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 人形と運命シリーズは、全5回(5カ国)に渡って連載しています
2013.05.15    今道周雄

人形と運命「第3回 南アフリカ編」
 ● 南アフリカ(1983年)

 当時南アフリカはまだアパルトヘイトの時代であった。白人政府に対する黒人反対勢力は次第に暴力的な活動を行うようになり、一方白人政府は後に「プロジェクト・コースト」と呼ばれる生物・化学兵器開発を行って対抗しようとした。そのあげく1987年11月にはハル薗田(プロレスラー)が新婚旅行で乗り込んだ南アフリカ航空295便に、何者かが密かに仕掛けた爆発物により墜落死する事件まで起こった。

 私は東京から香港経由でヨハネスブルグへ向かった。Mike G. Rodd博士が主催する国際自動制御連盟の分散型制御ワークショップに出席するためであった。会場はTransbaalのSabi-Sabiという私立公園の中にある。

 南アフリカに着いた日はヨハネスブルグのホテルに泊まった。翌朝食事をしようと食堂に行った時、上下トレーナー姿の日本人男性が近づいてきた。そして「済みませんが助けて下さい。昨日から何も食べていないのです。」というのだ。事情をきくとマダガスカル島を基地として操業しているマグロ漁船の船員で、乗組員交代のために日本へ帰ろうとしていたのだが、乗ろうとしていた便が欠航となりやむを得ずホテルに泊まったのだという。しかし身なりがトレーナー姿で、黄色い顔をしているため、ホテルでは非白人として扱い、食堂に入れてくれなかったそうだ。

 私はスーツをきてネクタイを締めていたのが幸いして、ウエイターは鄭重な対応をしてくれた。そこでおもむろに威儀を正し、ウエイターに「こちらの紳士は日本人である。直ちに朝食を用意するように。」と命じたのである。船員さんからは甚く感謝された。

 Sabi-Sabiでは朝5時に起きてジープに飛び乗り、ライオンが集まるという水場を見に行き、8時には宿舎へ帰って食事をする。9時以後は昼飯時間以外ずっと各自が提出した制御の論文について議論をし、午後5時になるとまたジープに飛び乗って野生動物を見に行く。晩飯が終わるとたき火を囲んで、たわいない話をするといった生活を3日間続けた。

 しかし、ライオンは出てこず、キリン・河馬・水牛・シマウマ・ワーソグ(イノシシのような動物)などを観ることができた。

 土産に買った人形は木彫りの黒人裸像だが、町で見かけたのは洋服を着た普通の人たちばかりであった。

南アフリカの国歌
 
 

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