写真を届けた帰りに吉田町や福富町飲食街によく連れて行ってもらい焼肉やおでん・茶飯をご馳走になり若干の小遣いを貰うのは切なかったがうれしかった。
ゴルフをプレーしている写真を撮るアルバイトだったので、金に困っていない遊び人との交わりが多く、中にはその筋すれすれの人たちもいた。
港の沖仲仕(港湾労働者)のドンで任侠肌の会長とはそんなに親しくはなかったのに息子の結婚披露宴のスナップ写真を撮ってくれと頼まれ「シルクホテル」貸切りの大披露宴を撮らせてくれた。港から「注射と暴力」を排除することに尽力した人徳のある人だったので息子の披露宴には港湾関係者、横浜の有力者の他、石原慎太郎、河野洋平、ファイティング原田、俳優等有名人も多数が招かれていた。
司会は若い時から親代わりとなりアメリカに留学させてもらった<ミッキー安川> だった。息子とのことより<親父さん>への恩義を涙ながらに語っていた。元町に大きなナイトクラブ「クリフサイド」があり、そこで<青江三奈>が唄ってい て、最も私に目をかけてくれたプロゴルファーKさんは彼女と特別親しい仲だった。
青江三奈は茶髪の先駆けをした独特な風貌とハスキーな声で唄った「伊勢佐木町ブル ース」が大ヒットしたが、吐息が色っぽすぎるとNHK紅白に出場できない年があった。
いしだ・あゆみの<ブルー・ライト・ヨコハマ>が流れる伊勢佐木町通りで小型バンの前で<藤圭子>がビールの空きケースに乗って「夢は夜ひらく」を歌い新曲宣伝キャ ンペーンをしている姿を見たことがある。
映画:伊勢佐木町ブルースを観に行き主題歌を歌う青江三奈がスクリーに映しだされると客席のホステスたちが「三奈・・いいぞ!」と一斉に声がかかったのにはびっくりした。 アメリカの人気歌手<アンディ・ウイリアムスが初来日し赤坂の高級ナイトクラブ「ミカド」に出演し、ホステスに大モテの歓迎を受けた後日、横浜の「クリフサイド」で歌ったが、全然モテなかったという話も「浜っ子」らしくて愉しい話だ。
埋め立て建設の始まった「本牧埠頭」建設現場の写真をある時期撮っていたが、知り合いの朝日新聞記者が5回連続の夕刊記事にその写真を使ってくれたのも思い出だ。
中華街は教えてもらった3舗ぐらいしか知らないが、サラリーマンになってから暮の賞与が出ると毎年子どもと家内3人で食べに行った嬉しい思い出は懐かしい。