随    筆


 我がテニス、我が仲間
2016.02.03
6組 榮 憲道

 トス挙げる右手かすめてトンボ翔ぶテニスコートは里山のなか

 私が名古屋の東、長久手町に移り住んだのは1990年代後半である。長久手といえば、羽柴秀吉と徳川家康が、織田信長亡きあと覇を争った「小牧・長久手の戦い」で知られる歴史の町であるが、名古屋市と豊田市のベッドタウンとして年々発展して数年前に市に昇格した。「愛知万博」を開催した処としても全国的にも知られるようになり、名古屋近辺で”憧れの街”となっている。
 昨年12月20日の朝日新聞『でら日本一』(東海版)には、「長久手市は、若い街だ。住民の平均年齢(2010年)が37・7歳で、全国平均より7・3歳若く、全国791市を対象にした《住みよさランキング2015》の総合評価で全国第2位、「快適度」では第1位で・・・。今後も大型店の立地計画もあり、まだ上位が続きそう」とある・・・。

 私は、定年(2001年)を迎えた翌年、退屈しのぎに地元のテニス講習会に参加、その折知り合った女性から仲間に誘われたのがきっかけで小さなテニス愛好会の仲間に加わった。毎週土曜日の午後の2時間が定例の練習時間で、以来既に10余年が経っている。その長久手には、口論義(こおろぎ)公園や愛・地球博記念公園に素晴らしい県営コートがあり、市営コートが3ヵ所ある。しかし、土曜日の午後ともなると確実に確保出来る保証がない。その中で、通称”市民コート”(当時は町民コート)は一番辺鄙な場所にあり、競争相手も少なくほぼ確実に予約が出来るので、ここで毎週楽しんでいる私である。

 そこは、里山を開いた昔ながらの土のコートで、思いがけないイレギュラーバウンドに悩まされ対応が難しいが、慣れればそれも一興である。東は竹林、北は農家の柿の木群、西は雑木林に野良畑。そして南には秀吉と家康が天下取りを争った長久手古戦場を見下ろすが、その前面では、前記新聞にある大型スーパー「イオン」がこの秋開業の予定で建設を急ピッチに進めている。更に少し東の丘陵の先には、世界的家具店「イケア」が東海地区初の出店予定であり、3年後には全く様相が異なる風景になりそうな処にある。
 そのメンバーは、私を除き全て入れ替わっている。現在は6人(男性2人、女性4人)だが、東京・大阪・北海道・長野・名古屋市内と出身はバラバラで、地元生まれは一人もいない。その中に、2年ほど前から加わったN夫婦がこれまでのぬるま湯的雰囲気を一掃させてくれた。ご主人は私と同じ左利きで、鋭い切れ味のショットを放つ。そして奥さんは動きも軽快で、正に男性顔負けの強烈なボールをバックライン近くに寄せてくる。そして長い付き合いの奥さん連中は60歳代、他でも練習しているようでかなり進境著しい。

 一方、私は12年前にガンで胃の半分を切除している。体重は10キロ減り、スタミナが極端に落ちた。すぐに息切れしてしまう。年とともに衰えを増す私は、ついついロブを上げたり逆サイトを衝いたりして、なんとか対抗している状態で・・・その上、3年ほど前、真後ろに大きく跳ねたボールを追いかけて退る際、足をもつれさせてコンクリートブロックの防御壁に後頭部を強く打って流血、救急車を呼ばれそうになったが、娘婿の助けで愛知医大病院に行き、事なきを得たこともある。今年になって、若かりし頃バドミントンで痛めた右ひざの痛みが再発してきて、思うように動けなくなってきている始末である。
 そしてここに、多分長久手一と思われるテニス気狂いグループがおり、私たちの前の朝8時から午後2時まで頑張っている。ほとんど70歳前後であるが、その中には同年輩では市内でもトップクラスのメンバーも2、3人いる。私が何回挑戦しても叶わない猛者たちだが、ときたま彼らの仲間に入ったり、我がグループが人員不足の場合は応援を依頼しており、好い刺激を受けてきた。

 そんなところへ、1昨年(2014)春、私の小田原高校同期で、「WEB11」という同期の機関誌で親交を深めていた今道さんから、「同期テニス会が発足したので、もし都合よければ参加を」との誘いがあり、初参加したのは3月の例会であった。「私でも大丈夫かな」とひやひやの気持ちであったが、確かに多士済々であった。小田原の硬式テニスの創成期の面々である根岸・辻さんに、今でも地区大会で活躍する高橋(恐れ多くも白山中学時代コンビを組んだ)・斉藤(同じく白山中学出身の1年後輩)さんの現役プレイヤー、腎臓博士の異名を持つ杉山さんや原子力の権威なる太田さん、更には”週五郎”という自他共に認める佐々木さんというテニス狂などから力強いボールが来る。更には今道・辻・斉藤さんらの奥さんたちは、むしろ彼ら以上に強敵であった。何とか互角近くに対抗したつもりであるが、やはり力不足を痛感した。いくら私でもラブゲームで負けるのは情けないし、口惜しい。フットワークとコントロールで何とか対抗しようと努力するようになった。

 昨夏、同期テニス会のあとの恒例の飲み会で《名古屋場所》の話が出てきた。それこそ”酒の肴”の冗談との認識だったが、この1月の新年宴会でどうやら実現しそうな状況になってきた。今慌てて検討中の私である。折角の名古屋を満喫してもらうには、名古屋城や熱田神宮などの名古屋名所を巡り、味噌カツ、味噌煮込みうどん、ひつまぶしといった名古屋めしとか、手羽先、大アサリという珍味を味わってもらいたい。しかし、万一天候に恵まれず、テニスが出来ない場合は・・・いろいろ考えると頭が痛いが、「ケ・セラ・セラ」の心境になってきているが・・・。
 とにかく、こんなテニス仲間たちと出来るだけ長く付き合ってゆきたい。細く長くテニス人生を楽しみたい、と考えている2016年初春である。
 ・七十五歳。喜寿いや何とか傘寿までコートに紡ぐ友との絆        
                                      (完)



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