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 記憶は物とともにあるシリーズは、全8回(8カ国)に渡って連載しています
2013.09.15    今道周雄

記憶は物とともにある「第2回 ロンドン編」
 ● ロンドン(1978、1994、2000年)

 ロンドンへは3回行っている。1回目はリビアの商談があり、ロンドンで乗り継ぎをしたので1日だけ泊まった。日本からの便はヒースロー空港へつくのだが、リビア行きはガトビック空港からでる。両空港の距離は約50Kmで羽田と成田よりも近い。しかし、時間が合わないのでとにかく1泊しなければならない。

 ロンドンについて愕然としたのは、英語が通じないのである。売店で買い物をしようとしたのだが相手は私の言うことを理解できないし、私は相手の言葉を聞き取れないのである。後で知ったのだがcockneyというロンドン訛りのためであった。その日はホテルを予約していなかったので案内所へゆき、安い宿を紹介してもらった。安いだけあって部屋に洗面があるだけで、バスとトイレは共用なのだ。トイレに入っている間にノックされたらなんと答えれば良かったっけ、などと悩んだがそのような事態には会わずに済んだ。

 翌日はヒースロー空港からヘリコプターでガトビック空港へ移動し、無事にリビアへ出発することが出来た。
 2回目のロンドンは家内と共に観光で訪れた。JTBの気まま旅を選び、オランダ航空機で成田から出発することになっていた。ところが出発時刻を過ぎても、搭乗が始まらない。結局6時間以上の遅れで出発したのだが、スキポール空港経由でヒースローへ向かうはずが、時間が遅くなったため乗り継ぎの便が出ない、というのだ。ロンドンのホテル代が無駄になってしまったと渋々オランダ航空が用意した宿泊施設へ向かった。そこは体育館の付属施設のようながらんとした建物だった。

 翌日は早々にバスで空港へ向かったが、道すがら昨晩は暗くて良く見えなかった町並みを見物した。たった一晩ではあったが、オランダという国に足を入れたことは幸いだった、と自らに言い聞かせロンドンの一泊が無駄になったのを諦めた。

 残り二日でロンドンの市中見物をしたが、食事と風呂にはこまった。ロンドンの水が悪いことは知っていた。しかしシャワーを浴びると湯がぬるぬるする。硬水で含有物が多いためなのだというが、気持ちが悪い。そんな水で煮炊きするのだから、料理もまずい。もっとも高級レストランは敬遠して、もっぱら家庭料理にちかいレストランで食べた所為もあるのだが。

 ロンドン塔、ウエストミンスター寺院、バッキンガム宮殿、テート美術館など一通り観て土産に買ったのが写真の絵である。これは1851年に出版されたリソグラフの複製で、今は我が家のトイレを飾っている。

 3回目にロンドンを訪れたのは2000年である。私がドリーム・トレイン・インターネットをやめ、米国SRIのスピンオフであるアトミックタンジェリンに入った後、英国支社を見学に行った時である。この時は前回見逃した大英国立博物館を見に行った。

 この時の第一印象は、以前にくらべ町中を歩く人のなかにアフリカンやその他の有色人種が多くなった、ということだった。英国はEUとの関係で常に揺れている。それは移民問題とも深く関わっているのだろう。伝統の象徴である王宮殿と変化の象徴である多民族化が共に存在するロンドンはこれからさらにどう変わってゆくのだろうか。
イギリス国歌

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