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   原発について                             2012.03.14  4組 安藤康正

 編集の吉田君からHP原稿依頼のメールをいただき、“原発のような時事問題の投稿も”とのご趣旨に沿い、筆を取ることにしました。過日、彼からは個 人的に福島原発のメルトダウンの可能性や線量計などに関するご質問をいただき、回答を準備していたのですがその後、プライベイトな質問として辞退されたた め、回答しないまま今日に至りました。

40年近くを“原子力村”で過ごしてきて今回の東日本大震災に伴い発生した福島第一原子力発電所の事故をどうとらえるべきか、原子力開発・安全研究・地層 処分等に携わってきた“原子力村”の一員として悩み、反省している日々ですが、あまり構えないで書いてみます。もしご興味があればお読みください。


  1.汚染状況重点調査区域
 小生が住む野田市は、昨年12月に「汚染状況重点調査区域」に指定され、市独自の除染計画(素案)を策定中で、それに対するパブリックコメントを募集し ています。野田市はセシウム137の汚染がひどい柏市に隣接しており、利根運河という小さな川を挟んでこちら(野田市)側の地域も汚染が高いところが点在 しています。

 幼児・子どもの被ばく被害を低減するため、市は国のガイドライン(平成23年12月)(除染基準値は、毎時0.23マイクロシーベルト)提示前に、独自 で「天地返し」という表土と地下20~30cmの土と入れ替える“除染”作業を、おもに公園や校庭等の子どもが接近する場所を中心に実施しています。しか し、これとてセシウム137は除去されたわけではなく、依然として地下10~20cmの浅い地中にあり、将来世代が掘り返す可能性・危険性を考えるとベス トな処理方法ではありません。当面、被ばくを回避する暫定措置です。国はその記録資料の保管管理期間をたったの5年間としています。5年間ではあまりにも 短い。除染対象とするセシウム137の半減期(33年)にも達していない状況で、除染に関連する記録が廃棄処分でもされたら現時点での汚染状況の情報は消滅し、将来の子孫の安全な生活など保障されません。事故から1年が経ち、いまでも福島第一原発からは放射能が放出され続けていることを我々は忘れてはなら ないでしょう。

 2.緊急時迅速放射能影響予測コードSPEEDIについて
 原子力安全委員会を含め、関係省庁は毎年2回、国内の原発事故を想定して緊急時の対応訓練を実施してきました。当初は、各職員宅の電話を使い、役目ごと にグループ分けされた連絡網を使って情報伝達をしていましたが、最近では携帯電話(国からの支給)を利用して一斉に想定事故の連絡が早朝、入ります。「本 日、◯◯原子力発電所△号機で何々が故障しました。ただちに参集できる人はボタン1を、参集出来ない人はボタン2を押してください。」 この訓練の際に は、上述のSPEEDIコードの解析結果も閲覧できます。 このような訓練を定期的に実施しながら、東電の今回の事故時にはSPEEDIが初動段階で何も活用されなかったこと自体、不思議でなりません。原子力安 全委員会委員長(斑目氏)が交代するとこうも対応のまずさが露呈するのでしょうか。
 枝野官房長官(当時)はSPEEDIの存在すら知らず、細野首相補佐官(当時)は住民がパニックに陥らないように非公開にした、としていますがこれが正 しい判断だったでしょうか。排気筒からの放射能放出量が不明(モニタリング機器の故障で)なため、SPEEDIの結果は使わなかったとすることはおかしい です。少なくとも

 (イ)1ベクレル/毎時でも入力すれば風向・風速・地形が入力されるのでどんな拡散地図 も描けたはずです。(この手法について細野大臣は現在も気づいていないようだ。)

 (ロ)原発敷地周辺に設置されている複数のモニタリング・ポストの測定値から、放出量を逆算し、それを線源(放出量)としてコンター(等線量率線)が描けたはず。
その結果をもとに住民の避難経路を特定できたし、指示すれば良かったはずです。少なくとも高濃度のプルーム(放射能雲)が飛散していっ飯館村への避難は回避できたので はないでしょうか。事故当時のこれらの情報を地方自治体へ提供・伝達する手段の途絶の問題はたしかにあったでしょうが。

 アメリカのNRC(原子力規制委員会)は同様の解析コードRASCALを使って北西方向へプルームが拡散するマップを作製しており、これに基づき、在日 米国人の80km圏内からの避難勧告を出している。米国のシミュレーション結果は日本の評価とほぼ一致しており、アメリカと密接な情報交換をしていれば住民の被ばく量を抑えられたかもしれない。(新報道2001、2012年3月11日放送)


 3.ガラス固化装置
 この装置は、使用済燃料を再処理工場で処理した後に発生する高レベル放射性廃棄物を特殊なガラス原料に混ぜてステンレス製容器(キャニスタ)に封入する 装置である。フランス、サンゴバン社の設計に基づいて建設された東海村の再処理工場のうち、唯一、ガラス固化装置だけは国産にしようとして国と電力会社が 費用を折半して建設したのが、15年ほど前に完成したTVF(Tokai Vitrification Facility)である。東海村の装置は全部で420体のガラス固化体を収納できる設計だったが、処理の途中でガラス溶融炉が不具合になり改良しなけれ ばならなかった。この炉の特徴は炉下部が45度の傾斜を持ち、中央部は1200℃、炉底部は800℃という運転モードとなっている。炉の出口部分にはいわゆる白金族(Ru,Rh,Pd)が析出し、溶融したガラスが閉塞する難点がある。

 この問題点を解決することなく、六ヶ所村の再処理工場に同じ施設を、ただスケール・アップしただけのものを建設してしまったため、現在でも六ヶ所村のガ ラス固化装置は、運転出来ず、再処理工場の稼働が遅れに遅れて、さらに建設費も当初の予算を大きく上回ってしまい、国産化をめざした装置が皮肉にも再処理 工場稼働のネックになってしまっている。

 社内(旧動力炉・核燃料開発事業団)では年1回、技術評価委員会が開催され、このTVFもA、B、Cのランク付けがされたが、評価委員から、 TVF開発の前段で使用したコールド施設(放射性物質を使わない実験施設、モックアップ装置)を廃棄するように求められた。しかし、「TVFは箱ものができただけで完成品ではないし、実用化もできていない。商業炉(六ヶ所)に使えることが証明されて初めてその開発任務を終えるわけで、六ヶ所村の施設が順調 に稼働するまでは棄てられない。」と主張したところ「(お前は)研究管理能力がない管理者だ」と酷評された。しかし、TVFの初期運転の際に、溶融ガラスが出口で閉塞するトラブルが生じ、結局、モックアップ装置を使い、原因は短期間で究明することができた。コールド施設の必要性が証明されたが、あれから 15年経った現在でもこの白金族の析出問題は解決されていない。TVFでも六ヶ所村の装置でも。そんな時に東日本大震災が発生し、再処理工場は福井県にあるもんじゅとともに今、再検討すべき国の原子力施策問題として俎上に挙げられている。

 ガラス固化装置の開発について言えば、施設の無駄と研究者の配置の無駄(東海から六ヶ所の施設建設・運転に研究者を派遣した)を招いている。何 故、早急に六ヶ所の施設を建てようとしたのか。東海村のTVFでじっくり研究者の能力・技術を結集させて開発していればとっくに六ヶ所の再処理工場は稼働 できたはず。

 ガラス固化技術については、ドイツのカールスルーエ原子力研究所と技術交流をはかり、毎年、交互に会合を開催してお互いの開発技術を公開し、議論を重ねてきた。ドイツの方式は溶融炉の温度は1200℃とし、炉壁の角度が70度以上と急こう配にして白金族の析出を克服している。日本は地震国であるので炉壁勾配を45度以上にするのが厳しいと聞くが、レンガの形状を工夫すれば耐震性の組み立てが可能と考えるが。

 カールスルーエではこの装置の開発に携わっている研究者の顔ぶれ(ワイゼンバーガー博士、ロート、バイス両博士、トビー氏)が5年ほど前まではほとんど替えていなかった。そんなところも固化装置開発に成功している、国民性の現れか。
 
 個人的意見を言えば、ガラス固化装置の開発が遅れ、再処理工場が稼働できず今回の東日本大震災で東電福島第一原子力発電所の事故が発生したため、原発からの離脱(脱原発や減原発)、使用済燃料の再処理を見直す絶好の機会である。使用済燃料の直接処分という選択肢を含め、再検討されることを望む。再処理工場が稼働すると美しい日本の土地、海が汚れる。日本の原子力政策を根本的に見直すべきである。「もんじゅ」の実証炉構想を含めて。(朝日新聞(夕 刊)2012年3月6日、原発とメディア(連載)参照)

 原子力委員会の原子力開発構想はどこかで止めなければならない。東日本大震災で起きた東電福島原発事故では、原子力委員会委員長である近藤氏の顔が見えない。現状をどうとらえ、国民にどう釈明・説明するのか。苦渋の選択ではあろうが、重大な決断であり、被ばくしている住民、避難を余儀なくされている地元民に一言あるべきではないか。


 4.もんじゅ
 もんじゅのプラントを維持するために、1日4000万円もの税金が使われている、と聞く。年間では144億円になる。ブランケット燃料からPu-239 を生成する「夢の原子炉」は我々の世代の燃料(製造技術)ではない。次世代あるいは孫子の世代が「燃料」に窮した時に必要な技術であり、それを証明するためには、1サイクルの運転だけで充分である、というのが私の意見であり、原子力安全委員会にいた時からの主張である。
 「安藤さんはもんじゅ(計画)に反対なんだ」と常々、日本原子力研究開発機構(旧動燃+旧原研)からの若い出向者に批判されていたが、その根拠はここにある。さらに海外で再処理した時に発生したPu-239が国内に返還され、MOX燃料にできずに残っており、IAEA査察の対象である。それ以上に何も Pu-239を生産する必要はない。高速増殖炉の実用化は「夢のまた夢」の炉でよいはず。
 現世代が必要とする技術でないものに1日4000万円もの血税を払う理由はどこにもない。ましてや東日本大震災で発生した原発依存の見直しが求められている現在、なおさらその開発の必要性はなくなった。
 今、プルサーマル計画の一環として使用済燃料から有用なPuとウランを回収し、MOX燃料として既存のBWR,PWRで燃やす計画は、脱原発となれば再処理する必要がなくなる。あの広い国土を持つアメリカで103基に対して、この狭い地震国日本で54基の原発はどう見ても多すぎる。

 もんじゅ計画を、50歩譲って推進するとしてもMOX燃料製造工場の建設やもんじゅのブランケット燃料の再処理工場が必要になり、どんどんエンタルピーは増大する。(熱力学第二法則)
  
 Pu-239は、核兵器の種でもある。日本ではMOX燃料に加工して既存の原子炉や大間原子力発電所(電源開発所有)で燃やす(消費する)予定であるが、必要以上のIAEA査察対象核物質をもんじゅで生産する必要はない。プルサーマル計画も日本では地元の了解が得られない状況で、もんじゅ燃料の製造・ 再処理まで考えると「トイレなきマンション」と揶揄されている原子力政策のバック・エンドが見えない状態が続く。一度立ち止まって見直すよい機会であろう。もんじゅはいらない。


 5.ジョン・ウェインはなぜ死んだか。
 これは広瀬 隆著の有名な書物のタイトルで、当時、ネバダ州での核実験で排出された死の灰を、風下のロケ地で西部劇を撮影していた米国の俳優たちと核実験場の風下に位置する地元住民達が次々と癌で死亡していく様を著したものである。

 今、それに類似した真実が1月23日の朝日新聞の小さなコラム欄にビキニ「死の灰」の真相と題した深夜放送の記事として書かれていた。愛媛県の南海放送が制作した「放射線を浴びたX年後、ビキニ水爆実験、そして...」という深夜放送で衝撃的な事実をつきとめる番組の紹介であった。

 米国が1954年(昭和29年)に太平洋のビキニ環礁で実施した水爆実験がもたらした被ばく被害の実態と真相が歴史から消え去った背景を浮き彫り にしている。我々が知る「第五福竜丸」事件は、「死の灰」を浴びて亡くなられた乗組員の久保山愛吉さんのこと、汚染されたまぐろが廃棄されるシーンなどが 想い出されるが、米側が“安全海域”と称した海域で操業していた千艘あまりの漁船の乗組員のその後の追跡調査(58年後)の真実を知るべきである。80年代半ばから乗組員の多くが50代~60代の若さで癌でなくなられていることを突き止めた、とある。疫学的にどうかは知らないがその可能性は否定できない。 とともにそれは現在も福島第一原発から放出されている放射性物質で被ばくしている地域住民あるいは広範囲の国民が数十年後に罹患するかもしれない可能性を示唆している。

 私達は今、福島原発事故による汚染物質の拡散を軽視すべきではない。我々70歳代の世代が今後50年後の癌発生を心配しても始まらないが、子孫の 世代にはこの苦しみを残さぬように心がける必要がある。チェルノブイリ事故と同じ状況が今の日本にある。 それ以上に海域に放出された汚染物質が近海の海底に蓄積し、根魚を汚染し、回遊魚をも汚染している。プランクトン-小魚-根魚という“食物連鎖”により海産物の汚染は止まらない。東京湾の汚染も徐々に上がりつつある。雨により大きな川を経由して森林や山野にまき散らされた汚染物質が東京湾に集まっている。

 6.レベル3、INES(国際原子力事象評価尺度)
 1997年(平成9年)3月11日、(奇しくも東日本代震災の発生時期と同じ)東海村で発生したアスファルト固化処理施設での火災・爆発事故で当時の科学技術庁へ報告する“事故の程度の大きさ”を示すINESレベルと1にするか、どうかで事業団内での結論が出せずにズルズル報告が遅れていた。一般市民が事故の大きさが判断できるように平易な言葉を使い、迅速に報告することが求められていた。現在は、事業者が報告するということにはなっていないようだ。
 そこで小生を含む“窓際族”3人がINESレベルを再検討するように命じられた。社内の当事者は大部分の低レベル放射性廃棄物が地下のタンクにあるので レベル1を主張し、会社の立場を守ろうとした。当時の新聞記事を読むと、原子力安全委員会の都甲泰正委員長も「放射能の閉じ込め機能が失われた点が問題」 と発言しているように施設の窓ガラスが破損し、内部の雰囲気が環境へ放出されたため、いわゆる深層防護が喪失している状態であり、IAEAが規定した

 (1)人と環境
 (2)施設における放射線バリアと制御 
 (3)深層防護
 
の3判断基準のうち、3番目が喪失しているので「レベル3である」との結論を提出した。
 マスメディアもレベル3を志向していた。誰が考えてもINES判断基準をもとにすればレベル3であると判る筈であったが、猫の首に鈴をつける役目をしたくなくて当時、IAEAの基準作りに携わった経験のある我々3人が指名され、我が会社の事故で日本の新しいレベル付けをした“鈴付け役”はその後の社内で の出世コースからははずされた。 
 今回の福島原発事故のINESは最終的にレベル7と判断され、チェルノブイリ事故と同じレベルになった。JCO事故がレベル4であるからいかに大きな事故かが判る。


 7.再結合器

 福島原発事故の拡大した第一の要因は、トータル・ブラックアウト(全電源喪失)時の非常用ディーゼル発電機の予備(電源車)が少なく、対応出来なかったことだろうが、冷却できずに空気にむき出しになった燃料被覆管(ジルカロイ2)と水との反応で水が水素と酸素に分解し、その水素が原子炉格納容器建屋上部 にたまり、ベント弁が停電で開かず、手動操作で開けようとした。出口側の弁は手動で開けたが、入口側の弁を開けに行った作業員は放射線アラームが鳴り、引き返してしまった。これによりベント弁からの水素放出は出来なくなり、水素爆発に至った。

 海外では爆発する発電所にとどまり炉の保守をした従業員をフクシマ・50(フィフティー)と呼んで英雄視していると聞くが「撤退」を本社に伝えて中央制御室から退去した従業員、吉田所長のように死を覚悟して海水注入を継続した人たち。そしてベント弁を手動開放するために暗闇の中を懐中電灯でサイト内を手探りでいく姿を考えると、どこかでsafety culture(安全文化)が欠落していたか、と思う。チェルノブイリ事故では29名の尊い命が犠牲になり燃え上がる原子炉を鎮火させたことと比較して。 管総理(当時)の唯一大きな功績は東電社員の撤退を叱責して現場にとどまらせたことであろう、という。

 通常の軽水炉(BWR)の排気ガス系には炉心の高放射線場を流れる冷却材(水)が放射線により水素と酸素に分解するため再結合器(recombiner)という装置があり触媒で水にもどすような設計になっている。
 スリーマイル島事故の時も非常用電源車と再結合器車(?)があらかじめ用意されていたとの情報をどこかで読んだ記憶があるが定かではない。日本は米国の スリーマイル島事故の教訓として電源車は用意してあったが再結合器車の部分が欠落していると常々頭にひっかかっていたが記憶違いかもしれない。当時の記事を読んでも再結合器を使っていたことは記されているが可搬性の“再結合器車“だったかどうかは読み取れなかった。あるいはスリーマイル島原発はPWR、福島第一原発はBWRなので排気ガス系統に多少の違いがあるのだろうか。

 日本のPWRでは排ガスはタンクに圧縮貯蔵しておき、風向きがよい(海側への風)時に大気放出すると聞いているがPWRの原子炉設置許可申請書をじっくり読んだことがないのでよく判らない。


 8.プライベイトなこと
 プライベイトなことで恐縮だが福島第一原発事故の水素爆発時の映像を見るたびに、心痛めることがある。入社してすぐにメーカーに出向して、基礎研究の段階から開発を進め、実用化した排気ガス清浄装置、通称、希ガスホールドアップ装置があの福島第一原発1号機と2号機の排気筒を合体させた下に設置されている。その装置の性能試験にも参加した。装置は今、どうなっているだろうかと、自分の子どもの様に心配である。40年間、大きな故障もなく原発の排ガスを処 理してきたはず。 当時の燃料は被覆管にピンホールがあく可能性が排除できず、安全上、大気へ放出する排ガスの浄化装置の開発が電力業界から求められていた。排ガス規制も 厳しくなる状況を想定して当時の東京電力㈱の担当者はメーカーで開発中の本装置を見学にきて「この装置でいいから実験が終了次第、ゆずってほしい。」と言 われていた。東電の真摯な安全性への取り組みがうかがえ、現在の東電の経済性優先の考えとは違って見えた。東電の今の経営体質をかばう積りはないが当時の担当者は安全性に真剣だったと言える。
 
       
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