悟正さんの随想
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「花はどこへ行った」
2015.12.04 3組 山本悟正


 先月、2015年9月19日に「安保法」が成立した。
 若い時から自慢ではないが「世の中や政治」を批判するほどの勉強をしていなかった
が「安保」という言葉にはほろ苦く遅い青春だったひと時を想い出す。

 写真学校の本科で報道写真を学び、研究科に進んだ頃、「70年安保闘争」「ベトナム戦争反対」に端を発して各地の大学で「学園闘 争」がやたら起き、予備校や高校にまで広がり自分の学校にも波及してきた。
 
写真学校本科の英語の教科書はホーチミンの
「ベトナム解放戦線」だった。
1969年10月の国際反戦デーは学生たちが新宿 駅に乱入する「新宿騒乱」が起き、11月には時の総理大臣佐藤栄作が「日米安保条約」継続をアメリカと協議する訪米を阻止する運動が「羽田闘争」に繋がった。1969年初め頃から新宿駅西口地下広場に毎週土曜の夕方、若者たちが五月雨式に集り輪をつくってフォークソングを歌う「フォーク集会」が行われ始めた。

 柱に寄りかかりギターを弾いて反戦歌を合唱する小集団の周りには学生や会社帰りのサラリーマンなど知らぬ者同士が時代を背景に反戦の議論を交わす人の輪が増えていった。「友よ 夜明けは近い」「山谷ブルース」「自衛隊に入ろう」「戦争を知らない子どもたち」「栄ちゃんのバラード」など素敵な詩ではなかったし、歌やギターはそれほど上手ではないから、しみじみ聴くほどのものではなかった。
 その中にジョーン・バエズの「勝利を我らに」「風に吹かれて」などいい曲もあった。 私の胸に素直に沁み込んできたのはピート・シーガーの「花は何処へ行った」だった。
 最近又、話題になっている「反戦を訴え続ける女性」大木晴子(旧姓山本)さんはそのフォーク集会のマドンナだった。フォーク集会は次第に政権を批判する政治色が濃くなっていき「反戦フォークゲリ
ラ」と言われるようになり広場いっぱい数千人に膨らんでいき、当局が無視出来なくなり「広場」を「通路」と改名し、<集会の禁止><道路交通法違反>の罪で集会群集の強制排除に乗り出した。


 忘れもしない、1969.6.28「反戦ゲリラ事件」が起った。 新宿駅西口地下広場を機動隊150人以上が取り囲み<ここは地下通路です!直ぐに解散しなさい!>とスピ-カ-で叫び『全員逮捕!!』の号令が出ると<催涙ガス弾>が打ち込まれ、消防車が地下の群集数千人に放水をした。この放水は肌に付着すると紫のシミとなり一週間くらいは消えず、後日、別の場所で交番のお巡りさんに「職務尋問」された若者が大勢いたという。
 たまたまこの日、私は「若い生活」という小さな月刊誌の取材で現場の写真を撮っていた。掲載された写真には『反戦フォーク集会は6月28日夜、数千人の若者たちが集まり、一つの力に成り得る可能性を視た。

 ギターを抱えて集まる彼らの反戦意識がこれからどう若者たちにアピールし、どう彼ら自身の血肉になっていくか、それともこのエネルギーは土曜ごとに落としてしまう垢に過ぎないのだろうか』というキャプションを加えた。因みに、この雑誌の読者は若い自衛隊員が多かった。

 この頃、新宿辺りは花園神社の紅テント、黒テントやアングラ劇場、寺山修司の天井桟敷、アートシアターなどが盛況で<体制を批判するイディー>が若者たちの間に蔓延していた。 新宿のJAZZ喫茶<ビレッジヴァンガード>や風月堂は「ベトナム戦争脱走兵」支援の接点となっているとの噂が流れていた。そんな時、若者に流行っていた歌はジョーン・バエズの「勝利を我らに」「花はどこへ行った」新谷のり子の「フランシ-ヌの場合」、カルメンマキの「時には母のない子のように」など若い女性シンガーの歌う反戦をテーマにした曲が多かった。
 1969年8月、週間ポストが創刊を目途にフリーランスの外注カメラマンを若干名募集していて、私も応募し採用され、1969年11月、佐藤栄作首相訪米阻止に向け過激派左翼が起こした「蒲田事件」、交番を次々焼き討ちしている現場を、撮影していた。機動隊と過激派の両方から狙われる危険な取材だったが撮影済・未現像白黒フィルム渡しの仕事だったので残念ながらネガは1枚も持っていない。戦後70年を迎え日本は「戦争が出来る国」になった。半世紀昔誰もが、日本の経済は成長し続けると思っていた、日本に大地震や大津波が来るなどとは考えもしなかった。日本の原子力発電所は安全だと確信していた。日本の火山の大噴火は当分ないと思っていた。日本は戦争に加担しない国だと思っていた。

 

 安保法が強行採決された9月19日から1ヶ月経った10月19日国会前で抗議集会のあることを知り行ってみた。これから毎月19日に国会前で「戦争法廃止」「強行採決」の抗議集会を続けていくと呼び掛けている。
 集まった人々は気のせいか年配者が多く、新宿
駅西口地下広場でフォークソングを歌った人も
いたであろうが、歌声は無かった。

 今、日本人の足元に警鐘を鳴らす歌に「花はどこへ行った」は情緒的で綺麗過ぎる。

    花はどこへ行った   静かな村の物語
♫ 野に咲く花はどこへ行った
娘たちはどこへ行った
若者たちはどこへ行った
兵士たちはどこへ行った
兵士たちの墓はどこへ行った
 娘たちが摘んで行った
 娘たちは若者たちのもとへ
 若者たちは戦場に行った
 兵士たちはあの墓の下に
 野辺の花で覆われた  ♫

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