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 人形と運命シリーズは、全5回(5カ国)に渡って連載しています
2013.07.15    今道周雄

人形と運命「第5回 韓国編」
 ● 韓国(1988年)

 韓国へ行ったのは1984年が最初である。その後数回訪れたが人形にまつわる話は、旅行には関係していない。人形に関することの発端は仲人を頼まれたことである。私の職場の日本人男性が、韓国の女性と結婚するので仲人をしてほしい、と言われたのである。それは1988年であった。

 この年は盧泰愚氏が大統領に就任し竹下総理が大統領就任式のために訪韓している。前任者の全斗煥大統領時代には反日運動が高まり、日本人がタクシーに乗るのを拒否するといった事件が起こった。だが1988年は反日運動がようやく静まった時期であった。しかし、韓国に関する情報は今ほど潤沢ではなく、ましてやテレビで韓国ドラマを毎日放映すること等なかったから、私には韓国に関する知識は全くなかったと言って良い。

 最近韓国ドラマをよく観るが、韓国では結婚相手を、家柄、財産、学歴で評価し、釣り合わない相手は選ばないようである。家柄といえば両班(Yangban 양반)であるかないかが大きく影響するらしい。1894年の甲午改革によって身分解放が行われ両班特権が消滅したということだが、実はいまだに両班の家柄であるかどうかが問題にされるようだ。

 韓国女性が父親と一緒に日本へやってきて、拙宅へ挨拶にこられた。お嬢さんは韓国の一流女子大を出た才媛で、日本語は出来ないが英語を話すという。お嬢さんは結婚相手が両班であるかどうかを気にしている風であったが、私は両班という言葉を聞くのが初めてで、何を言われているのか理解できなかった。父親の話では手広く事業をやっていたのだが、事故が起こり、死者が出て補償などのために資金を失い、事業がつぶれてしまった。娘を結婚させるためには、持参金を支度しなければならないが、それができない。そこで韓国へ当時出張で行っていた日本人男性を見込んで、結婚させることにしたという。仲人をお引き受けし、父親を小田原駅まで送って行ったのだが、後ろ姿がやけに寂しく見えた。その後お嬢さんが結婚式を挙げてから、1年足らずで父上が癌で亡くなったという知らせがあった。異国の地で我が娘がどんな暮らしをしているだろうかと、案じながら最後の時を迎えたのではないだろうか。
 お嬢さんは韓国人形を三体持参され、私に下さった。そのうちの一体が下の写真である。

 お嬢さんは現在優秀な娘さんに恵まれ、幸せに暮らしておられる。出来れば父上に今の暮らしを見せてあげたかったと思う。

韓国の国歌
 

愛の物語(1985年大学歌謡祭)사랑 이야기

優しい若者(1985年大学歌謡祭)상냥한 젊은이


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