悟正さんの随想
Home



 くじ運
2016.04.05 3組 山本悟正

 家内から「あなたはくじ運が強い」と言われるけど自分ではそんなに感じてはいないが、たまに「くじに当たる」ことはある。
 随分昔の話だが中学生の頃、暮に商店街の歳末福引抽選が銀座通で行われていた。私の育った土地は温泉街の観光地で芸者さんが着物など高額な物を買ってたくさんの福引券を持っていた。そんな芸者さんが何枚もの抽選券でガラガラを回している後ろに並んでいた。連れの芸者さんに「お姉さん! 手が疲れちゃった! 」というほど回しているがいい色の玉が出ないのを見てじっと待っていた。やっと私の番になりたった1枚の抽選券でガラリと回したら金色の玉が出た。「大当たり 特等です!!」カランカランと鐘が鳴り響いた。その時のお姉さんたち(芸者)の顔を思い出す。

 賞品は「松島・二泊三日旅行」だった。父親に話すと勤めていた旅館の女将さんが買ってくれて、その金で腕時計を買ってくれた。当時、腕時計を持っている中学生はあまりいなかったので学校へは持って行けなかった。
 高校卒業後、上京し新聞販売店で働きながら学校へ通っていた頃、日本で初めての旅客機YS-11が完成し、記念講演が朝日新聞本社で行われた。何となく興味が湧き聴講に応募して当選し、聴きに行ってみた。
 忘れてしまったが、開発の歴史、機能や性能などの発表や関係筋の祝辞だったような気がする。最後に体験飛行の発表があり、基本的にはマスコミや関係者の招待だったが、当日聴講者の一般も若干名初飛行の体験搭乗が出来ることになり、座っていた座席番号が発表されたら自分の番号も当たった。
 体験飛行は羽田を飛び立ち、富士山を見降ろし伊豆大島の上を廻って房総半島から羽田に帰ってくる短いコースだったが、初めて聞く飛行機用語やエアポケットの体験など貴重な体験ができた。機長は有名なパイロット江島三郎(元全日空専務)さんだった。初めての飛行機とあって仲間の新聞少年たちが羽田空港で見送ってくれて帰ってくるのを
待っていてくれたのはうれしかった。

 私は随分遅れて一般大学に入学したが一年・前期ろくに学校へ行けなかったが、たまに学校へ行くと大講堂の授業や周りの学生の勉強ぶりに失望し、後期の学費を払わず、その金でデザイン学校の夜間部に入学した。デザイン学校の写真必須授業の写真家の先生から写真学校のことを知り興味が湧いたが、最早入学金はなかった。

 翌年は「東京オリンピック」の年だったので仲間の新聞少年たち家族などの名を借りて入場チケット購買整理券にたくさん応募をした。仲間の新聞少年たちはサッカーのチームを作り補欠までいるほどいた。
 出した往復はがきの内3枚が当たった。何と開会式、女子バレー決勝戦、ホッケーだった。兄がレッスン指導しているゴルフ練習場に行き兄に「オリンピックの開会式の券が当たった」というと「お前、写真の学校へ入りたいと言っていたな、いくら足りないのだ」と云い、練習していたお客に「Tさん、オリンピック開会式の券が手に入ったよ」と声をかけた。Tさんは喜んで言い値で買ってくれた。Tさんはオリンピック景気で儲かっていた建材店の息子で青年社長だった。翌年4月私はその金に貯金を足して写真学校へ入学した。

 女子バレーの決勝は駒沢体育館へ観に行き歴史に残る「東洋の魔女」の優勝を観ることができた。キャプテンの河西昌枝さんは結婚して私のすぐ近所(川崎)に住んでいて何度か挨拶を交わすことがあったが、平成13年に亡くなった。 

 写真学校を卒業し写真仲間4人と南青山に「写真事務所 NOAH」を開設した頃、稼げるような写真を撮っていなかったので全く金はなかった。ささやかな結婚式を挙げたら親戚から新婚旅行は行きなさいと言われた。親戚になったばかりの家内の姉の主人が航空会社に勤めていた関係で宝塚・京都・奈良へ社員待遇で行くことができた。

 銀座コアで家内が新婚旅行用の旅行カバンを買ったら、福引抽選券が一枚貰え、期待もせずガラリと回したらポトリと金色の玉ころが落ちてきた。「特等」で賞品は「伊豆七島・ペア三泊四日の旅」だった。 私たちは旅行計画を立てて航空便・航空会社直営のホテルに予約済みだったので結婚披露宴の司会をしてくれた写真家仲間にプレゼントした。誰と行ったかは聞かなかった。

 私達夫婦の仲人が新会社を作ることとなり、やや強制的にハンティングされドロップインし、写真業を一時休止し、まったく経験のない会社員になることとなり、当時としては最先端の大型電子計算機「情報システム」会社の設立から参加することになった。
 会社は急成長し支社も出来、創立10周年記念パーティーが都内のホテルで開かれ余興の一つとして全員に土産の賞品が当たるビンゴゲームが行われ私は「宝くじ・10枚入」を貰い息子にあげ、すっかり忘れていた。翌年の正月、家内と息子が新聞で抽選結果を見ていた息子が「お父さん!一等だ!」と云うのでよく見たら一等の組違いだった。賞金は10万円だったが、三人で分けた。 確か私はゴルフで使ったかな?

 我家は56世帯の小さなマンションだが、一応ロッカールームが6戸ある。ある時、引越をする住人がロッカールームを売りに出した。買いたい人が20人くらい出て競売となり、私は最高値をつけたが同額が5人いたので「くじ引き」となり、どうせ当たらないと半ば諦めてくじを引いたら私が当たった。引っ越した住人は元大学教授でロッカールームは書庫になっていて、本などを収納するのに適した構造になっていた。私は美術書、読んでいない本類やゴルフ道具、写真の照明器具などを収納することが出来た。
 私は元々ロッカールームを一つ持っていたので6戸の内2戸を持ったことになり、今では要らないものがたくさん入っていて未だに「断捨離」できないで困っている。
 家内に今日は「大安吉日だからロトを買ってきて」と言われよく買ってくるが当たったことがない。
「くじ」は当りたいと思って引くと先ず当たらない。全く欲がない時に当たるようだ。


          1つ前のページへ