ちょっと発表





 地理滅裂・神奈川の地形論 Part2

2015.06.15   3組 佐々木 洋

相模湾岸のナゾ


 上りが下で下りが上

 平塚市博物館で行われていた「地球科学入門講座」のある日、講師の森慎一先生(平塚市博物館の地質担当学芸員)が「上りが下で下りが上」という禅問答のような話をされていました。箱根駅伝でもテレビ画面によく写る旧東海道の大磯の松並木の話をされている時のことでした。大磯地内に、相模湾の海岸線に沿った砂丘が東西に走っていて、その砂丘の北側(つまり陸側)の斜面に敷設された国道一号線の下り車線の方が上り車線より高い位置にあるというわけです。これまで「砂丘と言えば鳥取」のように「砂丘はソンジョソコラにあるものではない」とばかり考えていた私にとっては、「湘南海岸には海岸線に並行して砂丘列が何列も続いている。平塚市街地は大部分がこの砂丘地帯である。」といったお話は“目からウロコ”に近いものでした。

 また、日頃何も意識することなく行き来していたく大磯の松並木の車線に上下の段差があろうとは思ってもいないことでした。しかし、根が“疑い深い”私のことですので、「この目で確かめてみなければ」と思い立って、実際にカメラを携えて“現地検証”に及んでみました。松並木の東端(鷸立沢に近い方)から見ると確かに、下左の写真のように、向かって右の上り車線の方が低いように見えましたが「それほどの段差じゃないジャン」と思えました。しかし、滄浪閣の方に足を運んでみたところ、下右の写真のように、手前(上り車線)の車より下り車線の車の方が“上を行っている”のを、しっかりと“仰ぎ見る”ことができました。

 

 砂に埋もれた“遺跡”がある

「物言いに物言い」http://odako11.net/tubuyaki/tubuyaki_sasaki_3.htmlの「“自動車運転物言い”に対するウップン」の中に書いた通り、“捕まえやすい安全運転ネズミ”の私が少しも道路上の安全保持・増進に寄与していない交通警官に“拿捕”されたという嫌な思い出こそありますが、概して西湘バイパスはお気に入りのドライブルートで週に2-3回は快適な行き来を楽しんでいます。ところが、この西湘バイパス、大磯から二宮にかかるあたりで台風の被害の修復工事のため通行止めになったり車線規制がされたりすることがたまにあります。鎌倉から続く西湘バイパス沿いの海岸は、堆積してできた海岸なので「堆積海岸」と呼ばれ、これが斎藤良夫さんが書かれた「延長800mの国府津海岸」http://odako11.net/Happyou/happyou_saito_30.htmlに続きます。国府津海岸は大きな礫からなる「礫浜」とされていますが、湘南海岸の大部分は「砂浜」で、平塚市博物館のホームページによると「浜は満潮と干潮の間に見えかくれする前浜と、高潮や暴風の時のみに波のかぶる後浜に区分され…後浜の背後には風によって砂が運ばれ砂丘が作られている。砂丘は国府津から江ノ島にかけて海岸に並行して連続している。」のだそうです。

思うに、大磯の二宮寄りの旧吉田邸のあたりは、「前浜+後浜=砂浜」の距離が短かいために、西湘バイパスが台風の大波による損壊を受けやすくなっているのではないかと思います。また、「砂浜」とは言え、砂の層は1.5mほどの厚さしかなく、台風後には砂が洗い流されて砂の層の下にある岩盤が露出した状況になることがあるそうです。そしてそこに、どう見ても人工のものとしか思えない岩盤掘削の跡があるのだとか。生け簀か何か魚介類の採取のために用いられていたもののようです。海との距離が近いとの理由で吉田茂が別荘地として選んだというこの地は、砂が堆積する以前に住んでいた古の人々にとっても、海の幸が得やすくて格好の住居地だったのでしょう。普段は目にすることができない“砂に埋もれた漁業用遺跡”を探索するのはロマンだと私も思うのですが、「地質学の領域ではないので歴史学筋の人たちに探索するよう勧めたが誰も応ずる人がいなかった」と森慎一先生は残念がっておられました。

「 二宮町震度5」の謎が解けた

「平野には海が作った地形と川が作った地形がある」ということも地球科学入門講座で教わりました。“海が作った地形”は海だったところが隆起してできたところですから、たとえ上部に土砂類が堆積していたとしてもすぐ下に岩盤があります。ですから、建築物を建てる場合にも岩盤に基礎を打ちこみやすいので、建った建物は決して“砂上の楼閣”ではなく耐震性の強いものとなります。一方の“川が作った地形”の中には、河川が氾濫する都度運ばれてきた土砂が流れ出しそれが堆積されてできた地形があります。こちらの方は、建築物を建てようとして、ポールをいくら打ちこんでいってもなかなか基礎となるべき硬い地層に届かない、いわゆる“軟弱地盤”となっているようです。そして、概して“海が作った地形”の多い大磯は地震に強くて、“川が作った地形”が多い二宮には“軟弱地盤”が随所にあって、その最たるものが二宮消防署の所在地なのだとも。私は先日(5/30)小笠原諸島西沖でマグニチュード8.1の地震が起きた時にこの話を思い出しました。小田原市をはじめ神奈川県内の随所で軒並み「震度4」が報告されたのに対して、大磯は「震度3」で二宮が「震度5」だったからです。

 特に「二宮の震度5」は地震報道中で“抜きんでて”見えて際立っていましたので「二宮」が注目され、あちこちから二宮住民に対してお見舞いの言葉が殺到したようです。私も、「“自信”過剰のプレイヤー揃いだから二宮は“地震”過剰の震度5になっちゃったんじゃないの?」と軽口を交えながら、二宮在住の“自信”過剰気味テニスメイトの何人かに地震当時の“惨状”を聞き出そうとしてみました。しかし、意外なことに、異口同音に返ってきた言葉は「いいや、確かに横揺れが長く続いて不気味だったけど東北大地震の時(2011/3/11)に比べれば大したことなかったよ」という“どこ吹く風”というようなものばかりでした。そして、「でも、震度5だったのは確かだったんでしょ?」という更なる問いに対しては、「元々水田だった“軟弱地盤”に建てられた二宮消防署に震度計が置かれているんだもの」という“我関せず”とも聞こえる答が相次いで返ってました。いずれにしても「二宮町震度5」の謎は解けたのですが、「震源が近くて東北大地震の際の震度を上回るような大地震が起こった場合、『軟弱地盤』上に建っている」ということが住民に知れ渡っている二宮消防署が、町民から“信頼される”震災対策の主役を果たすことができるのだろうか」ということは依然として謎のままになっています。