随    筆



 「人生の最終章を迎えて 」
2015.12.01
6組 榮 憲道

 特別優れた映画とは思わないが、来年早々に”後期高齢者”となる私の琴線に心地よく触れた2本の映画がある。そのことを記して、私の勝手なる”映画エッセイ”の締めくくりとしたいと思う。
 その〔1〕は、4月版エッセイ『心がほっかほかになる映画』の一つに挙げたイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)である。「愛のテーマ」。監督はジュゼッペ・トルナトーレ、そしてマカロニ・ウエスタンで名を挙げたエンリオ・モリコーネが音楽を担当して、叙情味溢れたメロディを届けてくれる。1950年代のイタリア南部のシチリア島が舞台、村にただ一軒だけあった映画館《パラダイス座》の映画技師アルフレード(フィリップ・ノワレ)と、映画好きの少年トト(サルバトーレ・カシオ)の世代を超えた交流や、二人を取り巻く村人たちの生き様を描き、アカデミー外国映画賞を獲得した佳品である。
 1950年代といえば、私が小学校の高学年から中学・高校、そして大学に至る青春時代である。それはまた、スポーツは野球、大衆娯楽は映画といった戦後間もない日々とオーバーラップして、懐かしさが一層こみあげてくる。

 最近になって、123分の劇場公開版とは大きく異なる、映画祭出品用の175分の”完全オリジナル版”を長久手市の図書館から借りてきてじっくりと鑑賞した。その違いは、劇場公開版では全てカットされて出る幕のなかったエレナ(ブリジッド・フォッセイ)が、青年トトの恋人として重要な役を演じることである。その名を聞いて思い出す人がきっといるかと思うが、仏映画「禁じられた遊び」で薄幸の少女ポーレットを演じた彼女である。
 その完全版は、”心がほっかほかになる”ハッピーな映画ではなく、トトが、少年から青年(マルコ・レオナルティ)、そして成人(ジャック・ペラン)として辿ったほろにがい人生の軌跡が切々と綴られる。
 青年トトは1年の兵役を務め上げ帰郷するが、エレナは二人の結婚に大反対した”エリート”の父母に抗し切れず姿を消していた。そんな彼にアルフレードは、「お前の将来は前途洋々だ。村を出ろ、長い年月帰るな。年月を経て帰郷すれば昔なじみや故郷に戻ってこれる」、そして「人にはそれぞれ従うべき星がある」と諭す。トトは、首都ローマで映画監督として成功するが、どうしてもエレナを忘れることが出来ない。そして、自由奔放な生活を送る彼のところに、アルフレードの死を知らせる母親からの手紙が届く。30年ぶりに帰郷、葬列に加わり、図らずも彼女と再会するが・・・。

 噛めば噛むほど味が出る映画があるとすれば、この映画は最右翼かも知れない。もし私が故郷・小田原周辺に居を構えていたら、私の人生は180度違った形になっていたであろう。ほろ苦い気持ちがこみあげてくる作品であった。
 その〔2〕は、ロブ・ライナー監督の「最高の人生の見つけ方」(2007)という作品である。「主題歌」。たまたまDVDとCDに埋まった息子の部屋から掘り出した映画のなかの一本であったが、こちらもまた味のある内容であった。
 主演は、アカデミー賞に12回もノミネートされ「カッコーの巣の上で」と「恋愛小説家」で主演男優賞、「「愛と追憶の日々」でも助演男優賞を獲得した個性派俳優の代表格ジャック・ニコルソンと、「ミリオン・ダラー・ベイビー」でクリント・イーストウッドと競演、そのいぶし銀の演技でアカデミー助演男優賞を獲得した黒人俳優モーガン・フリーマン。その二人が絶妙のコンビを組んだ”ヒューマン・コメディ”である。
 共に末期がんに冒され、共に余命数ヶ月と宣告された二人の男が、たまたま病院で相部屋になった。エドワード(ニコルソン)は、一代で幾つもの病院やホテルを経営、巨大な富を獲得したが、自分本位の性格で結婚に何回も失敗、たった一人の娘にも愛想を付かされて絶縁状態。一方、カーター(フリーマン)は、頭脳明晰で歴史学の教授を目指すが、最愛の恋人が妊娠してしまい大学を中退、自動車整備工となって長年家族を守って頑張ってきた。実は、この病院の経営者もエドワードだが、「一室二床、例外はなし」という彼自身の経営方針で、止むを得ず二人部屋と入ったという、笑えない(いや、笑える)裏事情があったが、《同病相哀れむ》二人が次第に心を通わすようになっていく・・・。
 原題は「The Bucket List」、即ち”棺桶リスト”である。このカーターの〈死ぬ前にやりたいこと〉のリストを知ったエドワードが、その財力を基に実行に移す。お互いが憎まれ口を叩き合いながら、スカイダイビングや、ムスタングGT350でのバトルレースを共有。自家用ジェット機で、アフリカではサファリを体験したりピラミッドの頂上に登り、アジアではタジ・マハール寺院、ヒマラヤを巡り、万里の長城をオートバイで疾駆する冒険旅行を重ねてゆく。神の摂理か、香港での”ある出来事”から旅行を中断して愛妻のもとに戻った夜、カーターが倒れてしまう。エドワードは、絶縁された娘の家に向かうが果して・・・。
 〈荘厳な光景を見る〉―ー相前後して亡くなった二人の遺骨は、最後に残ったカーターの「The Bucket List」に従い、エベレストの山頂に仲良く葬られたところでエンディングとなるが、笑いと涙に溢れたこの映画、私の〔死ぬ前にもう一度観てみたい作品List〕の最右翼となった。

 「終りよければ全てよし」という言葉があるが、古希を過ぎてから〔WEB11〕や〔同期テニス会〕を通して高校の仲間との親交が復活して、帰郷の回数が多くなった。遊行期である。身体が動けるうちは、行きたいところに行き、やりたいことをやり、故郷や会社の友と旧交を暖める、そして最愛の女房に看取られて、悔いない最期を迎えたいと思っている。        (完)

《映画エッセイの終わりに》
 この1年間、私の勝手な”映画エッセイ”は、これにて幕引きとさせていただきます。読まれた方が何人おられたか判りませんが、私として、相変わらずの手作りの冊子ですが、これからこの一連を纏めたいと考えております。ページの関係で、上下2冊にして来春には完成するつもりです。もし、ご希望の方がおられましたら、出来次第お送りいたしますので申し込みお待ちしております。もちろん送料も含め無料で配布いたします。
 こんな折、大女優・原節子の訃報が飛び込んできました。我が家にあるたった1本の彼女のDVD「麦秋」(1951・小津安二郎監督、鎌倉を舞台にしたヒロインの物語で「東京物語」の前編のような作品)を改めて観て、その品のある演技を偲びました。映画万歳!!


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