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  2015.04.12 7組 斎藤良夫

天皇・皇后両陛下のパラオ訪問とペリュリュウ島での戦没者慰問


 コメント

 
2015年4月9日午後3時過ぎ、パラオ・ペリュリュウ島での両陛下の慰問の様子が、NHKテレビで生中継された。国会の予算審議中継を中断して行われたNHKの特別番組だ。約40分間。先ず、毎日新聞記事を紹介する。

 

【ペリリュー島(パラオ)真鍋光之、古関俊樹】終戦前の約30年間、日本の統治下にあった島国・パラオ。太平洋戦争で犠牲になった日本人は約1万6000人に上る。その慰霊碑の前で天皇、皇后両陛下は9日、頭を下げ続けられた。波の音だけが響く。その間、約10秒。2日間にわたり現地で取材した記者の目には、その姿に、戦争のすべての犠牲者を追悼し、平和を願い続ける両陛下の思いが凝縮されているように映った。

 8日夕、パラオ入りした両陛下は、分刻みのスケジュールをこなした。風邪は治りきっていないはずだ。それでも同国主催の晩さん会で、天皇陛下は、りんとした姿で、「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」とあいさつを読み上げた。

 実は、あいさつには当日になって陛下の強い希望で付け加えられた部分があった。直前にミクロネシア連邦を襲った台風被害に対する追悼とお見舞いを述べた部分だ。

 両陛下は戦後60年のときから、パラオだけでなく、多くの日本人が犠牲になったミクロネシアやマーシャル諸島などミクロネシア地域への慰霊の旅を希望し続けてきた。今回、両国の大統領夫妻はパラオまで足を運び、晩さん会は予定を30分間オーバーするほど会話は弾んだ。両陛下の胸中を推し量ることはできない。ただ、同地域への特別な思いを感じたあいさつだった。

 海上保安庁の巡視船に宿泊してまでこだわった9日のペリリュー島訪問でも、戦争と平和に対する両陛下の姿勢がうかがえる瞬間があった。

 日本政府が建立した西太平洋戦没者の碑での供花後だ。両陛下は戦闘の生還者や遺族らに対し、どの人にも顔を寄せ「どうぞ、お元気で」と声をかけ、苦労をねぎらった。続いて、両陛下は米軍の慰霊碑を訪れて約1600人の米国人戦死者を弔い、両国の兵士たちの遺体が浮いたというオレンジビーチに向け静かに一礼した。

 宮内庁幹部は「日本だけでなく、米国の人々も同様に慰霊したいという両陛下の強い希望で実現した」と明かした。戦争というものを二度と繰り返してはならない−−。その願いが胸に迫った。

 もう一件紹介したい。先に「激戦地の狛犬」と題したコラムを送った私のメール送信への返信と言おうか、両陛下の慰問絡みの感想です。横浜市在住の女性医師、N . Sさん(77歳)からです。
 N . Sさんは小田高同期の故・鈴木捷弘君の親戚です。

 


斎藤良夫様
   
 何時も珍しいメールとお写真を有り難うございます。天皇、皇后がパラオをお尋ねになり、ご老体を押して行って下さったことに感謝しております。
 今の政治家はあの時の様子を何も知らず、又母親も話して聞かせていないので、又昭和の初めのような状態になりつつあると、とても不安でしたが、お二方が体で示してくださったので、少しは考えるかなと思っております。
 沖縄の最後の指揮官が自決なさる前に沖縄の人たちを過酷な戦争に巻き込んでしまったことを心から悔いてこのことを過去の事と国民皆が忘れずに沖縄の人に心を寄せて行ってほしいと言われたことが今更のように思い出されます。

 もう少し政治家も謙虚になってほしいというのが私の希望です。どうお考えですか?

                                        N . S


 私は、毎日記者やN.Sさんと心情を同じくするものだ。その一方で、ペリュリュウ島からの生中継は、NHKの意欲というより、政府のある種の思い入れを感じる。慰霊は確かに陛下の強い思いであろう。しかし、政府の意思がなければ、そうそう簡単に実現はしない。

 ちょっと横道にそれるが、ペリュリュウ島で両陛下を案内したのは厚生労働省の村木厚子事務次官である。彼女はかつて「障害者郵便制度悪用事件」で大阪地検特捜部に逮捕起訴された。全くの冤罪だった。検事の証拠改ざん、関係者の偽証により獄中に長期間つながれた。
 私は読売新聞の社会部記者時代に司法を担当し、裁判官、検察官、弁護士らを取材してきた。検察取材は東京地検特捜部(私が担当中は、まだ大阪と名古屋の地検に特捜部はなかった)が中心だった。何人かの検事と仲良くなったが、一方で、「権力の怖さ」を痛感した。たとえ自らが潔白でも、一度にらまれたら、その復権の難しさを肌で感じていた。
村木さんは、その権力に翻弄された。弁護士の力とA新聞(新聞協会賞受賞)の調査報道によって無罪(当然のこと)を勝ち取った。村木さんが厚労省事務次官の肩書で政府を代表して両陛下と一緒にいる風景を見て、複雑な思いにかられ、改めて、私は「権力」という言葉を心中で反芻した。

 韓国で開催される国際水シンポに、毎回(3年に一回)参加していた皇太子殿下の渡韓が、公務の日程上の都合を理由に見送られた。皇室の動きに、政府のタカ派の意見が大きく影響しています。両陛下の慰問と裏腹の関係にあります。
  沖縄のしらゆりの仲間の会も解散した。高齢化で記憶の語り部も数えるほどになった。沖縄をはじめとして、戦(いくさ)への突っかい棒がどんどん減っている。合わせて若い議員たちの勉強不足も手伝って、N.Sさんがおっしゃるように、何かがじわじわと忍び込んで来ている感じだ----。

 パラオ・ペリュリュウ島での両陛下の慰問のテレビ生中継を見ての私の感想です。

                                        斎藤 良夫


 
    アンガウル島に向かって追悼する両陛下
 
     
 
両陛下と村木厚子事務次官    
 
米軍の慰霊碑に献花する両陛下    


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