80年代後半、大きな大きな経済の波が、真鶴町にも押し寄せてきました。この小さな半島に、持ち上がったリゾートマンション建築計画は、全部で43棟。そのすべてが国の建築基準法・都市計画法に見合ったものであり、県の指導にも従っているのだと、当然のように、財産権・建てる権利を主張してきます。
国の法律で、真鶴町は守れない。
「きちんとした拘束力のある、この町独自の条例をつくる必要がある。」
自己水源の乏しい、真鶴半島の現実的な弱さを武器に、基準以上の大きさの建築物には、水を供給しないという「水の条例」。建蔽率・容積率に加え、風致地区や、細かな基準を設けて、景観を守る「美の条例」。
2段階の条例構想をかかげて立ち上がったのが、私の父でした。
このように小さな町が、独自の法律を設けるというのは、並大抵のことではありません。開発業者だけでなく、国や県も圧力をかけてきます。そして、規制の厳しい条例に、住民からも様々な主張が起りました。
各所をまわり、「話し合い」に力を尽くす日々。
当時の父との会話で、私の胸に深く刻まれているものがあります。
「建蔽率50% 容積率200%という数字を見て、厳しすぎるという意見があるが、今現在、この真鶴にたつ建物の中で、この基準に反しているものなどほとんどない。自分たちはずっとこのように暮らしてきた。
もちろん土地所有権・財産権を主張することはできる。けれど、自分の権利を主張することで、隣の人の権利を侵すようなことはよそう。ただ、それだけのことなんだ。」
”美”という主観的なものを、どのように客観的な言葉におきかえるのか?
「この土地に人が住み、集落を形成し始めた頃から考えると、真鶴には千年の歴史がある。その時間の重みを加えることで、その営みを言葉にかえることで、真鶴独自の“美”を客観的、かつ、普遍的なものにすることができる。」1993年に制定され、翌年に施行された「美の基準」によって、当時の開発計画の、ほぼすべてが白紙に戻されました。
私は今日も、懐かしい町並みを歩き、鬱蒼としたお林に分け入り、木々の隙間から、かがやく海を眺めています。
その暮らし方ひとつで、その生き方ひとつで、私たちは、大きな力に打ち勝つことができる。それが「美の基準」が私に教えてくれたことです。 できあがった条例の素案をもって、説明にまわる父は、「これを真鶴の“決意”と受けとめて欲しい。」といいました。
施行から来年で20年。
平易であたたかく、芯の強い言葉で綴られた真鶴の決意が、改めて多くの人に読み継がれ、受け継がれていくことを心から願います。
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