悟正さんの随想


   和  食
2014.03.12
3組 山本悟正  

 私の父は温泉地熱海の旅館やホテルでお客さんの食事を作る料理人で割烹旅館を幾つか勤め最後は大きなホテルの「和食」料理長をしていた。芸者見番で芸者さんに和食の講義をしたり、鎌倉や箱根の茶会料理を作りに出張もしていたようだ。私がずいぶん大人になって「お茶」の稽古をしていることを話すと父が以前料理雑誌に連載し、保存していた割烹専門誌を見せられた。
 割烹旅館の板場での修行は①野菜や魚を洗い下こしらえする係<洗い方>3年、②魚介類を焼く係<焼き方>3年、③煮物を作る係<煮方>を3年修行して刺し身を捌く板の前に立つ料理人(板前)に昇格していく。和食は「米」を美味しく食べるための<おかず>に旬の野菜、魚介類、海藻など豊かな食材を巧みに調理する技術であり、それを盛る器、食べ方などに日本独特の伝統が育くまれてきたのであろう。父が芸者さんに教えていたもので覚えているのは「懐石料理と会席料理の違い」「懐石料理」の器などに戦国時代の戦場で武将に出された食事に由来するものが多くあることであった。
 懐石料理で出る器の「八寸」は山の杉の木を輪切りにした平らな板の直径が八寸(約25センチ)だったことから名付けられ、杉板に<山の幸・海の幸>を盛りつける器となり、「鍬形」は長方形の反った陶器の皿に焼き魚を盛りつける。鍬形は農具<鍬>を強火で焼き、やまめや鮎などを焼いて将軍に出した故事が始まりで、吸物は鍋を使わず戦場の本陣に用意したお椀に出し汁、きのこ、海藻などを入れて、離れた場所で焼いた熱い<河原の石>を投げ入れ熱し、新鮮な味の吸物を差し出したことに習ったものだという。
 これらは将軍大将のいる場所を悟られないよう、離れたところで火を焚き・調理し石を焼き本陣に運んだということで大変面白い話だった。これらの野戦料理の趣きを平穏な時代になって武士が茶事の料理に取り入れ、豪商などが「茶懐石」として発展させたらしい。懐石料理は<茶の湯>でお茶を美味しく飲んでもらうための料理で、簡素な料理を小出しする禅寺の<おしのぎ>が原点なので、寒い日に温めた石を懐に抱いて空腹を少し紛らわし、我慢したことに由来したことから<懐石料理>と言われるようになった。
 従って、豪華で贅沢な物や手に入りにくい珍味ではなく季節感を味わう新鮮な旬の食材を素朴に調理して客に供するのが本来なのであろうが、食材が豊富な現代は高級食材が喜ばれるようである。会席料理は一族や地域の冠婚葬祭や行事などで一堂に集まった人たちが一緒に酒を美味しくいただくための料理で「懐石料理と会席料理」は全く違う考え方なのである。アラブ人は山盛りの料理をたらふく食べてもらい、客に<ゲップ>をさせるのが「もてなし」とされ、中国人は食べきれないほど山盛りの料理を<よし>としている。
 中華料理の貴重な食材として<つばめの巣><蚊の目玉><熊の手>などがあるらしいが驚きである。ホテルなどのバイキングは和・洋・中華の好きな料理を好きなだけ取り上げて自由に食べるという食事で愉しいが、その中の和食は食材が「和」の物というだけであって私の思う「和食」ではない。
 かなり以前、アメリカ・シアトルへ行った時Japanese Restaurantに入ってみた。メニューは<Katudon、tendon、 yakitori、 udon>などで料理人は韓国人だった。日本人の経営している「日本料理レストラン」は物凄く高い値段だったので入れなかった。
 和食は移り行く季節の貴重な「旬材」を少量食べてもらうので、作る人は食材を吟味し香りや食感を大切にした調理法、吟味した器・食卓などに客の好み、人柄に合わせた美をあしらった美しい盛り付けをし、客は作ってくれた人の心を汲み取り、感謝した美しい食べ方が作法となって受け継がれてきた。
 老舗割烹旅館の朝食は炊きたてのご飯に鯵の一夜干し、焼き海苔に生卵、少量の納豆、梅干しに焙じ茶と至極質であるが、前日の夕方、浜で捕り生きている鯵を開き、厨房で一夜干ししたもので、焼き海苔は数枚の鮨海苔を香りが逃げないように手早く合せ焼きし、中央部分を切取り漆器の小さな蓋付き器に移すのである、梅干しは小粒で硬いカリカリ梅である。旅の宿で朝食にオムレツやハムエッグ、煮物などが出たら<団体さん>扱いされたと思えと父は言っていた。
 昨年「和食」はユネスコ「無形文化遺産」に登録された。「和食」は<日本のお米>を如何に美味しく食べるかの文化だと言われている。美味しい米を作るには山からきれいな水を適量引き入れ、太陽が充分に当たり、風通しの
いい水田に苗を植え付け、毎日たゆまぬ世話をして育てる農家の地道な努力があってこそできるものである。 米つくりは八十八工程もの手間がかかり、実るまで八十八日かかることから「米」の字が生まれたようである。
 海の幸の美味しい魚、貝、海藻が育つためには山や森林を長年守り育てて、樹木・落葉の栄養を大地に染み込ませ、水滴が海に運ぶという気の遠くなるような林業と漁業の知恵と努力の営みが産み出すものである。
 和食は地理や気候の異なる地域ごとの季節に産出される食材を使った栄養バランスのいい食文化を築いて来たものでしっかり「次世代」に受け継いでほしいものである。
 全くの私感であるが、「和食」の文化遺産は土と清い水・太陽・風の恵まれた自然を活かして日本人が育て、受け継いできた、まさに『天・地・人』で作り上
げた有形無形文化財」で『遺産』ではない「現役文化」だと言いたい。
 近年は促成栽培、品種改良、外国産食材の大量輸入、流通産業の変革などで季節感を味わう本当の旬が希薄になっている。今、地球温暖化、異常気象、原発事故、TPPなどで「真の和食」は危うい。


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