ちょっと発表


喜寿控え一難去ってまた一難

2018/03/14  3組 佐々木 洋

2001年3月、ちょうど38年間勤めあげた東芝を定年退職するに当たって個人事業体「TT研究所」を立ち上げて登記しました。節税のためであり格別の投資を要するものではありませんでしたが、「TT」の名には60歳から80歳に至るまでの20年間にわたる第二の人生を、日本語と情報通信にかかわる研修のT(Training)と英文和訳のT(Translation)にかけるという意気込みを示したものでした。

当初は海外に転出して日本語教育に携わることを本旨としていましたが、老いた義母を介護するため私たち夫婦が福島県いわき市にある妻方実家に移転することがベストと判断し、まずは翻訳の仕事に取り掛かることにしました。そして、2001年11月には、厚生労働省外郭団体が主催する国際IT研修。アジア地区5か国からの研修生たちに対する情報通信/経営改革に関する研修を企画実施しました。そして、これが嘉悦大学における非常勤講師としての「インターネット・ビジネス論」、「コミュニケーション・メディア論」講義につながり、双方の講義用テキストをインターネット上のホームページに掲載する運びとなりました。

日本語教育の方は、いわき地区の日本語教育需要が乏しいものと見て、いわき市国際交流会にボランティア教師として登録しておくだけにとどめておきました。しかし、いわき市在のアルパイン社が定期的日本語研修実施計画を立てるにあたり、信頼できる日本語教師の斡旋をいわき市国際交流会に要請してきたところから、唯一の日本語教育能力検定試験合格者であった私に白羽の矢が立てられ、私の日課は日本語教育が専門のような形になってきました。いわき市内に日本語学校が存在していないため、アルパイン社から日本語研修業務の元請をいただく形で、然るべく厚遇もしていただき私も精一杯努力し相応の評価もいただいていたのですが、2011/3に東京電力の放射能事故により外国人研修生たちがそれぞれの祖国に帰還してしまったため、いわき市での日本語研修に一本化していた私の第二の人生は立ち消える形となってしまいました。

神奈川県藤沢市に本拠を戻してからのTT研究所にはさしたる業務もなく無聊を託っていましたが、昨年は厚生労働省主催の外国人の就労支援のための日本語教育に一教師として参加し、今後の就労機会も見出しやすい状況になってきました。また、情報通信の世界も、AIやIoTなどの進展によって、既成のホームページ資料もすっかり陳腐化してしまいましたが、これを更新して、同年配者や学生さんたちに情報伝達できるような状態になってきました。

そして、喜寿から傘寿にいたる我が第二の人生の最終期を「第二の人生総括のため中期」としたいと考え、実際に行動を起こし始めた矢先に、以下の「藤沢湘南台病院入院日記」及び「退院後の日々」に示す‴一難去ってまた一難‴の状態にさらされ、せっかく始めた総括活動は頓挫してしまいました。しかし、「難(Troubles)」の発生は特に新しい事態には付き物と言っても良く、今後の「第二の人生総括のため中期」においてはより大きなトラブルが生ずる可能性があります。

その昔、夫婦でカナダ旅行をしていた際に東芝同期生の吉武紳吾兄(当時、東芝カナダ社社長)から教わった”Enjoy troubles.”という言葉を思い出しました。「旅路Travelにありては、いざこざTroublesが付き物」というのが本意なのでしょうが、T(トラブル)発生にめげていたらT(トラベル)を楽しむことができません。そうだ、これからは新しいTとTの関係を前向きに処理してTT研究所の最後を締めくくらなければ。我らが東芝38年入社同期生の集いAbout38には「アバウト憲章」があって、その第1章に「現在について愚痴っぽい話は一切しない」と唱っています。「愚痴っぽさを排除して爽やかに生きる」ことを信条として今日の喜寿誕生日を機に始まる「第二の人生総括のため中期」の日々を過ごしていこうと思っていま

す。