随    筆



 小田原高校同期テニスツアー顛末記
2016.10.21
6組 榮 憲道

 プロローグ


 9月29日、小田高同期テニス愛好会の名古屋ツアーが決行された。この名古屋遠征の話が出てきたのは一年半も前、杉山さんのマレーシア遠征の話と併せて酒の席の戯れ言と気楽に応じていたが、つい興に乗って私が試案を纏めたことから具体化してしまった。
 そして、まさかの話が実現したその当日を前に、夏の終わりから続く天候不順が大きな不安となってきた。毎週のように発生し日本列島に次々襲いかかる台風に加え秋雨前線がずっと居座って、東海地方でも9月の晴れた日は二、三日程度、さて無事にテニスが出来るか。天気予報に一喜一憂しながら当日を迎えた次第である――。
 早朝起き出してみると、前日の昼過ぎからの雨がさらに勢いを増している。今日は〈観光コース〉に変えざるを得ないと覚悟した9時過ぎになんと雨はぴたりと止んだではないか。すぐ愛知万博記念公園に電話を入れると、「大丈夫、出来ますよ」との明るい声に勇躍名古屋駅へ向かった。


  テニスは順調に


 名古屋駅の新幹線出口で、既に先行して柳橋卸市場や円頓寺商店街を巡ってきた佐々木さんと共にメンバーを迎え、地下鉄藤が丘駅前の食事処「嘉文」に案内する。自宅に戻り万博コートに先行したが、これまでの長雨に遭ってもその影響のかけらも感じられない絶好のコンディションである。
 「小田原テニスガーデンはオムニコートだから、雨が止んだら10分後でもやれるよ」という辻さんの話は以前聞いていたが、いつも里山の土のコートで雨の心配に苦労している私は半信半疑でいた。
 そして一方、翌日予定の口論議公園コートはクレーであり、「今日はもう出来ないし明日もどうかな」という担当者の話で、万一を考え万博コートに保険を掛けたが、夕方になって改めて確認すると、「これから整備するので明日はやれます」・・・天候不順の続くこの時期に2日とも天候に恵まれ、順調にテニスを楽しむことが出来た。誰か晴れ男か晴れ女がいたのかも❤❤❤
 そして、私は出だしの2試合を4/0のスコアで完勝した。ところがそれからはジリ貧状態となり、翌日はほとんど負け続け、途中では足元にきたボールに対応出来ずに転倒、一瞬クラクラッとなった。「あと何年テニスが出来るのだろうか?」体力と実力の無さを痛感する。
 そんな私の助太刀として、我が長久手の3人の仲間(中村夫妻と斎藤さん)が参戦してくれた。それぞれ特色のあるプレースタイルを持っており、きっといい刺激になるし組み合わせができる、そして何よりも小田原の女性3人組にとって、《女性だけでダブルスが出来る、名古屋に来てよかった》。喜ばれる筈だとの予感があったが、事実大熱戦となったようである。
 長久手の3人に後から聞いてみたら、「女性の皆さんはみんないい人揃いだし、後期高齢者の男性陣は本当に元気でいいですね。いつかまた一緒にプレーしましょう」とのことであった。


「金泉閣」の夜 理系の友と・・・


 宿泊先として《名古屋の奥座敷》猿投温泉・金泉閣を用意した。ここは長久手から近くて、玉川(秋田)三朝(島根)と並ぶ良質な天然ラドン温泉として知る人ぞ知る名湯である。私が幹事を務めている《歌曲の会》の新年会は毎年ここなので、多少の無理も利いてくれてもらえる。
 そして夕食会は6時半から2時間、和気あいあいの雰囲気で進んだ(と思っている)。この席で私が漏らした言葉がある。今回同席した辻さん、今道さん、佐々木さん、杉山さん、斎藤さん・・・奥さん連はどちら側か知らないが、すべて理系ー―サプライズの一環として金泉閣往復のカーステレオには藤本さん④(広島)のフルート演奏のCDを流し、夕食会の半ばには、名古屋市名東区に住む掬川さん④と豊田市の酒井さん③からメールや電話で伝えられた近況報告を披露したが、彼らもみな理系の人である。
 10月3日、オートファジーなる研究で大隅良典東工大栄誉教授のノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。日本の科学関係の3年連続という快挙である。今我が国を明るくしているのはこの科学界と、錦織・大谷・羽生選手などのスポーツ界であろう。
 そんな私は、この同期テニス会の常連では唯一の文系であり何ともいえぬ不思議な縁を感じているが、とにかく理系万歳!テニス万歳!そして・・・、


カラオケ万歳! 囲碁・・・万歳!


 これまで何回か小田原高校関係の宴会に出席しているが、カラオケは用意されていても全く蚊帳の外、多分今回勧めても無理であろう。ただ最後くらい何曲か皆で合唱するのなら・・・という淡い思いでキープしておいた。
 その夕食会が残り時間30分となる。楽しくみんなで歌う「箱根八里」で恐る恐るスタートしたが、男性連の加山雄三の「旅人よ」などのあと、女性連が大ハッスル、ペギー葉山の「学生時代」や島倉千代子の「人生いろいろ」などを熱唱、フィナーレの「青い山脈」では全員肩を組んでの大合唱、《寮歌祭》もかくやの盛り上がったひと時であった・・・!?。
 今後小田原に出向いたとき、突然の雨で中止となった場合でも、恒例の懇親会にカラオケも加えてもらえればもう何も心配しない。いや、雨を期待しながら小田原に向かおうか。そして、最低三局を打たなければやった気がしないという囲碁好きの斎藤さんを中心に辻さん今道さん太田さんも加えて囲碁大会としてもよし、楽しい交歓は続けられそうな予感である。・・・これは冗談。


名古屋メシ


 《名古屋メシ》はごく最近全国的に知られるようになった名古屋発祥の料理である。ひつまぶしを筆頭に鶏の手羽先唐揚げ、味噌煮込みうどん、味噌カツ、きしめん、カレーうどん、あんかけスパ、台湾ラーメン、名古屋コーチン料理など、折角名古屋に来られるなら《なごやめし》を味わってもらいたい・・・。
 「金泉閣」の夕食は普通の旅館料理と聞いていたので、早めに名古屋駅に到着しエスカの奥にある「風来坊」で”手羽先”を買い付ける。手羽先の味付けは店ごとに異なるが、私は胡麻をまぶしカラッと仕上げた「風来坊」の手羽先が大好きなので、夕食時に一本づつだが味わってもらった。
 そして、《名古屋メシ》人気№1のひつまぶしは昼食の折りどこかの店で・・・当初は私の犬友達の経営している長久手市内の専門店を考えたが、.午後四時が門限の名古屋城を前提にすると多少きつい場所にあり、藤が丘の生保会社の事務員だった娘がランチでよく利用していたという小料理屋の「村上」とした。
 名古屋の料理は八丁味噌など赤みそをベースにした濃い味付けに特徴がある。比較的淡白な料理に慣れた小田原の皆さんには多分キツメだったと思うが、これが《名古屋メシ》の醍醐味である・・・。
 そして、午前中のテニス、午後は重い荷物を引きずっての地下鉄移動に名古屋城の本丸御殿と天守閣巡りで、さすがタフの皆さんも相当疲れて食欲も減退したようである。夕食は名駅エスカ地下街にある大須発祥の老舗「やぶ福」の盛りソバやざるそばとなったが、さすが佐々木さんだけはきしめん定食を完食、《週五郎》の面目躍如を知らしめた。


長久手、自慢話


 無事名古屋ツアーは済み、その後の皆さんとのメールでまずまず満足して帰宅されたことを知り、私にとって細かい点で反省点のいくつか残る名古屋招致のツアーであったが一安心した。
 さて、私の住んでいる長久手市は、豊臣秀吉と徳川家康が天下を争った《小牧・長久手の戦い》でよく知られる古戦場の地であるが、地下鉄に加え東名名古屋インターにも接している。長久手市内とその周辺には九つの大学があり全国791市を対象にした《住みよさランキング2015》の総合評価で全国第二位、「快適度」では第一位となっている。
 たまたま翌日の10月1日の朝日新聞経済欄11面トップに、《長久手出店ラッシュ》の大見出しで四段に亘り特集されていた。
 「長久手市はトヨタ自動車の本社のある豊田市と名古屋市の間にある。2005年の愛知万博で新交通システム「リニモ」が開通し、住宅地としての魅力が上がった。市の平均年齢は37・7歳、全国一の若さである。また自然増の率は0・89%、こちらも全国の市で最高だ。住民の〈若さ〉と〈人口増〉は全国的にも際立つ」とある。皆さんを案内した《古戦場公園》の真ん前に建設中のイオンモールの近影が紙面にも載ったが、この12月にオープン予定である。来年にはスエーデンの大型家具店イケアが東海地区の初出店を目指して万博公園近くに着々と建設中であり、益々発展しそうな我が街である。


名古屋城観光


 超多忙の杉山さんは昼食後に直帰。そして、名古屋城を最近見学済みの辻さん夫妻は徳川美術館に行くということで地下鉄「市役所」のホームで別れ、残りのメンバーとともに名古屋城へ向かった。
 二の丸庭園を抜けて最初に向かった本丸御殿は、この六月から第二期工事が終了してかなり充実した建物となったばかりである。また名古屋城の五層五重の外観は、すべて江戸時代の築城当時と寸分も変わりない造りとなっている全国的にも珍しい存在で、その天守に金鯱が燦然と輝いているが、耐震力が弱く東南海地震に襲われれば間違いなく第二の熊本城となる・・・という心配で近々入場禁止の話も出ている。そして更には、まだ時期・費用などで河村市長と市議会で現在揉めているが、六年後(2022年)の木造再建の完成を目指して解体される予定で、現在の城郭は間もなく姿を消すこととなるであろう。よいタイミングの名古屋城観光ではなかったろうか。


エピローグ


 藤が丘の「村上」に向かう途中、私の車に乗ったメンバーには我が家の前まで案内したが、すでに妻は娘と逐電してもぬけの殻であった。私は一番のサプライズとして我が”愛妻”を紹介したいと胸算用していたが、「まさか家まで呼んで来ないでしょうね」と事前に妻には煙幕を張られていた。
 かって関西勤務時代、会社のテニス部の連中を十数人呼んで懇親会を開き、妻をてんてこ舞いさせたことが二、三度ある。また時折私の友人・知人を連れてもきている。私としては子どもからお年寄りまで誰にも好かれる《自慢の女房》であり、口下手の私と比べたら社交性は何倍もあると思うのだが、意外に恥ずかしがり屋で人の前に出たがらない。空振りに終わってしまった。
 そして私の「小田高11期WEB」のエッセイは、いつも2ページぴったりで纏める形にしてきたが・・・今回ばかりはいろいろ書きたいことが次から次と湧き出てきて遂にその禁を破り、何と四ページ・・・佐々木さん並みの長舌文となってしまった。
 最後に、11月の例会が取り止めとなり、皆さんと会えるのは来年となってしまったが、これからも傘寿を目指して頑張っていきたい小田高同期テニス同好会である。               

(2016年10月 記)


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