悟正さんの随想
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 走るおもちゃ箱
2016.01.04 3組 山本悟正


 高校は約30分の電車通学で毎朝同じ時間・同じ車両に乗り、同じ友達と顔を合わせ飽もせず同じ話題で一日が始まった。
 会社員になってからも同じ時間・同じ車両に乗るのは変わらなかったが、電車で面白い光景に出会うことがよくある。そんなことをオムニバスで幾つかまとめてみた。

 ◎真夏の昼、「気だるい夏の午後」をテーマの写真を撮っての帰り、田園都市線・九品仏駅 ホームは全く人影が無く小さなホームは私一人だった。間もなく一人のお腹の大きな女性がやって来て、苦しそうにお腹を抱えてベンチに反り返って座った。

 私が撮ろうかなと思いつつ見ていると私に向かって右手を伸ばし「生まれちゃう、生まれちゃう」と助けを求めている。私は慌てて駅員に知らせると二人の駅員が駆けつけて来て、一人が大急ぎで戻り救急車を呼んだが救急車が来ない内に女性は赤ちゃんを生み出してしまった。間もなく救急車が来たので何も出来ない私はやって来た電車に乗ってその場を離れた。その時の赤ちゃんは今頃立派な大人になっていることだろう。

 ◎会社勤めになり霞が関までの通勤は小田急線代々木上原で同じ時間・同じ車両の地下鉄に乗り換えていた。電車待ち列にセンス・スタイル抜群でいつも英字の本を読んでいる超美人がいる。その人を見かけると一日が爽快にスタートでき楽しかった。

 秋、箱根強羅でお茶会があり社中の女性3、4人と一緒に参席し、午前中に茶会を終え紅葉真っ盛りの山頂でお昼を食べようと芦ノ湖まで足を延ばした。遊覧船の待ち行列に並び前を見ると代々木上原の超美人がハンサムな青年と一緒にいた。向こうも気がついたようで思わず挨拶してしまいそうになったが、私も着物姿の若い女性たちと一緒だったのでチラっと目を合わせただけだった。

 海賊船の甲板に立って富士山を眺めていると彼女と青年が何か話をしているのが見えたが二人とも手話である。彼がお土産ショップで売り子と話をしていていたが普通に話をしているのを見たので彼女が聾唖者であろうと察した。それから間もなく私は人事異動で職場が西船橋に移り通勤時間が早くなり彼女を見かけることができなくなった。 とにかく「素晴らしい美人」だった。

 ◎その日は平日の昼頃で電車は空いていた。スキンヘッドで立派な口髭を生やした強面のお兄さんが火の点いていないたばこを咥えて乗り込んできて、向かい側の優先席に座った。私の隣に座っていたおばさんが「車内は禁煙ですよ!」と云うと、「煙が出ているかよ、ババー!!」と大声で怒りライターをパチン・パチンとさせ、「空気がわるいなら、窓を開けりゃ~いいんだ!」と怒鳴って後ろの窓を全開して大股を拡げふん反り返っていた。

 次の駅でおばさんは降り、電車が走り始めたら、おばさんがホームから窓越しに持っていた傘の柄でお兄さんの頭を「ポカリ」とたたいたが、お兄さんはどうにもならない。やった!お見事おばさん!と思ったが私は黙視した。怖いお兄さんは次の駅で降りた。

 ◎夕方のかなり混んだ車内のドアに寄りかかった会社員風の男性と身体が密着していた。 突然、彼の携帯が面白い音で鳴り、「反対方向に向かってんだ、悪りーな今中野坂上なんだよ!」と云った瞬間車内放送が何時になく明確で大きな音で「次は登戸、登戸、南武線は乗り換え」と案内してきた。私の耳元でやり取りしていたので思わず吹き出しそうになった。



 ◎そんなに混んでいない午後、つり革に摑まり見慣れた車窓を眺めていた。次の駅で少々地味な着物姿の中年婦人が乗って来て私の隣のつり革に摑まった。着物や着こなしからして「お茶やお花」ではなさそうだし、大きな紙袋を足元に置いた様は「水系」でもなさそうだと思ってチラチラ見ていた。やがて婦人は「失礼ですが、見てくれますか?」と薄い黄緑色の中型封筒を私に手渡して降りて行った。突然のことでビックリした。自分の駅で降り帰り道で封筒の中身を見たら<Music Pub>の開店何周年かの
案内チラシと飲物優待券が入っていた。「やられた!」と思いそのまま無視していた。

 各停がその駅で停まると店の名前・場所を覚えていてちょっと気になり、2~3ヶ月後、持ち前の好奇心と野次馬根性がもたがり行ってみた。店は割りと広く健全な雰囲気で奥の一段高いステージにピアノ・ドラム・ベースなどが置かれ「生演奏」の様子が窺われた。電車の婦人が私を覚えていて席に案内してくれた。一息入れていると若い男性バンドの演奏が始まり、何曲か終わると彼女がマイクを持って唄い出した。アダモの「ろくでなし(不良少年)」だった。もの凄い上手な歌声でビックリした。続いて歌った「百万本のバラ」には自分の耳を疑うほどの感動を受けた。彼女は店のオーナーで、バンドのドラムは彼女の息子だった。彼女は声楽をしっかり勉強し、日本で行われたワールドカップ・サッカーで日本の対戦チームのある国の国歌斉唱をしたという本格歌手だとたまたま相席した中年常連客が教えてくれた。

 ◎忘年会シーズンは2次会・3次会が続き酒の強くない私は電車内で吐きそうになる辛い思いをするのでポリ袋2枚、タオルハンカチ1枚をセットにしレジ袋に入れてカバンに入れておくようにしている。暮の華金、少し酔っていたので混んだ電車を一本遅らせて、手すり脇の座席を確保でき安心して発車した。次のターミナル駅で酔って正体を失くした若い女性を同僚らしき若い女性が抱き抱えて乗り込んできた。私が席を譲ってやるととても感謝して悪酔いした連れを座らせた。時々吐き気がこみ上げて来る気配なので私の「悪酔いグッズ」を出して「使いなさい」とあげたら、付き添いの女性は目を潤ませて「ありがとうございます」と丁寧に何度も何度も頭を下げて感謝していた。私にとってはなんでもないことだったが、余程うれしかったようだ。

 満員電車は不愉快なことが多いが、空いている車内でたまには面白いことにも出会える・・  電車は私の「走るおもちゃ箱」だ・・


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