ちょっと発表




   Web11への出初めレポート

2015.01.04    3組 佐々木 洋

 新年を健やかにお迎えのことと思います。年始早々以下の通り三が日をレポートさせていただきます。

 湘南海岸初日の出の光景から

 “湘南の中央”辻堂海岸は、あいにくの曇天のため初日の出詣での人出も例年の1/4程度で、海岸に着いた時には日の出が見られるはずの江の島側の空には暗雲が垂れ込めていました(上段左)。しかし、目を転ずると南側には伊豆大島が茜色の空を背に浮かんでおり(上段中央)、更に、西には丹青の空を背に富士山と伊豆半島の姿を遠望することができました(上段右)。これは「日の進む方向につれて、つまり、“年末に向かうほど展望が良くなる”という予兆なのかな」それとも「“苦境にあるときは目を転じてみよ”という教えなのかな」と思いながら暫くして再び視線を東に戻してみると、僅かな雲の隙間をこじ開けるようにして初日が顔をのぞかせてくれました(下段左)。飽食の時代にあってふんだんに与えられていることに対して感謝することを忘れがちな私にとっては、ささやかなものでも与えられることに感謝することの大切さを実感できるひと時でした。そして、再び振り返ってみた富士山の頂には背景の空の丹青が鮮やかさを増すなかで既に陽光が届いているのが見えました(下段右)。東側で懸命に顔をのぞかせる太陽の光が富士山頂に達している姿を見てなんとなく「至誠天に通ず」と一脈通ずるような感懐を覚えました。

 
 

 


 青山学院大学の快挙に思う


 「1月2日と3日は雪」という天気予報が出ていた時には、「今年の箱根駅伝は復路が大変だろうな」「えっ、どうして?」「だって♪ユキはよいよい帰りはこわい♪っていうじゃん」などとしょうもないダジャレをこいていたのですが、天気予報はすっかり外れて最高の駅伝日和になりましたね。天気予報だけでなく、大方の予想を覆してブッチギリの優勝を果たした青学の快走ぶりに寧ろ呆気にとられた向きも多かったのではないでしょうか。私も、往路の小田原までのあまりにも予想通りの展開を見て「やれやれ、東洋大学の時代に次いで今度は駒沢の時代かよ」と少々ウンザリしていたのですが、その名も神野なる体重僅か43kgのチビッ子ランナーが、我が第二の故郷・福島県が生んだ初代の山の神の今井正人と二代目の柏原竜二もマッサオの走りっぷりで青学の往路優勝をもたらしたものですから大感激の大感動。ついついお屠蘇を追加で一杯という仕儀になってしまいました。

  しかし、それでもまだ内心では、「青学も♪ユキはよいよい帰りはこわい♪で、復路では駒沢が巻き返してくるに違いない」と思っていました。ところがこの予感も全く外れて、復路は区間賞連発でブッチギリ状態に。青学も確かにダークホース視はされていたのですが、こんなにスゴイ底力を秘めていたとは驚きを超えた驚愕でした。「なんでこんなに強いんだ?」と思いながら優勝インタビューを聴いていた我が耳に響いたのが選手の一人が語った「楽しく走りました」の一言でした。そう言えば我が家のカミ様も、新山の“神”野選手が箱根山中をヒョイヒョイ走る姿をTV観戦していて「楽しそうに走っているわ」と呟いていました。本当の「楽しさ」ということは決してエヘヘアハハと笑える楽しさではなくて、精一杯自分の実力を出し切って満足感を得られる時に感じられるものだと改めて思いました。下手っぴテニスに“換算”しても、相手のミスによって勝手も決して楽しくなく、却って強い相手と精いっぱい戦って敗れた時の方が「楽しさ」や清々しさを感じることができるからです。

 そして、復路を走る青学の選手たちが♪帰りはこわい♪と思っていたとしたら、「往路のリードを守りきれるだろうか」という心配の気持ちから発したものだったのでしょうが、一切そのような「守りの姿勢」は見られず、それぞれが自己ベストを目指したのも印象的でした。このように前向きの「攻めの姿勢」を貫くことが「楽しさ」につながっていたのですね。これも、下手っぴテニス“換算”して、リードしてから守りの姿勢をと取りがちになり挙句の果てに逆転されるケースが多々ある我が身を振り返ってしみじみそう実感しました。もちろん「人生いたるところ“青山”あり」という言葉の元の意味は違うところにありますが、“青山”学院の快挙から学ぶところは「人生いたるところにある」ような気がしています。


「不二の自負」をWeb11に

 「年始挨拶」の欄でもご紹介していますが、私の今年の年賀状の木版画は、富士(フジ)と逆さ富士(ジフ)からダジャレをして「不二の自負」と名づけました。私たちの一人一人が世界に二人といない(不二の)存在なのだという自負をもって生き、そして、お互いに不二の存在であるということを認め合って、つまり、お互いの違いを認めあっていくことが平和への道につながるのだとも思っています。今年は「不二の小人」という自負はもちながら、「不二の閑居」だけは決してすることなく、せっせとこのような駄文をWeb11に書き綴り続けたりして「不二の不善」をなしていくつもりでおりますので、ご迷惑でしょうが今年もどうぞ宜しくご交誼くださるようお願いします。同時に、皆さまからの「不二の自負」に発する投稿がより活発に寄せられることによってWeb11がより一層賑やかになっていくよう祈念しています。