悟正さんの随想
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鎮守の祭り
2015.11.04 3組 山本悟正

 地元のひなびた小さな神社の例祭が今年もおこなわれた。
私達の町内会でも毎年神酒所が作られ前日の夜祭リには祭典世話人が集まりお神酒を飲み神社への奉納金を集めていた。私も町内自治会の役員をしていたことからに駆り出され、神酒所の模擬店(屋台)の「やきとり」係を毎年やらされていた。
 ところが、世話人達の老齢化、少子化で子ども神輿の担ぎ手が少なくなったことで今年から神酒所を開かないことになってしまった。 本当に残念なことである。神社の祭りは当然行われる。大晦日に除夜の鐘を撞き、正月の初参りにも行く地元の「廣福寺」の主護神を祀っているここ「天神社」の祭りにはお札を買って来て新しいお札と取替えて古いお札は大晦日にお寺の「焚き火」で焼いていたが、ある年から、古いお札の上に新しいお札を貼り重ねていくことにした。今年で十数枚と分厚くなっている。
 


 年々祭りが寂れてくることを憂いた氏子衆が氏子総代を中心に思案し祭りを活気づけ、地元の人達に楽しんでもらえる「お祭り」にしようと数年前から計画が始まった。氏子総代は地元で生まれ育った女性声楽家の小川さんで川崎市歌「好きです川崎愛の街」を歌った歌手として知る人ぞ知る地元の名士である。 私も以前、市民コンサートの写真を撮った縁で彼女とは十年来の付き合いである。
 天神社にはお神楽などを奉納する古い舞台があるので、これをステージにして音曲を披露し広く多くの人たちに集まってもらい祭りを活気づける企画がはじまった。
 仕掛け人の小川さんは川崎や多摩地域のアマチュア合唱団や学校で歌の指導を長年やっていて指導している合唱グループはヨーロッパやアメリカのカーネギーホールで「日本の歌」を紹介するコンサートを開くなどの実績が評価されミューザ川崎シンフォニーホール 行われる「市民合唱コンサート」の代表責任者でもある。

 この天神社は随分前から神主不在の神社となっていて「頼りない」感があったが由緒ある神社とのことだ。
 鎌倉時代、丘の上に城(枡形城)があり、城の足元にお寺 と神社が一体で城を護る足の速い神「韋駄天」が守護神とて祀られていて、城跡は今、緑に囲まれ岡本太郎美術館、民家園、プラネタリリュームなどの施設のある市民憩いの広場「生田緑地公園」となっている。神社は鎌倉と江戸を往き来する飛脚の「引継地点」でありここで重要な文書がバトンタッチされていたという。ここから多摩川を渡り江戸に登ることからこの辺りを「登戸」という地名がついた という。

 神社は熊野神社の系列で「鎮守天神社」が正式名である。鳥居から本殿への参道は息が切れる急勾配の石段で飛脚が一気に駆け上がったことから「韋駄天神社」と呼ばれ、今は駅伝やマラソンの選手がお参りに来る神社として陸上選手などに信仰されている。
 神主がいないので大晦日、正月、七五三、地鎮祭、そして秋の例大祭には親類神社から神主が出張して来る 。

  年々祭りが寂れてくることを憂いた氏子衆が氏子総代を中心に思案し祭りを活気づけ、地元の人達に楽しんでもらえる「お祭り」にしようと数年前から計画が始まった。氏子総代は地元で生まれ育った女性声楽家の小川さんで川崎市歌「好きです川崎愛の街」を歌った歌手として知る人ぞ知る地元の名士である。
 私も以前、市民コンサートの写真を撮った縁で彼女とは十年来の付き合いである。
 天神社にはお神楽などを奉納する古い舞台があるので、これをステージにして音曲を披露し広く多くの人たちに集まってもらい祭りを活気づける企画がはじまった。


 仕掛け人の小川さんは川崎や多摩地域のアマチュア合唱団や学校で歌の指導を長年やっていて指導している合唱グループはヨーロッパやアメリカのカーネギーホールで「日本の歌」を紹介するコンサートを開くなどの実績が評価されミューザ川崎シンフォニーホール 行われる「市民合唱コンサート」の代表責任者でもある。祭りには氏子総代の彼女の人脈を活かしお神楽、子供和太鼓、正調大太鼓、マジック、その他、地球環境を子どもたちに啓蒙するNPO老人団体によるエコ「紙芝居」、おやじバンド、地元の3大学JAZZバンドなどに呼びかけ余興を奉納するイベントを開き人集 めをし、年々口コミで集まる人が増えてきたのは喜ばしいことである。


 今年のイベント開催に際し小川さんが「ここで生まれ育った人、引っ越して来てここの学校で学んだ人、ここの仕事場で働いている人達みんなが氏子です。みんなが平穏に暮らしていけますように願いお祭りを楽しんでください」と感動的な挨拶をし、懐かしい唱歌など「日本の歌」をおばーちゃんとは思えない実に見事な美声で披露した。 祭りは地元住人中心がポリシーで他所からの縁日業者を排除し、境内には地元町内会世話人や地元大学サークルの学生達の模擬店が開かれ利益抜きの安い値段で売る屋台が数店出て人気だった。私が町内自治会に参加し始めたのは息子が地元小学校に入学し、町内の剣道場に通うようになって地元の人たちの世話になり地域社会と親しく交流する大切さを知ったのが始まりだった。

 息子が結婚し近所に住み、孫が生まれ、元気なその孫(3才)が始終遊びに来てくれるのは「天」の恵みであろうと思うと神に感謝である。
 マンションが林立し、毎年入れ替わる学生で賑わい、再開発が進み変化していく町であるが、この孫の郷里はこの町であるから、せめて「お祭り」くらいは幼い頃の思い出に残してあげたいと思う。
 来年の祭りには水玉手ぬぐいの鉢巻と小さな祭半纏を着せて連れて行こう。
 その頃には綿菓子、ラムネ、ヨーヨーも楽しめるような<やんちゃ坊主>だろう。
 


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