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  2015.02.02 7組 斎藤良夫

嚶鳴フォーラム in 小田原


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 上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)。江戸時代の米沢藩の藩主。逼迫した藩財政を立て直した。「一番尊敬する日本人は」と問われた、就任間もない故ジョン・F・ケネディ米大統領の答えは「Yozan Uesugi」。メール件名の「---??」は、その人物が分からずに、とまどう日本人記者たちを取材したニュースのヘッドラインである。

 「嚶鳴フォーラム in 小田原」が1月31日に小田原市民会館で開かれた。嚶鳴(おうめい)は、鷹山の師・細井平洲が江戸に開いた私塾「嚶鳴館」から名付けられた。ふるさとの先人の教えを現代に活かそう---と、平洲が生まれ育った尾張国平島村、現在の愛知県東海市の呼びかけで平成20年6月に「嚶鳴協議会」が発足した。加盟自治体は14市町。

 先人の名前は、細井平洲(東海市)、上杉鷹山(山形県米沢市)はじめ、大島高任(岩手県釜石市)、佐久間象山(長野市)、山村蘇門(長野県木曽町)、佐藤一斎(岐阜県恵那市)、所郁太郎(同・大野町)、渡辺崋山(愛知県田原市)、二宮尊徳(神奈川県小田原市)、池田草庵(兵庫県養父市)、廣瀬淡窓(大分県日田市)、瀧廉太郎(同・竹田市)、志田林三郎(佐賀県多久市)、島マス(沖縄市)---の面々。各人の業績は省くが、市町サミットで各地の取り組みが紹介された。

 米沢市の報告で、キャロライン・ケネディ米駐日大使の講演ビデオが流された。大使は、父・ケネディ大統領が「あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい」という、この就任演説に代表される考え方に、鷹山の影響があったと紹介している。
 竹田市は、瀧廉太郎ばかりでなく数多くの傑出した人物を生んでおり、首藤勝次市長は「これは<地域遺伝子>ではないか」という言葉を使った。遺伝子を言い換えれば、そうした人材を育む伝統的土壌がかもし出されている、ということだろう。

 フォーラムに私が足を運んだ理由の一つに、友人との再会の期待があった。読売新聞名古屋総局(現・中部支社)のデスク時代に親交を深めた友人で、現在、東海市立平洲記念館の館長をつとめている。来年は東海市でフォーラムが開催されることもあってか、バス貸切で関係者が小田原にお見えになっていた。友人は他に所用があり、残念ながら姿がなっかた。事務局の方に伝言を頼んだ。はや30年以上前にさかのぼるが、私の名古屋時代に彼から平洲や、嚶鳴館について学んだことは言うまでもない。

 市町サミットで気にかかったのは災害である。九州北部豪雨(竹田市)、東日本大震災(釜石市)、そして、御嶽山の噴火(木曽町)。参加自治体の中で3自治体もあるとは----しかも、現在、復旧復興の最中である。風評被害にも悩まされているという。

 ふるさとの先人を、まちづくり、人づくりに活かす、というのがフォーラムのうたい文句であるが、「今や、先人の知恵、偉業は一地域に活かすのではなく、それぞれが共有して、国全体に活かすようにしなければならない」。コメンテーターの吉田公平・東洋大学名誉教授は強調していた。市町長はもとより、会場の聴衆も、ともに言われるまでもなく、深く共感していた----。

 今回の、勝手メールは長文になり恐縮です。各地の先人の仕事ぶりを、時間を見つけてインターネット検索していただければ、と思います。
 




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