この天神社は随分前から神主不在の神社となっていて「頼りない」感があったが由緒ある神社とのことだ。
鎌倉時代、丘の上に城(枡形城)があり、城の足元にお寺 と神社が一体で城を護る足の速い神「韋駄天」が守護神とて祀られていて、城跡は今、緑に囲まれ岡本太郎美術館、民家園、プラネタリリュームなどの施設のある市民憩いの広場「生田緑地公園」となっている。神社は鎌倉と江戸を往き来する飛脚の「引継地点」でありここで重要な文書がバトンタッチされていたという。ここから多摩川を渡り江戸に登ることからこの辺りを「登戸」という地名がついた という。
神社は熊野神社の系列で「鎮守天神社」が正式名である。鳥居から本殿への参道は息が切れる急勾配の石段で飛脚が一気に駆け上がったことから「韋駄天神社」と呼ばれ、今は駅伝やマラソンの選手がお参りに来る神社として陸上選手などに信仰されている。
神主がいないので大晦日、正月、七五三、地鎮祭、そして秋の例大祭には親類神社から神主が出張して来る 。