「ペリリュ―島」(パラオ共和国)。戦死者は日本軍1万695人、米軍1794人。昭和19年9月15日~11月25日。太平洋戦争末期。バンザイ突撃が許されず持久戦を命令された日本軍。生き残ったのは34人。米軍も戦傷者が8010人、加えて精神に異常をきたした者が数千人を数えるという。
「ビンの中に2匹のサソリを入れてふたをして戦わせる。そんな戦闘だった」。NHKテレビ『狂気の戦場~ペリリュー忘れられた島の記録~』
(2014年8月13日放送)の中で、生存者が語っていた言葉だ。
戦前は1000人を超える民間人が住んでいた。昭和9年にペリリュー神社(南興神社)が建立された。昭和57年に再建され、狛犬も鎮座した。南洋諸島の慰霊巡拝をしていた青年神職者らの手による。現在の社殿は近くの高台に移動し平成13年に新設された。
2014年9月15日に米軍の上陸開始70年の記念式典が開かれ、約300人が参列した。「日本人の参列者は30人足らず。ちょっと寂しい気がした」。『パラオの恋~芸者久松の玉砕~』(北辰堂出版)の著者・新井恵美子さん(76)の話だ。神社にはアメリカ人からの献花もあった。彼女は2度目の訪島。「今、何に焦点をしぼって書くか」思案中だそうだ。
戦後建立の狛犬は戦争の惨状を見ていない。政府は9月16日、2015年春の両陛下のパラオ訪問を発表した。ペリリュー島の地も踏む予定だ。テレビ等で狛犬を目にする機会があるかもしれない。狛犬には日米死闘の重い記憶が徐々に刷り込まれて行くに違いない。