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 佐々木さんの<戦争と平和を考えよう>を読んで

 佐々木さんの<戦争と平和を考えよう>を読んで佐々木さんの論文は、その調査、識見が素晴らしいと思います。又、分かりやすく、多くの人々に参考になるのではないかと思い、敬意を表します。

 昨日、(憲法改正をテーマにした)「トップフォーラム」というのが、東京大学本郷構内であり、偶々、日頃考えているようで考えていない一人として、最近の安部首相の急ぎ過ぎとも 思えるような政治手法に反論が強まっている中で、憲法改正論議に自分なりの理解と整理をしたいと思っていたので、学者はどう考えているか知りたいと思って参加しました。

 東京大学・明治大学・慶応義塾大学・伊藤塾・埼玉大学の名誉教授・教授・塾長の樋口陽一・辻村みよ子・小林節・伊藤真・長谷川三千子の各氏を演者とする講演とパネルディスカッションを聴き、帰りに、5氏の本を買って帰ったのですが、今朝、佐々木さんの文章を読んで、<梅津さんの戦争体験を聴いて><何のための戦争だったのか><戦争体験から学び直さなければ><国防は亡国に通ず>に感動しました。<平和目的>を掲げた戦争で、国が滅んできたのが歴史と思うからです。

 因みに、昨日のトップフォーラムは、改憲派・護憲派で分けられてはおらず、世に知られる改憲論者からも改憲の問題点指摘があり、護憲論者と評される方からも、

 政治としての護憲ではなく、憲法の考え方が述べられたものですが、5氏の著書を書いてみます。

  「いま、憲法改正をどう考えるか」  樋口陽一     岩波書店
  「比較の中の改憲論」        辻村みよ子    岩波新書
  「憲法改正と改悪」         小林 節     時事通信社
  「憲法の力」             集英社新書     伊藤 真
  「民主主義とは何なのか」       文春新書      長谷川三千子

 

 私自身は、<軍国主義・全体主義で強力だったスパルタは滅び、民主主義のアテネは栄えた>と教わって育ち、民主主義が正しいと今も信じていますが、民主主義はベター選択であって、絶対的なものでなく、民主主義も弱さを持っており、 アテネもやはり滅びているのが歴史の事実であると思っています。

 3日前に、庭でのジャガイモ植えに山北へ帰り、墓参りをしましたが、寺の石碑に空海の<始まりがあり 終わりがあるのが 世の常>の解説と<生者必滅>の経文をみて、<その通りだ。>と思ったところです。現在の科学は、太陽さえも、将来消滅すると言っています。

 今朝のテレビの<サンデーモーニング>は、福島県の津波被害現場後の吹きさらしビルからでしたが、津波にしろ、地震にしろ、防災に絶対は期待できないと考えて、<自然と人に目を向けた減災(逃げる)><科学に絶対はないと考える>そして<混乱を救うのは政治しかない>と訴えていました。

 佐々木さんの文章が、<憲法は変えない><軍備は持たない><安全は警察力で>と言われているように受け取ると、私は、まだそこまで断言できない状態にいます。

 <成立時に国民のどこまでが平常心で納得したか不確かな現憲法は、絶対的なものとは考えず、憲法といえども、時代環境にに合わせて変えていくのが自然で、現在環境と将来の国民のために適切な憲法の内容はどうなのか、今の憲法に直すべきところが、あるのかないのか、広く国民からの意見を求める見直しをするのが良いと考える…変えないことも含めた結論の為にです。>


 ・・・・私自身は振り返って、戦後憲法を根拠にした教育で、憲法の正しい使い方かどうかを含めて、古くからの日本人が培って来た、自然や人に対する 向き合い方、 接し方が、世界的に見て、優れた文化と思われるのに、それが、結果的に軽んじられて来たと感じています。自然の変化や力への敬意、他者に対する思いやり、です。

 人権の利己的・反社会的使用への節制教育不足です。

<自衛隊は軍隊でないと言いながら、実質的な軍事力を持っている混乱は事実で、これが、世界平和の為に、他の国が軍隊を持っている状態よりも、レベルが上という理念を、どうやって国民が納得できるのか、わかりやすい文章に書き直すことが、国民みんなの憲法として必要と感じている>

<原発即時停止議論が盛り上がらなかった都知事選の結果を、民主主義の一つの限界と認めたうえで、原子兵器を比較的容易に手にできる(現存・潜在)テロリスト がいる以上、国としての軍事力放棄が起きた場合に、国民の安全は守れるのか不安に思うので、国境をなくし、世界平和の為に一元的に動ける軍隊=地球軍乃至地球警察軍のようなものがない現状で、国の国民を守る責務を放棄させるようなことが賢明かどうか、私はまだ、結論が出ていない。>

 佐々木さんの論文を、昨日のトップフォーラムの主催団体の一つの神奈川銀杏会の
役員で、昨日会った二人に紹介しようと思います。土井さんと羽田さんです。

2014.03.10
6組 瀬戸章嗣

 卒業記念湯呑について思う

 下赤さん投稿の小田高卒業記念湯呑ですが、私の場合は、毎日これで茶を飲んでいます。
いつから使っているかは不確かですが、多分、<凡才人生100年>の半分かと思った頃に実家の戸棚で見つけて以来かと思います。今日は、大型台風27号が伊豆大島に近づいているとテレビが伝えているので、午前中は外に出ないつもりでパソコンに向っていますが、朝食の後で勉強部屋へ持ってきたこの湯呑には、飲みかけのごぼう茶が入っています。

 改めて見ると、金縁の樫葉校章の緑色は今も鮮やかで、相模灘の波か風雲の急を思わせる
巻き模様の下地の赤い土色は、色あせた感じがしません。赤い土色は関東ローム層かな?
と思ってインターネットで検索すると、関東ローム層は、東京で5メートル、御殿場では100メートル積もった富士山などからの火山灰の中の鉄分がさびた色だとあり、鉄さびは服に付くと落ちにくいようにくっつき易いから保水力があり、一方、粒子が粗いことによる透水性があるので、保水性と透水性に優れるという二律背反性を実現して、関東ローム層は地耐力に優れている。そこに建つ家が地震に強い所以だと説明しています。

 樫と土の強さを表したとみると、この湯呑は小田高健児の強さの象徴ではないでしょうか。
<相模小田高健児>の心意気をいつまでも持ち続けて、しぶとく生き抜けという励ましにも見えて来て、小田高時代に中庭で聞いた(石川?)教頭先生の言葉を思い出しました。
私の部屋の壁にある<先生方の贈り物>にも入っているのですが、<鋳物のような固い頭は駄目だ。鋼のように丸くしなる、しなやかな、しっかりした頭に鍛えなさい。>
ずっと、時に思い出して心がけてきたと思い、今後も、時に思い出そうと思います。

 ところで、元気が取り柄の私が、今夏今までにない体調不良に見舞われ、検査点検の結局、加齢に対するオーバーワークと結論付けました。歳相応の生活を、頭では分かっている積りでいても、いつの間にか、忘れていたことを知らされました。会合出席をキャンセルし、森林公園散歩を復活励行するなどして、復調中ですが、これからは、卒業記念の冷めない湯呑でお茶を飲みながら、食事にゆっくり時間をかけようかと思ったところです。
2013.10.26
6組 瀬戸章嗣

 下赤さんの「遊行寺の菩提樹」を読んで

 若い頃の学習で、<全国遊行して歩いた時宗の一遍上人>は知っていましたが、時宗が今に続き、その本山が藤沢にあるとは知りませんでした。
下赤さんの紹介文投稿に感謝致します。大きな菩提樹にも感動しました。
一度行ってみようと思います。遊行寺本山のホームページを見ました。

 そして、改めて、インターネットで、「時宗」を検索し、元は「時衆」と言っていたこと、<日常を、臨命終「時」と心得て>阿弥陀念仏を唱えて暮らす生き方で、中国仏教から浄土宗に伝えられ、鎌倉末期に独り全国歩きをした一遍上人を開祖として、後に藤沢に本山が定まり、隆盛の後、浄土真宗や曹洞宗などのの普及で目立たなくなっていたことを知りました。

 時衆の考え方が、<信ずる者も信じない者も、阿弥陀如来の絶対力で救われる>というもので、<神や仏を信じない、けれども不安を抱えている>現代人によって、再び受け入れられる時が来ているような気がしました。

 因みに、我が家の墓は真言宗寺にありますが、本家は曹洞宗、妻の実家の寺は、藤沢の浄土真宗です。私自身は、宗教信者ではありませんが、先祖が尊んできた「八百万の神」を尊ぶ心を自覚しており、<人事を尽くして、あとは、神様、仏様のご加護をお祈りする。>仕草が身についているのに気が付いています。
今日は、<臨命終「時」を心得た日常>に、改めて思いを致したところです。

2013.06.21
6組 瀬戸章嗣

 5月19日の小田高ホームカミングデイで遠藤さんの<鮭の話>で、放流鮭の回帰率が5%とか、放流事業での受精卵の孵化率が8割というとてつもない生命力や回帰能力などが、現実にあることに感動し、小田高に劇場のような視聴覚室があるのを知り、寄席やソプラノ声楽コンサートにびっくりした後、小伊勢屋での同期懇親会、魚河岸での46会に参加して、幸せでした。

2013.05.21
6組 瀬戸章嗣

「廣瀬龍一さんと古民家の保存」を読んで ・・・ 日本はいいですね!  

 私は、廣瀬龍一さんが<日本の良さ>に気付いて感じた喜びを、自分も共感していると、自分の体験を通して想像していたのですが、今回の写真で、具体的イメージを持つことができ、改めて、彼の純粋さと情熱にエールを送りたいと思いました。ありがとうございました。

 私も仕事で海外へ行き、日本とは違ういろいろの見聞をしましたが、そこに住む人たちが、与えられた自然と歴史環境の中で長い間に育んで、当たり前としている暮らしは、そこの人たちにとっては、最高なんだろうと結論し、違うことを認めて、お互いに尊重していくのがよいのだろう、というのが、商社マンを退職する頃の思いでした。

 最初にした5年の海外生活で、<最高!>気分だったサンフランシスコも3年を過ぎた頃、やっぱり日本の方がよいと思った経験があります。自分では四季があるからと説明していましたが、四季も含めた日本の文化が、日本人には、尊いのだと今は思っています。

 昔の良さを残しながら、新しい良さも生まれていくのだと思いながら、過ごしていきたいと思っています。

 ところで、連休明けの昨日、正月以来の大山に登り、しばらくぶりなので、前回の男坂でなく多少優しい女坂を登って、富士見台から富士山を眺めましたので、携帯写真を添付します。日本晴れの山頂付近で食べたおにぎりは最高でした。

 文化的世界遺産に認定された富士山ですが、一緒に申請した三保の松原が除外されたのは、富士山から離れすぎているからと聞きましたので、廣瀬さんが保存しようとした古民家を含めた<西和賀の自然と文化>も距離で認定条件には該当しなくても、日本の世界遺産の一角にあるといってもよいのかもしれないと思いました。

2013.05.09
6組 瀬戸章嗣
 

 山崎さんの「私の絵画」を見て

山崎さんへ
 素晴らしい水彩画をありがとうございました。本欄で、以前貴兄が、農作業と晩酌を楽しんでいて、6年NHKの絵画教室にも通っていると書いておられたのを読んだ時は、野菜作りと晩酌で同じ楽しみを持っている私としては、絵のことは気に留めませんでしたが、今回作品を見せて貰い、私のような素人にも、いかにも、基本の練習をきっちりとこなしたに違いないとわかる成果を見せて頂いたと思って、感動しました。
 素直で癖のない気持がよい水彩画だと思いました。貴兄の思いと才能はもちろんながら、多分、よい指導者との出会いと怠けない努力がもあったのではないかと想像しました。そして、幸せなよい時を過ごされていると思って、ご同慶の至りです。お互い、好きなことをしていくのが、一番だと思います。

 私は、今年は富士山に登って山に目覚め、これから無理のない程度の山歩きを楽しもうと思っていますが、今月初めに今年4度目の大山に登った時、山頂付近で4頭の鹿に出会い、口笛に振り向いてくれてしばし見つめ合い、感動しました。勝手ながら、会話が通じているように思って、童話の世界に入った気がしました。その時の携帯写真を添付します。

2012.12.13
6組 瀬戸章嗣
   
                 大山の鹿  

山崎 泰さんへ

 久しぶりに、日本橋四つ角近くの柳屋ビルにあった商社に入社して、その後白木屋裏の昭和通り側にあった鉄鋼ビルに移り、八重洲を含めた3か所で過ごした青春時代を思い出しています。日本橋のことはよく知らなかったので面白かったです。ありがとうございました。又、お願いします。
 ベースになる取引がない弱小の食品課で、新規取引開拓に夢中の日々でした。良い商売が出来たらキャバレーのコパカバーナで遊ぼうと、先輩に目標を貰ったりしたのを思い出します。従業員組合支部の文化部長になり、初めての社内ダンスパーティを開いたのも楽しい思い出です。

2011.10.08
6組 瀬戸章嗣

吉田龍夫さんへ
 うれしいお便りをありがとうございました。先日山北の実家から持ってきたばかり1959年卒業記念アルバムを見ています。1年と2年は貴兄と同じクラスだった記録もあります。好きなことをずっと続けて、素晴らしい活躍をされているのを知り、幸せなお人だと思いました。
 そして、親父から貰った3つの言葉の一つを思い出しました。私の信条でもあります。小田高に入学した時の言葉で、「小田高校長香川幹一は小学同級生だ。他成績は駄目だったが、地理だけは一番だった。好きなことを、夢中になってやるのが一番だ。」
 2月18日のカレンダーに、鎌倉行きをマークしました。高校1年だけ合唱をやっていて、受験の為にやめたのを思い出し、1986年にパリに駐在した時は、家族が来るまでの1年弱を、持って行ったカセットの都はるみを歌って暮したことを思い出したりしています。

2011.10.03
6組 瀬戸章嗣

月村さんへ
 今日の、貴兄のつぶやきは、我々にとって真に時宜を得た言葉だと思いました。ほんとに、今年は死と隣り合わせにいるのを知らせるようなことが続きますね。先日の台風の夜は、すぐ近くの大木が近所の家に倒れ、人に怪我はなかったけれど停電になり、深夜まで工事車が作業するようなことがありました。
 したいことは、出来るだけ実行して、悔いを残したくないですね。でも、一方で、死のことをあまり考えて仕方がないのも事実だと思っています。
 私も、相田みつをの言葉が好きで、近くに日めくりカレンダーがありますが、今日の26日は、< 悠遊 空をみあげてごらん ゆったり悠遊 雲もゆうゆう鳥も悠遊 小さな自分がわかるから > ・・・とあります。
 結局、人はみんな、したいと思ったことをできるだけして、そして死ぬのではないでしょうか? そして、それを、みんなが、それでよいのだと認めるのが良いのだと思っています。
 2011.09.26
6組 瀬戸章嗣

榮さんへ : お母さんへの思いやりあふれるエッセイありがとうございました。お母さんも喜んでおられることと思いました。谷峨から少し山北寄りの酒匂川の丹沢側246沿いに瀬戸という地区があり、ここが山北に多い瀬戸姓家族と関係あるかどうか知りませんが、名前が同じなので、私は以前からあの辺りの風景に親しみを感じています。
2011.09.11
6組 瀬戸章嗣

 私の東名ドライブは、長く通いなれた、川崎から大井松田で降りて山北の実家までの往復で、好きなのは、いまさらながらに気がついた、走行中に見えてきて、姿を変えていく、大山や富士山、そして、大井松田から山北間の足柄平野と箱根・丹沢の山、川、橋、雲、空、緑の故郷です。もう30年も長い間、年5回(盆暮両彼岸と室生神社の祭礼日)程の里帰りの時は、ドライブをたのしむ感覚が薄く、むしろ行ってからのことが頭にあったのに対して、最近は、2週間に1度程度の割合で、庭での野菜つくりに帰るようになり、ふと気がつくと、いつも良いとは思ってはいた、フロントガラスの向こうに見えて来る大山や、いろいろな富士の姿を眺めながら、車間距離を充分とりながら、スピード感を、安心して楽しんでいる自分に気がついている次第です。途中、海老名サービスエリアで朝蕎麦を食べたりして一休みしますが、帰りの中井では、ソフトクリームを食べるのも楽しみです。

2011.09.11
6組 瀬戸章嗣



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