ルメット監督・ヘンリー・フォンダ主演の「十二人の怒れる男」(1957)。1人の陪審員のちょっとした疑問から、確定しつつあった黒人少年の有罪が覆る冤罪事件、日本でもいくつか起こっているが、人間が人間を裁くことの怖さ、恐ろしさ。デモクラシーの思想は”多数決”として理解されているが、本当は少数派の意見にも耳を傾けることを教えてくれた。

 ウォルフガング・ベーターゼン監督ダスティ・ホフマン主演の「アウトブレイク」(1995)は、猿を媒体として、すさまじい伝染力と死亡率を持つエボラ出血熱に侵食された町をアメリカ陸軍が封鎖、住民もろとも抹殺しようとする細菌戦争の恐怖を描いている。単なる空想小説の映画化と考えていたが、近年そのエボラ熱やMERS、SARS騒動が拡大したとすると、隔離政策の究極の選択として、決して絵空事ではないような気がしてきた。

 「博士の異常な愛情」(1963)では、鬼才スタンリー・キューブリック監督が、核戦争の恐怖を、シニカルなタッチで奇妙なコメディに仕立てた。無能なトップのボタン一押しで核戦争が起こる・・・ピーター・セラーズが一人三役を演じ、笑い転げながらも背筋が寒くなる映画であったが、米ソの核を巡って一触即発となった”キューバ危機”を、ケネディ大統領らホワイトハウス側から描いたケヴィン・コスナー主演の「13ディズ」(2000)は、実際の会議テープや膨大な資料を基に沿って製作されたもので、生身の緊迫感が伝わってくる。


 フランクリン・J・シャフナー監督、チャールトン・ヘストン主演の「猿の惑星」(1968)は核戦争で壊滅して、人類は滅び、猿の世界となった地球を舞台とした異次元の映像で、衝撃的なラストシーンは今でも鮮烈に甦ってくるし、スティヴン・スピルバーグ製作総指揮ミミ・レダー監督の「ディープ・インパクト」(1998)。小惑星の海洋落下による大津波が地球各地を襲う映画であるが、その衝撃波の大きさは、尋常でない恐怖を呼ぶ。

 日本では、日本海溝の異変から大地震・大津波・火山噴火に見舞われた列島が壊滅してゆくという小松左京原作・森谷司郎監督の「日本沈没」(1973)は、2012年にも再映画化されたが、最近の状況を先駆けているようだ。
 そして、「風の谷のナウシカ」(1984)である。中学校の息子に誘われ付き合った作品であったが、冒頭から引き込まれた。古典文学「虫めづる姫君」をヒントにギリシャ神話や「デュ-ン・砂の惑星」などのエッセンスを詰め込んで、《火の7日間》という最終戦争の結果、壊滅寸前になっても争う人間社会と、再生への希望を”腐海”とそれを守る”王蟲(オウム)と《風の谷》の王女ナウシカに託した物語、宮崎駿監督の平和への祈りをこめた日本アニメ界の最高傑作と考えている。

 私は、高度な知識を持った地球外生物の存在は正直疑問であり、「未知との遭遇」(1977)、「エイリアン」(1979)、「E・T」(1982)などの世界は有り得ないし、高知能のロボットや猿が人間を支配するようなことはないと思っているが、中小惑星との衝突や富士山の大噴火、局地的核戦争の勃発などは、決して”想定外”などと軽んじてはいけない・・・。そして私は、太平洋に沈んだとされるムー大陸や、大西洋に沈んだとされるアトランティス大陸は存在したと思う。中南米等のいろいろな遺跡や遺構もその名残りではないかと考えている。きっと何らかの脅威的要因で破滅・消滅してしまったのであろう。
 地球は年々おかしくなってきている。世界各地の異常気候に加え、頻発する民族紛争、宗教対立、人種問題・・・日本でも風速80米を超える台風や次々と起こる火山噴火、私が今住んでいる長久手の丘で10年前(2005)開催された《愛知万博》の東芝未来館では、太陽の消えた暗黒の大地に、烈風だけが吹き荒ぶ地球の”未来”を巨大スクリーンに映し出して警告を鳴らしていた。近い将来人類の愚かさか自然の脅威かどちらかで、地球は”次なる”破滅の道を辿るのではないかと、少なからず危惧している私である。
                                        (完) 



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