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 人形と運命シリーズは、全5回(5カ国)に渡って連載しています
2013.04.15    今道周雄

人形と運命「第2回 アルゼンチン編」
 ● アルゼンチン(1979年)

 アルゼンチンは南米大陸の南端でほぼ日本の裏側に位置する国である。東京からブエノスアイレスまでバリグ直行便が飛んでいたが、とても体力的な負担が大きくなるのでニューヨークやダラス経由便を使うのが普通であった。それでもニューヨークまでが約12時間、ニューヨークからブエノスアイレスまでが12時間かかる。ニューヨークでの待ち合わせ時間は4ー5時間あるので、エコノミーにしか乗れない身分では大変な旅であった。

 ブエノスアイレスに着くと駐在員が出迎えてくれ、アルゼンチン・タンゴを聞けるレストランへ招待してくれた。駐在員はまだ若いひとでいろいろな説明をしてくれた。

   アルゼンチンでは日本人の地位がブラジルほどは高くない、なぜなら初期の移民の多くが洗濯屋になったからで、日本人=洗濯屋 という意識が根付いているという。タンゴはガウチョが牛の吠えるごとく歌うもので、人口よりも牛の数の方がずっと多いアルゼンチンの心を歌っている。しかし出張でやってきた人を連れて聞きに行くと、大抵の人は居眠りをしてしまう、残念なことだ。アルゼンチンの言葉はスペイン語であるが、男言葉と女言葉には違いがある。だから、寝物語に覚えた言葉をうっかり話すと、恥をかく。など等。

 目的地はマル・デル・プラタ(銀の海)である。ブエノスアイレスからは約400Kmはなれている。そこの製鉄プラントの厚板ミルをコンピュータ制御したい、という商談であった。
マル・デル・プラタへむかう道路の両側は広大な牧草地が広がり、牛が点々と草を食んでいた。所々に大きなトラックが錆び付いて放置されていた。中には横転したものもある。故障したり、事故を起こしたりした車はそのままにしてしまうのだという。

 一人の男が棒の先に風呂敷包みのようなものを下げ、肩に担いで黙々と歩いていた。驚いたことに3日経って帰路についたら、途中でその男にまた行き会った。どこまで旅をするのか分からないが、野宿をしながら歩いてゆくのだろう。

 アルゼンチンの牧童はガウチョと呼ばれ、馬術と武術に長けた男達であったそうだ。誇り高く自己犠牲をいとわない人々である。女はスペインの血を受けて、情熱的である。娘達にガウチョと女性の人形を買ったのだが、やや作りが粗末で娘達の興味を引かなかった 。

アルゼンチンの国歌
Sentimiento Gaucho
ガウチョの嘆き
 
 

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