悟正さんの随想


  愛犬の思い出
2015.08.13
3組 山本悟正  

 去年の5月、愛犬のGYUが死んだ。
 息子がアメリカから帰国することになり、犬を飼っていることを知った。捨てて来ることは出来ないだろうから、連れて帰ってくるように言わざるを得なく、成田 空港の検疫所に預けられた犬を見て正直驚き困惑した。黒い大きな犬で犬種はラブラドール・レトリバーで2才だった。
 子牛のような優しい目で可愛いのでギュー(牛)と名付けられGYUと登録されていた。 当時は空港の検疫所に21日間預けて病気が無いことを検査しなければならなかった。
 犬を飼うようになると家族全員で家を空けることは出来ないと思い、検疫所にいる間に家族旅行をしようと急遽、北海道へマイカーで一週間くらいのドライブ旅行の計画を立てた。アメリカにいる息子を常々心配していた青森のおばーちゃんに大人になった息子を見せたかったことから北海道経由青森への計画となった。息子は帰国前にインターネットで東京の会社に就職することが決まっていたから幾らか気は楽だった。
仙台まで行き夕方太平洋フェリーに乗り、翌朝苫小牧に着いて、苫小牧からは太平洋側をひたすら走ることとなった。
 運転は息子が担当、私が地理係、家内は旅行雑誌を頼りに食事処、夕方になると携帯電話で今晩の宿と交渉する係を担当し、只々走る単純な自動車旅行が始まった。
 息子が高校を卒業するとすぐにアメリカ(シアトル)の大学へ語学留学した後、コンピュータ技術のカレッジで3年間勉強し、時々帰って来たが、友達と会うのが忙しく、ゆっくり家族で話をしたことがなかったので、狭い車の中ではいろいろ話ができて良かったと思った。
 「カニ、刺し身、ホタテ」など海鮮料理に初めは感激したが、毎日続くと流石に飽きてきた。折しも、台風が追いかけて来たので網走から中央部を一気に上り札幌に入り、一泊して一息入れ翌日、フェリーで青森に入り、家内の実家に着き「墓参り」をし無事帰国したことを報告、米寿に近い母親に「息子(孫)の成長ぶり」を見てもらうことが出来た。
 
 GYUが検疫を終え我が家に来た。決して可愛いとは言えない真っ黒な大きな犬だ。家は集合住宅(マンション)で入居規約では「大型ペット」は禁止に近い規則になっていた。
 私も管理組合の先代理事長だったので、困惑したが「息子が直に犬を連れて出て行く」ことを条件に現理事長をやっと説得した。幸いおとなしい犬で吠えることはなく、不衛生でもなく、犬好きな住人は好意的に見ていてくれた。毎日一回は散歩させなければならず、会社へ行く前の早朝に散歩させるのが私の役目になってしまった。当時私は西船橋まで約一時間半掛かる通勤 をしていたから、朝七時前電車に乗らなければならないので、6時前から散歩に連れて行く事になった裏山は緑豊かな林で山頂には激しい運動を 好むGYUには格好の広場があり、誰も居ないで思いっ切りドッグランをさせられた。

 冬場は懐中電灯を持って真っ暗な山への自然歩道階段約300段登って行った。
 夏場は山頂に着くと東に太陽が昇り初め、毎朝ご来光を眺め、朝日に手を合わせ清々しい 気持ちになり、気分が良かった。GYUの駆け足を終えると、タオルで汗を拭き、着替え をして爽やかな気分で山を下りてきた。
 休日など日中に緑地公園や林で犬の 散歩仲間と行き交い、挨拶を交わし、 犬の名前は互いに知り合っているが、飼い主は何処に住む誰かは知らない不思議な触れ合いが増えていった。

  GYUはラブラドールにフラット犬が混ざっていて、純粋なラブより毛足は幾らか長く純黒の奇麗な毛並みで胸に十字型(クロス)の白い毛があり、品はあった。
 ラブラドールは主人の側を離れず、じっと主人の動きを見ているので飼うのを嫌う人もいるくらいだから盲導犬に向いているのだろう。音楽をかけてパソコンで何かしていると側に横たわり、私の足の先に自分の身体をちょっと触れさせて寝てしまう。夜はいつも私のベッドの下で寝ていた。

 

 ビールと魚肉ソーセージが好きで元気なときは500ミリ缶ビールを30秒位でぺろりと飲 んでしまった。家族の誰かとGYUの誕生日にはステーキとビールをご馳走してやった。
 時々、怪我や病気もして気を揉ませたが概して丈夫で獣医も驚きの19.5才の長寿で私達を長年癒やしてくれた。家内の母親が90歳で亡くなった葬儀に私は行けなかったが、厄介ではない家族だったのだ。 ここ2年位は激しい運動や長い時間散歩できなくなり、急速に衰えを見せじわじわと別れのメッセージを送り始めた。
 死ぬ3日前頃から食べなくなり、水もほとんど飲まなくなってきたので、本当の主人である息子を呼ぶと深夜まで無言でそっと身体を撫でてやり帰って行った。その翌朝GYUは死んだ。

 
3日後、同じマンションでGYUにいつも声をかけてくれた数部屋の人にお世話になった礼の挨拶をして回ったら、それぞれの人たちが小さな花束を持ってきてくれ涙ぐみ悔んでくれた。
 GYUは私たちに「優しさ」「穏やかさ」を教えてくれた。  そして、最も大きな事は毎日散 歩させた礼に私に風邪も引かない「健康」な身体を作ってくれたことだ。 息子夫婦や家内も未だGYUのことはあまり口にしないし、他所の犬の話や犬のドラマは 見ようとしない。
 悲しいとは思わないが、ふっと「寂しい」想 いはよぎる。

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