ちょっと発表




  2016.04.12  3組  佐々木 洋

 さくら狩人・湘南桜錯乱物語Part 11 寄ヤドリキ(松田町)  探訪日 4月5日

 「やどりき詣で」の夢絶たれ?

 小田原のテニス仲間から「やどりき五大しだれ桜トレッキング」の案内をもらって自称“桜狩人”の私の気持ちは大きく動きました。ちょうどそんな時、小田高11期同窓会学年幹事のリストを修正したくて安藤彬さん(8組)にお電話したところ、代わって出られた奥さまの「出身中学は “寄”という漢字で、ヤドリキ中学。ふりがなは“ギ”じゃなくて“キ”にして下さい」というなんとも明るく澄んだ声。なんだか寄地区に住む者の喜びさえ感じられるような気がして「ぜひトレッキングで“やどりき”を訪れてみなきゃ」という気持ちが強くなりました。ところが、トレッキング当日(4/5)は雨模様。辻堂駅発で集合場所の小田原駅に向かわんとして自宅を出発する6時20分になって、何かと面倒見の良いテニス仲間のリーダー・ウッチャンから「道が悪路化しているのでトレッキングは中止してテニスに変更」という連絡が入ってきました。えー、“やどりき”に行けねえのかよ!


 あれれ、“やどりき”って?!

 しかし、落胆して「今更テニスでもないべ」と思い、PCの前に座っているうちに天気は好転模様。そこで、「トレッキングはダメでも、やどりき五大しだれ桜は見られるのでは?」と思い直してネットサーフィン。観桜コースや駐車場についての情報は得られませんでしたが「ともかく行ってみよう」と意を決して辻堂から“出奔”したのが11時前後。西湘バイパス国府津ICを降りて松田に向かう途中で小田原テニスガーデンの近くを通ったので、トレッキングからテニスにTT転換した仲間を誘おうとも思ったのですが、「連中はみな“花より団子”だべし」と判断してひたすら北進。行き着いた国道246を右折して暫く行くと「寄入口」の交差点があったので今度は左折。すると、ほどなくして、仮に「寄」で入力しておいたカーナビが「目的地到達」というアナウンスが聞こえます。「えっ、もう憧れの“やどりき”に着いちゃたの?」といぶかる私の目に辛うじて、矢印入りの「しだれ桜」の旗が見えました。そこで、そのまま車を進めると、周囲の風情が、一見住宅団地風から一転して、福島県内の山間地を走っているかのような山道に。切り立った斜面に設えられた道路のせいか工事中で一方通行を強いられた所も2-3個所ありましたが、緑深い中、時折、満開のソメイヨシノが慎ましやかに路傍に顔を見せる快適なドライブです。そして、クネクネの山道を進んでいくうちに、「やっぱり、“やどりき”は山奥の秘境だったんだ」という思いが募ってきたのですが、突如左手下の平原部分に“秘境”とは程遠い明るい街並み風景が広がって見えてきました。「あれれ、“やどりき”って?!」と驚いたり怪しんだり(?)の一時でした。


 丹沢山地南部彩る慎ましやかな桜

 「さて、花見コースはどこなんだろう」と訝って一時停車した私の目にふと「宇津茂」の道路標識が見えました。ウッチャン作成のトレッキング案内状の「五大しだれ桜」の中に「宇津茂のしだれ桜」とあったのを思い起こし、近くの郵便局に駆け込んで「あのう、ウツモのしだれ桜ってどこですか?」と追いかけたのですが、局長もどきさんも局員もどきさんも「えっ、しだれ桜?」という対応です。そして、「もう一曲がりすると案内所がありますから」という一言があったので更に車を一クネさせると、それらしき広場があったので文句なし侵入駐車。そこは新松田との間のバス路線の「寄」終点だと分かったのですが、ここには、路上でお目にかかってきた慎ましやかに咲くソメイヨシノが集まっていて、上品な気配が漂っているので文句のつけようもなく、ここまでターボエンジンをふかせて頑張って登ってきたホンダの軽N Wagonも“ほっと一休み”という気配です(次の写真)。先刻郵便局で紹介された案内所も今日は火曜でお休みだそうで、結局はバス発着場の立て看板にすがることに。すると、そこから近くに、かねて山歩きの連中から聞かされていた「高松山」やら「ジダンゴ山」といった名前の山々が近いということが分かりました。そうか、“やどりき”はまさしく丹沢山地南部に位置しているんだ!地図を見ると秦野市がすぐ右隣り。今日のトレッキングの予定コースは秦野をスタートしてから一山越えてここ“やどりき”に“寄る”算段だったと、他人任せトレッカー初めてわけが分かりました。


 
 その昔、中津川に人里“やどりき”?

 停留場周辺もソメイヨシノが咲き揃う中を「ところで、しだれ桜はどこじゃ?」と詮索して見つけたのが、道路際を流れる中津川の土手に咲く桜で、これが「宇津茂のしだれ桜」に違いありません(右の写真)。これをもって「五“大”しだれ桜」の一つとするのは???ですが、何より中津川の水の清さをもって良しとしましょう。小さな立て看板に「中津川には蛍が棲んでいます」とありました。もしかして、“やどりき”の里が醸し出している明るさ、清さ、豊かさといった雰囲気は、みんなこの中津川がもたらしたものかもしれません。その昔、中津川に人里“やどりき”…なんちゃってね。

 

 いざ「土佐原しだれ桜」に見参

 しかし、他の「四大しだれ桜」はどこにあるのだろうと、再度停留場に戻って案内図を探し回っていたところ、突然背中の方から「あれっ、佐々木さーん?どうしてここにいるの?」というスットンキョ―な声が聞こえました。そして振り向くと、それはテニス姿のトレッキング隊長ウッチャンと5人の仲間たち。やはり、“やどりき”の、人を“寄”せ付ける力は強くてトレッキング参加予定12名のうち7名がここに集まることになっていたわけです。しかし、トレッキングからテニスにTT転換した私以外の6名は“花より団子”と思いきや“花より天丼”で、これから“花”に取り掛かる算段で、「佐々木さん、一緒に花見に行こうよ」だって。「オレまだメシ食ってないんだよ」と言っているのに「お菓子やなんかいっぱいあるから」と、これも何かと面倒見の良い府川愛ちゃんらが“斉唱”して急遽揃って「五大しだれ桜」の親分格と思しき「土佐原しだれ桜」詣でをすることになりました。ウッチャンの「ロウバイ園のところから上がって行けばいいんだよ」という一言に従って行ってみると、そこには確かに「土佐原しだれ桜」の道案内がありました。そしてそこから、老若(?)男女7名お喋りしながらノンビリ散歩。程良く登ったところから下方に見えたのが「土佐原しだれ桜」で、私たちはここで“やどりき記念写真”を撮ることになりました(下の写真)。推定樹齢250年で樹齢約340年の入生田「長興山の枝垂れ桜」に次ぐ神奈川県下第2位の銘木だそうで、まだ7分咲きながら曇天の空を背に優美な姿を見せていました。


 

 
“古き良き日本”の名残

 結局その他の「三代桜」の在処は分からないままでしたが、私たちは“やどりき気分”に浸れて大満足。2台の車に分乗してきたTT転換組と現地解散した私は単身、路傍のソメイヨシノを眺めながら帰路に車を走らせました。聞くところによると、この“やどりき道”も、かつては非舗装のヒドイ悪路だったそうです。「どうして、そんな悪路の先に、あんなに明るくて綺麗な感じのする集落ができたんだろう」と車内で自問する私には「平家の落ち武者が切り開いたんじゃないの」という自答しか返って来なかったので、帰宅するやすぐさまインターネットでチェック。しかし、村名の由来について「東山家入7ヶ村が寄り合って成立したことによる」とあっただけで村の成り立ちについての記述が見当たりません。そこで、“生粋のやどりき人”の安藤彬さんに電話でお聞きしたところ、私の“平家落ち武者説”を笑って軽く否定した上で、「ここでは縄文時代の遺跡も出土しているんだよ」とのことでした。「寄村」が成立したのは、1876年(明治9年)で、萱沼村、弥勒寺村、中山村、土佐原村、宇津茂村、大寺村、虫沢村が合併してできたのだとのこと。安藤さんの話によると、私たちが行った土佐原も「トサハラ」と読むのではなくて「ドサバラ」なのだそうです。日本語離れがしていてヘンな山名だと思っていた「シダンゴ山」も改めて調べてみると、「飛鳥時代に、仏教を寄(やどりき)の地に伝える仙人がいて、この山の上に居住し仏教を宣揚したといわれている。この仙人を“シダゴン”と呼んだことからこの地名が起こり、“シダゴン”が転じて“シダンゴ(震旦郷)”と呼ばれるようになった。」という解説がありました。源だ平だなどと争う俗社会から離れたところで、中津川から恵みを得る“古き良き日本”の代表のような集落が、雨後のタケノコのように、山間の地あちこちにできあがっていたのでしょう。そうそう、タケノコと言えば、安藤さんは「鹿と猪にやられて今日は1本しか獲れなかった」と言っていました。野生とも共存する“やどりき”の探訪に、今度は安藤さんお勧めの“ロウバイの咲く頃”にでも再訪しようかと思っています。