ちょっと発表



2017.12.16  4組 西川 岳男

私の山紀行ーその2−

今道周雄さま、

昨日の小田校11期生喜寿を祝う会では皆さんの活躍に感心しました。その中で田淵さんのご夫婦で挑んだ日本百名山の自費出版には特に感銘を受け、私のつたない写真も小田校11期通信に載せようかという気になりました。文を添付しますのでよろしくお願いします。

●2000年のヨーロッパアルプス
この山旅ではヨーロッパの3大北壁を見るというのが1つの目的でした。ヨーロッパの3大北壁とはスイスのアイガー、マッターホルン、フランスのグランドジョラスの3山の北壁です。

(1) 準備段階
 旅行の概要はadventuer guaidsに依頼しました。フランスアルプスではメールドグラス氷河とアルジャンティエール氷河のトレッキングを計画し、Couvercle 小屋とArgentier小屋の手配、山岳ガイドの手配をしてもらいました。
スイスは独自に宿の手配をしました。
宿泊はユースホステル(YH)が多く、Zurich ,Grindelwald , Zermatt , Sion , Montreux , Lausanne のYH を手配しました。
 少々高級なホテルもいいかと、ZermattからGornergratへの登山鉄道の終点にあるKurmhotel Gornergrat へメールしましたが、満員ということで断られました。それではと次にRiffelalp Resort にメールしました。するとマネージャーから “Riffelalp Resortは現在改修中でreopen は2000年12月の予定なので代わりにZermatt のHotel Nicoletta を推奨する”という丁重な手紙とZEILER HOTELS のパンフレットが郵送されてきました。私はマネージャーの推奨に従うことにしました。
 それともう一つ奇想天外なことがありました。
Grindelwaldからユングフラウ鉄道に乗り、ユングフラウヨッホからアレッチ氷河を下るツアーに参加を申し込んでいたのですが、そのツアーが中止になり、中止の連絡は我々が出発した後に留守宅に届いたのです。連絡を見て驚いた娘が日本語のメールでは海外のパソコンで文字化けしては困ると思って、全部ローマ字にして最初の宿泊先、ミューレンのホテルにメールしてきました。ミューレンのホテルでメールを見てびっくりです。
またフランスシャモニではアパートを1週間借り切り、カナダのオーロラツアーで知り合った灘夫妻と2組の家族で借りることにしました。

日程は次の通りです。

6/28
チューリッヒ
6/29
ミューレン
6/30
ミューレン
7/2~3
グリンデンワルド
グリンデンワルドYH
7/5
Zermatt YH
7/6~7
Zermatt
H. Nicoletta
7/10
シャモニ
クーベルクル小屋
メートルグラスを登る
7/11
シャモニ
アパート
7/12
シャモニ
アルジャンティエール小屋
あるジャンティエール氷河を登る
7/13
シャモニ

アパート

7/15
シオン
Sion YH
VALERE教会のオルガンを聴く
7/16
モントルー
モントルーYH
7/17
ローザンヌ
ローザンヌYH

 7月2日-3日はグリンデルワルトYHに泊まり、登山電車でユングフラウヨッホまで行ったり付近をハイキングしたりしました。アレッチ氷河を下るツアーには参加できませんでしたが、登山鉄道の途中駅アイガーグレッチャーからアルピグレンまでアイガートレイルの下りでアイガー北壁はたっぷりとみることができました。
 7月5日-7日はZermatt YHと H.nicolettaに泊まり、7月5日にはSchwarzseeからZermattまでハイキングしました。北側に回り込むにしたがってマッターホルンの東壁の巾がだんだん狭くなり北壁の巾がだんだん広くなっていきます。
フランスシャモニでは7月10日メールドグラスを登ってるクーベルクル小屋に泊まりましたが、季節外れの雪が降り、グランドジョラスの北壁はみることができませんでした。
 7月13日には山岳ガイドのステファンとtakeの2人でアルジャンティエール氷河を登りアルジャンティエール小屋に泊まりました。ロープウエーの終点グランモンテの屋上は展望がよく、エギュイーユドリュ峰を前景にモンブランも遠望できました。


Aig.du DruとMont-Blanc

Aig.Verte

Riffelseeに影を映すMatterhorn

事前にマッターホルンの初登頂者ウィンパーの「アルプス登攀記」を読んでいたので、周囲の山々の名前が懐かしいような気がしました。メール・ド・グラスを遡って行ったクーベルクル小屋では、グランドジョラスの北壁を見るつもりだったのですが、7月に雪が降るという天候でだめでした。この小屋は「アルプス登攀記」を読むと、ウィンパーたちがビバークした大きな岩棚の場所に後から作られた山小屋のようです。

 



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