随  筆


2015 新春だより
2015.01.17
6組 榮 憲道

 その1 元旦・西宮三社詣で

 いつもは元旦にやってくる茨城の息子一家が、犬を飼った関係で今年は自宅で正月を迎えるという。どこにも出掛けずのんびりと 過ごすのもいいかとは思ったが、出好きの私である。少し考えた末、久し振りに西宮タートルクラブの《元旦三社詣で》に参加しようと決断した。この会は関西 在住の時(35歳頃)加入したランニングクラブで、元旦6時に練習場所である武庫川河川敷に集合して、西宮市の関西ではよく知られた門戸厄神・広田神社・ 西宮戎神社などを、軽いジョギングで巡拝する毎年恒例の行事である。
 ところが、大晦日から元旦にかけて、大寒波が日本列島を襲うとの予報である。一時は諦めかけたが、《三社詣で》が中止になった場合は雪の京都もよきかなと気持ちを入れ替え、大晦日の夜11時過ぎ、勇躍名古屋を発った。

  ・雪降るとう予報ものかわ大晦日〈紅白〉見終えやおら出(いで)発(た)つ
  ・除夜の鐘聞きつつ向かう初旅は走友待てる西宮の郷
  ・朝四時に金龍亭のラーメン食(は)む道頓堀は若者満てり                    ・  ・  ・元朝の近鉄・阪神乗り継いで暁闇(ぎょうあん)深き〈武(む)庫川(こ)〉に降り立つ
  ・朝まだき次々浮かぶ友の顔、賀詞のあいさつ川辺に弾む
  ・厄神さんで〈厄除カレンダー〉頂きぬ 我が家の厄歳だれかおるらん
  ・雲間より初日鮮らに顔出せり 拍手、歓声、しばし合掌
  ・着膨れに靴ずれ・寝不足加わりて広田神社を走り止めとす
  ・知恩院・平安神宮・八坂社と古都の初春ゆるり言祝ぐ
  ・彦根城、琵琶湖大橋雪のなか新快速で家路急ぎぬ

 午前中の京都は冬晴れであった。しかし、午後1時過ぎ京都駅を出たちょうどその頃降り始めた雪は、3日の時点で20センチを 越える61年振りの大雪となったようである。そして、帰宅してから確認すると女房と娘婿が小厄とわかり、厄払いしなければとカレンダーを丁重に仏壇に供え た。

 もう来年の話では鬼も笑おうが、都合よければまた参加して、今度の京都は八坂神社を基点に高台寺・清水寺のコースを歩こうかなどと夢見ている。


 その2 箱根大学駅伝

 テレビが完全中継するようになってから、私の正月2日・3日は、箱根駅伝が中心になっている。家族全員がまだ寝入っている早朝にそっと起き出して、老犬サラの散歩をすませると、おせち料理や仙台からの漬物を並べ、日本酒か焼酎でちびりちびりやりながらテレビに見入る。
 その今年の往路は大混戦で大いに楽しめた。各区1位が入れ替わった中で、大本命の駒沢大学が最終5区で先頭に立つ。やはり予想通りかと思ったが、ここからドラマが始まった。
 3年連続優勝を目指す東洋大学と、ほぼ同じ2位でタスキを受けた青山学院の神野大地選手が、当分破られることはないと信じられていた4年前の《山の神》 東洋大の柏原竜二選手の記録を塗り替えるまさかの快走で大逆転した。「記録は破られるためにある」とはいうが、まさかこんなに早くその日がくると は・・・。翌3日の復路は、勢いに乗った青山学院が独走、10人中4人が区間最高、メンバー全員が素晴らしい走りで、往復共新記録で初優勝を飾った。
 小田原生まれの私にとって、湘南海岸から箱根芦ノ湖のゴール地点まで、懐かしい思い出につまった道筋である。また優勝した青山学院は息子の母校であり、 2位の駒沢大学は兄、4位の明治大学は私の弟・妻の弟の出身校、、そして私は今年5位となった早稲田大学出身である。いやが応にも盛り上がった。

 来年は更なる混戦が予想され、出雲路・伊勢路・箱根路に競う大学駅伝が一層楽しみになってきた。


 その3 大腸ポリープ手術

 正月明け早々の6日、名古屋・今池の水野医院で大腸ポリープ摘出手術を受けた。朝10時からの内視鏡による手術は 15分で終了、1時間半の点滴を受けて午後には帰宅した。これが3度目で良性とわかっていたので、さほど心配していなかったが、きついのはその前日からの 1週間に亘る節制生活である。
 酒は絶対駄目、食事は流動食、2,3日は犬との散歩も禁止された。テニスも歌を歌うことも禁じられる始末で、短歌やエッセイを推敲したりCDで音楽を聴いて気分を紛らわせ、図書館やビデオショップから借りたDVDを観て、一日一日早く過ぎ去るのを待った。
 R・オリビエ、M・モンローのコメディ「王子と踊り子」や、昨秋逝った高倉健さんを偲び、雲南省の山村を舞台に父子の愛憎を切なく描いた「単騎、千里を 走る」といった悪人が一人も出ない心温まる作品、気分転換に最適な痛快西部劇、G・クーパーとB・ランカスターの「ヴェラ・クルス」などである。
 そして五味川純平原作・山本薩夫監督で日活が総力を結集した超大作「戦争と人間」を改めてじっくりと観た。昭和3年に始まった満州事変からノモンハン事 件―ー太平洋戦争にいたる激動の流れを知るにつれ、戦後70年、平和の中で生きてこられた自分がなんと幸せだったかを実感できた。

 新冷戦時代ともいわれる世界情勢、異常気象の多い昨今ではあるが、今年が少しでも穏やかな年であることを願いつつ「私の新春だより」の筆を置きたい。
                                        (完)


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