随  筆 Home



 人形と運命シリーズは、全5回(5カ国)に渡って連載します
2013.03.17    今道周雄

人形と運命「第1回 ルーマニア編」
 ● ルーマニア(1978年)

 第二次大戦後1958年まではルーマニアにはソビエト軍が駐留し、独立国家とはいえない状況が続いていた。特に1942年から1962年までの間、多くの人々が恣意的に殺されたり、投獄されたりする状況にあった。1958年に樹立されたチャウシエスク政権は1989年の革命により倒れるまで、ルーマニア共産党と共に独自の政策を推し進めていた。私が訪れた1978年はチャウシエスク政権が健在であったが、様々な投資の結果外貨負債が急激に膨れ上がった時期だった。

 私がルーマニアを一人で訪れたのは、鉄鋼プラント用制御コンピュータの引き合いをルーマニアから受けたからだった。ロンドンを経由してルーマニアに向かったのだが、ブカレストに到着したのは夕刻で既に暗くなっていた。今から着陸するというアナウンスがあり、窓から下を見下ろしても明かりがほとんど見えない。果たしてこれが首都ブカレストなのだろうかと疑った。

 空港からタクシーに乗り、コンチネンタルホテルに向かった。大通りの両側には大きな木が茂り、密生した葉が空を覆い隠しているのだが、並び立つビルには明かりが少ない。これでは上空から観ても市街地には思えないはずだと思った。
 
 ホテルのラウンジで一休みしていると、突然斜め前に座っていた女性からタバコの火を貸してほしいと話しかけられた。やけに愛想が良い。さすがに鈍感な私にも、その女性がモーションを掛けていることが分かった。多分外貨稼ぎの職業女性なのであろう。

 仕事が終わり明日は帰国と言う日に、商事会社の駐在員が田舎でバーベキューをやるので一緒に行かないかと誘ってくれた。車で走ること約1時間で目的地に着いた。ここが畑だと案内してもらったところは雑草だらけでとても畠とは思えなかった。雑草の間に野菜が生えているのである。

 農場の主が、その畠を走り回っている子豚をつかまえてさばき、木串に刺してたき火で焼き出した。目の前でさばいた豚を食べるのは、残酷であったが美味かった。

 空港で子供の土産にと一組の人形を買った。それが写真の民族衣装を身に着けた女性の人形である。1989年の革命によりチャウシエスク大統領夫妻は銃殺され、共産党独裁体制は瓦解した。以後四半世紀が経ち彼の国は大きく変わったに違いない。その変化を知らない二人の人形は見ることのできなかったルーマニア美人の代わりとなって今は私の本棚に立ち尽くしている。

ルーマニア国歌
G.Enescu. Rapsodia Romana nr. 1
エネスコ 「ルーマニア狂詩曲 第1番」
 
Manuela Oh Manuela
北東部モルダビア地方のジプシーの曲

          1つ前のページへ