悟正さんの随想


  淡き交わり
2015.07.13
3組 山本悟正  

 先日、新宿駅小田急線ホームで以前知り合った女性とばったり出会った。
私は忘れていたが、向こうが覚えていて声をかけてくれた。
 彼女と出会ったのは数年前の池上本門寺の供茶式の日だった。
お寺の供茶式は僧侶の護摩焚きと読経が流れる中、家元が仏様へ供茶する儀式に参列し、添釜の三席(濃茶・薄茶・立礼)で仏様の相伴の一服をいただくのが決まりである。
 添釜には500名以上の客が来るので席入りは行列で寄付き(席入の控の間)で待ち、一席50名ほどが団体で順次流れ入席するのが基本である。その日の供茶式も同様だった。
 いつもは先生の社中何人かと待ち合わせて一緒に茶席に入るのだが、あの日はたまたま、私が一人で行くことになった。最初の「濃茶席」寄付きで隣に一人で来た静かな中年女性が座って席入りの順番を待っていた。 特に話はせず席入りする時「お先に」と言っただけだった。順番に席入りするので当然隣合わせとなり、私の次に彼女が回し飲みで「濃茶」を飲むこととなった。

 二席目の薄茶席と三席目の立礼席は同じ席だったが、入口で席主から「殿方は上座に」と引き   抜かれてしまい少し離れていた。最後に点心席(食事)に行くと入口でまた彼女と一緒になり、一緒のテーブルで食事をすることとなったが、特別な話をすることもなく一寸気まずい雰囲気ではあった。下足場を一緒に出ると「お帰りですか?」と云われ「はい!」と応え、ぎこちない感じだったが送迎バスも待ち行列なのでバスを待たず、駅まで一緒に歩いた。途中にコーヒーショップがあったので「コーヒーを飲みませんか」と誘うと「ハイ!」と明るい返事が戻ってきた。

 いろいろ話をすると、彼女は都心の美容院で働いている美容師で母親と二人暮らしの堅実な女性だった。 正絹無地紋付をキチンと着こなしていたのは着付けもする仕事柄であったろう。
 今回、新宿駅で再会した時は洋服姿で髪型も違ったので直ぐには誰だか判らなかった。彼女は「髪の真っ白な人をみると思い出していました」とよく覚えていた。
 小田急「各停」に座りのんびり話をすると、母親が老いたので実家の町田に戻り近くの美容院に移り、看護師の免許も取って母親の世話をしているという。お茶の稽古は先生が老いて代がお弟子さんに替わってからは次第に行かなくなってしまい、たまに女友達と<日帰りバス旅行>をするくらいが息抜きだという。
 メールアドレスを交換して別れたが、後日「今度一緒に日帰り温泉バス旅行に行きませんか?」というメールが入った。彼女の女友達と一緒に団体で忙しく移動するバスツアーには興味が沸かず「よかったら、私に別の計画をさせてくれませんか?」と詳しく内容を説明せず返信したら、「是非!」ということになった。
 午前10時に新百合ヶ丘・多摩線のホームで待ち合わせ二つ目の「栗平」で降りた。
駅前のコンビニでビール2缶とつまみを買って里山歩きをスタート。
 何の変哲もない田舎風景を見ながら歩くとじきに乗馬倶楽部のところに着き、来客用に用意された青い金属椅子に腰掛けビールを飲み新緑の風を味わった。彼女は女子高を卒業すると直ぐに父親を亡くし、美容学校へ入学し、美容師の免許を取りずっと母親を助けてきた。

高校では放送部にいて、学内の情報を取材し放送したりしていたようだが、思い出に残るボーイフレンドや特に親しい友人も少なく英語が弱いので海外旅行へも行ったことはなく趣味といえば贔屓のお客さんから薦められ、お花を習いその先生に薦められ茶道裏千家に入門したお茶の稽古ぐらいで、気がついたら50歳になってしまったというので、私は「恋愛や孫の話」はせず、高校時代ブラスバンドでトランペットを吹いていたこと、友人の<陶芸家たち>のこと、青森のねぶた祭りや四国の阿波おどりのことな ど脈略のないことが話題となった。
 

 また少しウォーキングをして丘の上にある「桜屋」という蕎麦屋へ到着。ここは11時半~1時半までの2時間しか営業していない茅葺き屋根の古民家を改造した日本そば屋である。   最近は口コミで人気が出て直ぐに満席となるので心配だったが、平日なので幸い直ぐに入れた。店内には20種位の惣菜が置かれ好きなだけ自由に取って食べられるバイキング形式になっていて、蕎麦は一人前1,000円だがこのおばんざい風おかずや庭の休憩テラスのコーヒー・紅茶全て込みの値段である。おかずは近所の農家のおばさんたちがパートで来て作り、野菜は近隣の有機栽培農家の採りたて野菜であるという。外に出ると目の前がプロサッカーチーム「川崎フロンターレ」のグランドであり、練習が目の前で見学できた。

 


 その丘を降りたところに「温泉処」があり、話の種に汗を流す事にした。店内には休憩所やレストランもあり、入浴後ゆっくりすることもできるが、腹は空いていないのでアイスクリームを食べて一休みし、またウォーキングの続きをすることにした。彼女はこの頃毎晩ワインを飲むのが習慣になり、チーズも好きになったといい、私は「寅さん」の見どころや寅さんの妹<さくら>の魅力など映画の話をし珍しくもない畑沿いの道を歩き新百合ヶ丘駅まで帰ってきたのが夕方5時近かった。彼女は何一つ自慢になるような風景や特別美味しい物も紹介できない私の企画に感謝し、お礼のつもりか駅前のシネマ館を指差し「映画でも観ましょうか?」と誘われたが、平穏な一日の最後を観た映画のイメージで締めくくりたくなかったので「賢者の交わりは淡きこと水の如し」と言うでしょうとコーヒーを飲んで「今度は陶芸でもたのしみましょうか」と言って別れた。 私と彼女は「淡きこと水の如し」の主旨から名付けられた茶道裏千家同門「淡交会」の会員である。 
 これまでにいろいろな人たちと出会い、多くの人と交流し「淡き交わり」を善としてきたが、この頃は歳のせいか今まで以上に「質素な淡き交わり」に一握りの情感を感じるような心の通い合いがいいなと思うようになってきた。


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