ちょっと発表


藤沢湘南台病院入院日記

2018/03/14  3組 佐々木 洋

<自宅近傍で歩行不能に>
若き知人の結婚式に出席している最中に、2-3日前から痛みだした左膝部左側に痛みの激しさが増し、終了してバスで辻堂団地まで帰着してから、昼食に「くら寿司」に回るのが一苦労。昼食後はそれが大苦労となり、勘久公園のあたりで一歩も歩けない状態になってしまって、カミ様(我が家での配偶者の尊称)に先に帰ってもらいHonda N Wagonで出迎えてもらう算段となった。すぐに就寝。途中、大変な発汗で、寝衣を交換する羽目に。この間にカミ様が探し出してくれた「広報ふじさわ」を見て、明日、日曜日ながら救急患者を受け付けてくれるという藤沢湘南台病院に行くことになった。
                                       2018/1/20(土)
<「車椅子なんて、そんな大げさな」と断ったのに>
朝9時からという藤沢湘南台病院へ。藤沢から大和に向かう国道467号線を直接右折れすれば難なく駐車場入りできたのに、通り過ぎたところの信号を右折。裏口からの入門を狙って細い道をあちこち試走したが、病院は目の前に見えるのだがなかなか行きつけないので、元の国道467号線に戻って、もう一度入口を間違えて、本来は入構禁止の救急車入口から構内へ。病院内は日曜日とあって閑散としており、医師・看護師たちも若手が多いように見えた。応接に現れたのも若い女医さんで、症状を話したところ、車椅子を使ってレントゲン室に行くよう指示された。「車椅子なんて、そんな大げさな」と断ったのだが、女医さんは「いいからいいから大げさで行きましょ」と軽いノリ。お陰でその後ずっと車椅子人間になってしまった。


<蜂窩織炎」とのご託宣>
膝のレントゲン写真で、骨折もヒビ入りもしていないことが判明。先週日曜日(1/14)、小田高テニス部OB会練習日に小田原城山テニスコートの石段口で転倒し、その際に打ち付けた左腿部が損傷したのかと思っていた。しかし、そのせいではなく、転倒した際に膝小僧にできた小さな傷口から黴菌が入り込んで起こった「蜂窩織炎」だとのこと。思うに、その後月曜火曜(1/15-16)とスポーツジムに通って、水中ウォーキングをしたので、そこから黴菌が侵入したものらしい。いずれにしても、放置していると細胞が壊死して脚を断絶せざるを得なくなるとおどかされて、早速入院の指示を受け入れることにした。


<急遽入院に大慌て>
昨年の5月末日、アフターテニスの飲み会の後に右膝の急激な痛みで一歩も歩けなくなった時には、八幡山テニスクラブの府川愛ちゃんのお世話で閉院手続き中の小田原駅近傍の整形外科医のお世話になり、緊急措置を受けた後で松葉杖を受け取り、辻堂から迎えに来てくれたカミ様の運転するN Wagonに乗ってそのまま帰宅することができたので、今回も同様で入院することなどは毛頭考えていなかった。思ってもいなかったこの急展開に大慌て。持参していたスケジュール表を見てみると、気になるのが、自分が幹事役の駒場寮OB会の日程(1/28)。そのことを告げると、そこにいつの間にか同席されていた若き医師の鈴木先生は「絶対安静にしていれば…」とあいまいに答えた。後に確認したところによると、そこにいらした若き女医さんは、緊急来院者に担当医師を割り当てることを本務とされており、本日当番で休日出勤に当っていた鈴木先生が私の主治医となったらしい。


<四人部屋の一員となる>
さて、車椅子にのせられて運びこまれたのは3階の4人部屋で308号室。私のベッドは奥の窓際。私と並ぶ窓際の方とは顔があったので、「宜しくお願いします」と新入りの挨拶をすると、「こちらこそ」と応じてくれた。後刻、お見舞いに来られた小柄な奥さんと物静かに話されていたのが印象的だった。50歳台だとか。そして、そのお隣の廊下側が60歳だそうで、看護師さんがものを頼まれた時に「さっきいらしていた息子さんに頼めばよかったのに」というと「あいつとは仲が悪いから頼まないんだ」と言っていた。二人とも、看護師さんに対して「有難うございます」と丁寧に応接していたのだが、それぞれに異なった家庭事情があるものだと思えた。しかし、訳が分からないのはもう一人、私と並ぶ廊下側の80歳台と見られる御仁。識別しがたい言葉を発して看護師さんたちを困らせていた。308号室はナースセンターから離れているから、近くに看護師さんがいない限り聞こえもしないのだが、のべつ叫び声を発するのでウルサイ限り。看護師さんによる患者殺害事件が伝えられているが、その患者を憎みたくなる気持ちが同室者としてはよく分かる。明日は我が身と心得て、晴れ晴れと80台を迎えられるようにしたいと思う。
                                       2018/1/21(日)


<看護師さんの言葉で得心>
昨日中に点滴注射4回。その割に痛みが引いた気がまるでしない。車椅子を保持してトイレ行きに使っているのだが、左脚を下げたり左脚にふと重心が乗ったりするとひどく痛む。点滴を受けている時にはチューブでつながれていて車椅子の運転がきつくなるので、シビンを借りて急場をしのぐことになる。その際にも左脚の痛みが高ずるので、我ながら情けなくなるようなみじめな排尿ポーズとなる。情けなさのあまりに、「こんなに点滴して栄養補給してばかりしていて治るんだろうか。侵入した黴菌にエサを与えることになっちゃうんじゃないの」と口走ると、お若いのにどこかベテラン風の風格のある看護師さん(多分岡部さん)が「佐々木さんは、消化器系は問題ないから、栄養分は食事から採っていただいています。点滴しているのは抗生物質なんですよ。」と一言。更に、「この病気は大変よ。点滴が1週間も続くんだから。」「えっ、1週間も!?」「そうです。この黴菌は体中に回るから、再入院したり、中には死んじゃったりする人もいるんだから。ここでしっかり黴菌を抑え込まなくちゃダメなんですよ。」「ああ、そうなんだ」…2-3日の入院で済むと思っていたのだが、ここで初めて1週間にわたる入院を覚悟する段となった。更に「蜂窩織炎は力士がよくかかっていますね。私もデブだからかかっちゃたのかな?」と伺いを入れると「いいえ、力士は生傷が絶えないし、土俵には黴菌がたくさんいるんじゃないですか。」と優しく応答してくれた。配布された鎮痛剤についても「これは殺菌作用もあるから必ず飲んでおいたほうがいいですよ。私も腰痛だけど、必ずこの鎮痛剤を飲んでいるんですよ。」と優しくアドバイスしてくれた。


<使いやすいスマホにしてほしい>
駒場寮OB会出席も場合によっては断念しなければならなくなりそうなので、駒場寮で同室であり同じ大河内一男ゼミナリストでもあった栗田信治兄に電話して、出席できなくなった場合の後事をゆだねた。また、小田原八幡山テニスクラブの幹事役の内田伊佐美さんは電話に出られなかったので、妹分で日頃‴保護者‴役を買って出てくれている二見明子さんに電話して明後日の水曜日(1/24)のテニス練習と併せてラジオ体操の欠席を皆に告げてくれるよう依頼した。茅ケ崎のしおさいテニスクラブの幹事の庄司登さんにも電話してしばらくの間のテニス不参加を告げた。 なお、病室はPCメール環境がないので城山中学・小田原高校同期のメール仲間に告げてくれるよう中澤秀夫兄に電話したのだが、不在だったので奥方が取り次いで下った。
高校の同窓会の幹事をしているが、パソコン(PC)を用いる人が少なく、何回もファクシミリ送信を強いられることがあり迷惑千万である。また、我らが小田原高校11期生はホームページ「小田原高等学校第11期」を運営しているにもかかわらず読む人が限られているので宝の持ちだ。そこで、「スマホでも、メールの送受信やインターネットの検索ができる」ことを訴求すべく、昨年暮れから身をもって脱ガラ系を果たしてスマホになじむ努力をしている。しかしどうも日本のスマホは‴お年寄フレンドリー‴ではない。携帯電話は機能が多様化してきて今や「電話もできる」という状態になってきている。従って、「携帯電話」と呼ばれることも少なくなってきて、「ケータイ」と呼ばれ、更に「スマホ」という呼び方が一般化してきている。しかし、私達老人層にとっては、何より電話機能が重要である。実際に、上記の通り、電話をして入院したことを数人に示したが、スマホでの電話の掛けにくいこと。いったんスマホ党に転じても、ガラ系に戻ってしまう同年代者が多いのも、電話やメールの使い方がメンドクサイからなのだ。今年もタイ国にて避寒中のメール仲間の水口幸治兄は、「タクシーを利用するためにはスマホでの登録とスマホでの呼び出し・予約が必要だと分かった。」とメールで述べていた。日本でも若者たちがスマホでSNS(Social Network Service)やゲームを楽しんでいるが「実用で用いる」レベルとなると国際的にかなり遅れているということを自覚して、通信事業者にも対応してほしいものだと思う。


<みんなお話しがしたいのだ>
天気予報が当たって雪が降り始めてきた。来なくてもいいというのに「是非行きます」というカミ様を心配していると、お掃除のおばさんが入ってきて、曇ったガラスをせっせと吹き始めた。「すごい雪ですね」と声をかけると、「ええ、でも雪景色を見るのも楽しいですよ」とのお答え。更に「でも、お家に帰るのが大変じゃないんですか」と心配しても「私は雪国育ちだから雪道を歩くのは慣れているんですよ」と嬉しそうな声が返ってきた。次いで、「雪国ってどこ?」に「新潟の泉崎です。良寛さんで有名なところなんですよ」と会話が続いた。黙々とお掃除の仕事をしながらも、きっと誰かとお話ししたかったんだろうなと思う。自分も他にすることがなかったので今回は話しかけたものの、これまでの生活の中で、周囲の会話を望んでいる人たちに対して進んで声をかけてきただろうかと反省させられた一コマであった。思えば、東芝商事仙台支店当時の上長であった中井潔部長の「君たち、どうしてお金を払ってバーやキャバレーの女性たちと‴お話しをしてもらい‴たがるのかね。職場の女子社員とならタダで話ができるし、彼女たちも声をかけてもらいたがっているんだよ」という言がまさに然りだと今にして思える。


<スマホによる国際通信も>
カミ様経由でオーストラリア・シドニー在住の長女・愛子に私の入院事情が伝えられていて、早速スマホのLine通信がかかってきた。Line株式会社が提供するソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)用の通信アプリで、スマホ購入時に通信事業者ドコモから何の指導も受けていない私にはとても環境設定ができないのだが、昨年末に一時帰国していた愛子が設定していってくれたものだから受信することくらいはなんとかできる。通話するだけでなくて、映像も送れるので、腫れた左脚膝下部にスマホを向けるだけで相手に病状を生々しく見せることができる。愛子は「わあ、紫色に腫れ上がっちゃってる!」と驚きの声を上げ、「お父さん、頑張って治療してね。」と励ましの言葉を贈ってくれた。かねてからカミ様が、PCやタブレット端末を使って、愛子とマイクロソフト社が提供するインターネット電話サービスSkypeによって相手の顔を見ながら交信しているのは知っていた。SkypeもLineも、無線LANなどのインターネット接続環境のない場所で、スマホで使えるというのは有難いことだ。国際電話料金も支払うこともなく無料で、時間に制限なく音声・映像通信ができるのだから、私たち高齢者も使わない手はない。なお、病室内での電話は病院内の精密機械に影響を及ぼすという理由で禁止されているから、インターネット電話といえども、室内で行うのはルール違反である。だが、携帯電話は、電源を入れるだけで5-10km離れた基地局に届くほどの電波を送っているのであるから、病室内からかけても通話OKとされている食堂からかけても、精密機械に対する影響度には大差がないはずである。注意を要するのは、精密機械に対する物理的な影響よりも、病室内での野放図な通話により同室者に迷惑をかける心理的な影響の方なのだろう。「同室者に迷惑がかからない控えめな通話」は許可してほしいような気がする。
                                       2018/1/22(月)


<一直線には進まない病状回復>
小用は、看護師さんに車椅子を押してもらって車椅子用トイレで済ませていたのだが、‴緊急‴の場合に看護師さんの出動が間に合わないので、早々にシビンを借用することにした。このシビン、往年のものと違って、デザインも良く扱いやすいのだが、いかんせん立ち上がって上体を起こすことができないので、注意深く脚元に運んでジョビジョビという寸法になる。昨日夜も点滴中だったこともあり、「いざ小用」と思ったところ、気づかぬうちにシビンを手に両足で立ち上がっていたのだ。悠揚迫らぬ立ちション姿。これでは早晩車椅子もいらなくなる。患部を撫でてみると痛みが大幅に退いている。退院の日近しの意識をもって眠りについた。しかし、目覚めてから、「いざ立ちション」と、気楽にシビンを手に立ち上がったのだが「イテテテテ」。足の痛みがぶり返していたのだ。
近くから通っているという看護師さんに昨日の雪の状況を聴きながら、「今日はどうして来たの?」と聞くと「いつもは自転車なんですけど、今日は歩きだったので大変でした」とのこと。そこで、「昨日の晩は、シビンを使うときに無意識に立ち上がれていたんだよ」と我がことを言うと、「えっ!そうでしたか。」と我がことのように喜んでくれた。次いで「だけど、今朝は立ち上がろうとするとイテテテテなんだよね」と言うと、「そうですね、薬にもよく効いている時間と効いていない時間がありますからね」とのお諫めであった。何事もそうだが、病状の回復も一直線には進まないようだ。因みに「シビン」はスマホで検索してみたところ、「尿瓶」と当て字されているが、本来は「溲瓶(しゅびん)」で「しゅ」が音変化したものらしい。英文は”urinal”。スマホは音声による検索もできるので、ふと疑問に思ったことでも簡単に調べることができる。


<有り難い医師の気配り>
若き医師・鈴木辰朗先生は今朝も病室308号室を訪れて、明るい声で「如何ですか」と声をかけてくれた。「昨晩は無意識のうちに両脚で立ち上がれるようになっていたが今朝は再び痛みがぶり返してきた」と告げると、「ああ、朝は薬の効き目が弱い時ですからね」と言われ、そっと脚に触れ、「でも、大分腫れが退いてきました。今週一杯には退院できると思いますよ。確か土曜日でしたね、ご予定があるのは」とニッコリ。一昨日(1/21)入院の勧めを受け入れる時に口にしていた私の土曜日(1/27)の予定をしっかり頭に入れてくださっていたのだ。その上更なる触診をされてから「腫れの中でもこの辺りは転ばれた時に打ち付けたところで、そこに血痕ができているので切開手術をしなければならないかも。でも、そんなことにならないといいですね。」と言われた。私が語ったテニスコートでの転倒事故のいきさつまで覚えていてくださったのだ。何人の患者を担当されているのか分からないが、こんなにきちんと記憶してもらっている患者は幸せ者だと思った。


<男性看護師さんとの弾む会話>
朝方、点滴の取り付けに来てくれた男性看護師の胸元ネームプレートを見ると「星」とあった。出身地を訪ねてみると「横浜ですが父の出身地は東北ですよ」とのこと。「やっぱり、星という姓は東北に多いんですね。東北はどちらですか?」と問うと「会津の田島です」という答えが返ってきたので、「田島は良いところですね」というと、「佐々木さんも東北にお住まいだったんですか」と問い返してきた。「東芝に勤めていて、2年間だけ仙台に住んでいたんですよ」と答えると、急に話題が東北から東芝に変動。「すごいですね、東芝に勤められていたんですか!」というまさかのお褒めの言葉。こちとら照れ臭くなって「今はヒドイことになっちゃっていますけどね」と返すと星さん、「きっと経営者のせいでしょう」とぴしゃり。ともに「東芝の現役従業員の皆さんがお気の毒ですね」という話になった。この星さんに点滴機の仕組みを教わった。2mほどの高さのポールに吊り下げられた点滴袋から1尋半ほどの長さの細い管を伝って腕の点滴針にまで着実に伝わるシステムは、古来経験を積み上げ練り上げられてきたものなのだろう。後日もっと詳細に調べてみたいと思う。


<308号室から508号室への移転>
「佐々木さん、今日午後に5階のちょうど真上の508号室に移動することになりました。無料室なんですよ。」と看護師さんが言って「無料室とは何ぞや」も知らない私を喜ばせてくれようとした。しかし、彼女の屈託のない笑顔から、私がめったに得られない僥倖に浴したのだということがよくわかる。さて、308号室でお世話になった皆さんにお礼を言う暇もなく、車椅子を押されエレベーターに乗って5階に上がり入った部屋は今までの308号室とまるで同じ仕切りで、我がベッドも窓際で全く同じ位置。他の3人のベッドのカーテンは深く閉ざされている。今度はどんな人との出遭いがあることやら。308号室から508号室に移る寸前に、平塚介護学校の男1名女2名計3名の学生が看護師さんに連れられて、1週間にわたるという介護研修の挨拶に回ってきた。


<見事に機能しているマトリックス組織の情報体系>
この藤沢湘南病院も他の多くの病院と同じように一種のマトリックス組織で運営されているようだ。内科、外科といったように縦割りに構成されている医局組織側から伝達される情報が、ここ病棟側の部屋別横割り組織にはめ込まれて有効かつ効率的に活用されているのだ。従って、1室4人の患者の担当医師がそれぞれ違うことが普通である。一方、看護師さんは部屋別担当になっているので、「私を担当してくださっている先生のお名前は何でしたっけ?」と聞いても、「さあ、調べてみます」ということになる。だから、毎朝夕病室を訪ねてくださっている鈴木先生も、部屋別担当の看護師さんたちにははっきり判別されていないのではないかと思われる。私の508号室への移動時刻の連絡などでミスはあったものの、マトリックス組織の情報体系の下に、若い看護師さんたちがキビキビと活動して病院の機能を見事に支えているのを目の当たりにすることができる。平塚介護学校からの研修生たちも、きっと介護現場の先輩たちから良い刺激と教訓を受けて帰っていくことだろう。「頑張ってね」と一言激励の言葉を呈した。

<生産年齢人口の低下の中で>
この「平塚介護」こそ、私が昨年担当しそこなった日本語教育コースの名称であった。日本語教師調達難という話から請われる形で、厚生労働省が外国人の就労支援プログラムとして行う日本語教育プロジェクトに参加し、愛川町初級コースと大和市中級コースの日本語研修を修了した後に担当することになっていたのが、平塚介護コース(平塚市において外国人に介護師になるために必要な日本語教育を施す)コースだったのである。事務局との間の連絡ミスによって私の就業は実現しないままになってしまったが、今頃は当該コースを修了した外国人たちが介護士への道を歩き始めているはずである。少子化に伴う生産年齢人口の低下は際立ってきており、人手不足で店舗を閉店するコンビニが増えてきている中で、医療産業には若い医師や看護師さんたちが集まってきている。看護とは少々役割分担領域が違うというものの、介護の世界にも介護学校の卒業生、更には外国人が今後参入してくることだろう。しかし、このことをもって、政府が成長戦略の中の一環として掲げた医療と介護が新産業として成長しつつあると見るのは間違いである。医療と介護に従事する人々の提供するサービスは、残念ながら日本経済の成長には寄与しないからである。その昔、日本経済に大きな成長をもたらした家電や自動車の業界は、部品から、部材、製品に至る幅広いサプライチェーンを有し、それぞれの製造現場で日本人が付加価値を生産する作業に従事していたのである。そして、現在の医療や介護のサービスは、多くが、現役引退した私たち老齢者に対して捧げられているのである。自分の経済音痴ぶりを自覚できていない安倍晋三首相にも適切な処方を与える機関や人がいないものかと病床にあって強く思う。
                                      2018/1/23(火)


<誠意に向けて心が傾く>
枕元に怪しく忍び寄る女の影!「な、な、なんなんだ!?」とうろたえる私に「点滴です」の一言。「あ、そうか」と点滴に備える構えを見せると「もう、終わりました」だと。私が眠りこけているうちに、真っ暗闇の中で点滴がセットされていたのだ。真闇の中の点滴注射。なんかサスペンスもののテレビドラマに使えそうだ。
昨日夜は鈴木先生が訪れてくれて、触診した後、「明日血液検査をしてみて必要だったら手術しましょう」と言われていた。そして本日朝6時に採血が行われ、その結果を鈴木先生が早々に伝えに来てくださった。WBC(白血球濃度のことらしい)は前回(1/21)20,300だったものが6,700に激減している。好中球も87.0から71.0に低下。但し、13.85だったCRP定量がなお8.99と高位なので更に点滴を続けましょうということであった。「土曜日でしたね。金曜日に退院できて自宅療養できるようになっていれば良いんですが」と言われるので、「余りお気にされないでください。半ばあきらめていますから」と心にもないことをこちらから申し述べてしまった。誠心誠意こちらのことを配慮してくれる人には自然と心が傾いてしまうようだ。


<人体には組織防衛守備隊がある>
なお、好中球は悪玉ではなく、「細胞が破壊するときに出動するものだ」と鈴木先生は教えてくださった。入院後スマホで「蜂窩織炎」を調べたところ「好中球の浸潤により細胞の壊死を招く」とあったので、てっきり好中球が悪玉だと思っていたのだが、実は波乱が起こった時に出動する機動隊員のごときものであり、これが「浸潤」するまでになる細胞の破壊状態が問題なのらしい。また、CRPは「C反応性蛋白」を意味するC・Reactive・Proteinの略で「炎症や組織細胞の破壊が起こると血液中に増加する蛋白質」だということがスマホを調べて分かった。本人が何も意識していないうちに、白血球や好中球、CRPといった守備隊が組織防衛のために一斉に行動する人体が作られていることに改めて感動した。
日の出と富士の景観を享受
車椅子でトイレに行こうととして廊下の東端を見ると前方の窓がやけに明るい。早めに小用を済ませて、廊下を窓際まで‴ロングドライブ‴してみると日の出直後の様子だった。同じ藤沢市でも、辻堂海岸から見た初日の出は海の向こうの山並みからだったが、藤沢市北部のここでは地平線からのSun Riseとなる。呆然と美しい光景に見とれていると掃除のおばさんが反対側を指さしながら「向こう側に行くと富士山が見えるよ」というので、今度は廊下の東端から西端まで‴ロングドライブ‴して富士山の姿を見に行った。女性患者がスケッチをしていたので一声かけてスケッチの邪魔にならないよう場を構えて、とっくりと富士山の麗姿に見入る。これも初日の出の時には箱根連山が富士の左側に見えていたのだが、ここから見ると「箱根山、どこ行っちゃったの?」の感がする。逆にこちらは、富士山の右側に雄大な大山の姿が続く。大山は湘南海岸から見ると単独峰のように見えるが、ここからは右に雪をかぶった山々が連なって見え、大山が丹沢山脈の先端であるということがよくわかる。掃除のおばさんは「ここから見る富士山が一番」っていうけど、でもなあ。湘南台からの富士が一番だとすると湘南からの富士山は‴台なし‴ってことになっちゃうんじゃないの。


<ちょっと寂しい‴大名シャワー‴>
今日はシャワーを浴びる機会を得た。車椅子で手押されて浴室に入って素裸になってシャワー用の車いすに乗り換えてシャワールーム定点に移るまで看護師さんのお世話になるし、また、シャワー後着替えてからボタンを押して看護師さんに来ていただくなるのだから、相当の‴大名シャワー‴になるのだが、立つことができず座ったままなので、シャワー独特の爽快感がなく、ちょっと寂しいような気がした。
                                       2018/1/24(水)


<今日も病院内‴ロングドライブ‴観光に>
スマホに「湘南 日の出」と音声入力すると「6:47」と答えてくれた。そこで6時半ころ‴ロングドライブ‴して日の出ショーを見に行った。木立の向こうから東に走る広い道路は戸塚に向かうそうだが、なんとこの辺りの地形のフラットなこと。地平線まで見渡されるのだから、今でこそすっかり住宅地っぽくなっているが、かつては広大な穀倉地帯だったことだろう。既に空に茜色が広がっているが‴定刻‴を迎えると地平線から黄金色の輝く輪が現れ、そのうちに眩しい光を送ってきた。なんという美しい色だろう。黄金色とは言うものの、黄金のような鈍な色ではない。純にまばゆく輝いているのだ。今日もお日様に会わせてもらった。眺望絶佳の5階に病室を得られたことが本当に嬉しい。
次いでUターンして富士山観覧へ。今日は雲も少なく絶好のシャッターチャンス。昨日スケッチをしていた女性患者が今朝もここにいて、ズームアップの方法を教えてもらったのだが、スマホをうまく操作することができず、最後にようやく富士山と大山の2ショットを撮ることができた。スマホで調べてみると、中央に堂々と聳える大山は標高1,252mだが、左に僅かに見える神山は箱根連山の最高峰で1,438m。見る位置によって随分見え方が違うものだと思う。


<厨房ご担当の皆さんの心意気に感ず>
まる4日間プッツリと禁酒。恐らく48歳の時に盲腸炎で入院した時以来約30年ぶりのことなのだろう。‴やればできる‴…このまま酒なしの余生を過ごすことにするかとチョッピリ思う。カミ様が喜んでいたのは病院食にあずかれること。「体重を落とすのにいい機会だわ」と言っていた。そうねえ、このところ猛烈な勢いで腹が出だしてきていて我が人生最高の84.9kg。退院後の計量が大いに気になってはいる。
しかし、ここ藤沢湘南台病院の病院食の美味しいこと。大人数に供給するのには揚げ物が便利とやらで、実際に、会社の独身寮時代に大分アジフライなどのお世話になったのだが、ここでは今日までの間にフライが供されたことは1回もない。一昨日だったか、夕食の膳にそれらしいものが見えたのでヤッパリと思ったのだが、フライではなくてタラの蒲焼だということが分かった。一品一品細かく調理の手を加え、やさしい味付けをしてくれている。巷では野菜類の価格が高騰して奥様方が四苦八苦しているが、今食べたばかりの昼食にもホウレン草のお浸しがしっかりと副えられていた。カロリーと塩分量が明示されて呈されるお食事に、厨房ご担当の皆さんの心意気が感じられ有り難く思っている。因みに今晩のメニューは、ご飯に、魚のムニエル、金平ごぼう、柚香和え(もやし)であった。


<標準化による多能化の実現>
深夜に車椅子用トイレに行った際に、退出するときにモタモタしたため、外に出て壁貼りカードを「使用中」から「空き」にしたものの、鍵表示は「施錠中」でトイレのランプが点灯したままという状態になってしまった。これでは後の人が使えず迷惑がかかると思って、ナースセンターに“車を回して‴声をかけたのだが看護師さんの姿が見えない。反対側に回り込むと一人見えたので、手ぶりで呼ぶと近づいてきてくれて「どうしましたか?」との問い。「いや、そのう、トイレのドアが…」と説明すると「わかりました」の一言。すぐに直行して自動のはずのドアを手動で開いて、施錠中のサインを消灯してくれた。「これは電気工事系だから、きっと看護師さんの手には負えない大変なことをしてしまった」と思っていたのだが杞憂だったということが分かった。しかし、深夜のナースセンターを一人で守る看護師さんも大したものだ。患者ごとに違う処方を全部こなすだけでなく、今回のようなトラブルにも対応しなければならないのだから‴万能‴を期しているのだろう。ここでは、一般企業にも当てはめられる「作業を標準化(更には単純化)することによって従業員を多能化することができる」という原則がしっかりと貫かれているように思えた。
                                       2018/1/25(木)


<美しい自己充足後の姿>
2:15amに目覚めてトイレに行った時に、ナースセンターから出てくる看護師さんの姿を見かけた。2時間のお務めを終わったところらしい。「ここは空室かな」と思っていたところが実は看護師さんの休憩室になっていたようだ。深夜の時間帯の5階のナースグループは3名で構成されていて、順繰りに休憩をとる形になっているようなので、恐らく合計50名あまりの患者に二人で対応したのだからさぞやお疲れだったことだろう。 目の前にした看護師さんは、きれいな歩き方で姿勢も良く、休憩室と思しき部屋に入っていった。恐らく、決められた勤務時間中になすべきことを満足になし得たという自己充足感がみなぎっているせいなのだろう、いとも清々しい風情のする一コマであった。後で入室してきた当人に「2時間よく眠れたんですか?」と聞いてみると、「そうですね、することが色々あるので普段はあまり眠れませんね。精々体を横たえられるってところかな」と明るく答えてくれた。そう言えば、髪型もそのままきちんと残っている。頑張っているんだ日本の女性、笑顔を絶やさずに。いや感服感服という思いが強くした。


<たかが転倒されど転倒>
朝6時に採血。この採血の結果、鈴木辰朗先生の裁決が決まる。今日退院できて明日駒場寮時代の友と会うことができるかどうか。自分で触診してみた感じでは、大分痛みは和らいだものの、膝骨寄りに痛みラインが残っている。パンパンに張っていた左膝下左部分が全体的に柔らかくなり、真っ赤だった色合いも大分落ち着いて右足の色合いに近づいている。問題は上部に固く固まった部分が赤みを残している点である。鈴木先生によると、これが、テニスコートで転倒した時に打ち付けてできたコブなのだそうだが、これをどう処理するのか。場合によっては切開手術をする必要があるという。そんなこんなと思案しているうちに、ふと立ち上がろうとしたところ机のへりに左脚を打ち付けてしまってイテテテテ。こりゃダメだ。自己診断の結果は回復度75%と出た。それにしても転倒後は意識せずにいたのだが、この時できた傷から黴菌が侵入して蜂窩織炎を引き起こし、更に、打ち身によってできたコブが化膿して痛みと腫れからの回復を遅れさせているのである。たかが転倒されど転倒で、転倒軽んずべからずというところだろうか。


<退けられた本日退院論>
鈴木先生は採血検査の結果について、「CRP値が3ポイント台に下がりましたが、1ポイント台に下がるまでは治療を続けなくちゃね。ぶり返すということがよくありますから。」と言われ、秘かに期待していた本日退院論は退けられることになった。「では、一時外出するってわけには?」と問うと、「それは構いませんよ」とのお答え。しかし待てよ、特別な手続きをとって一時外出し、痛い足を引きずって会場にたどり着いて座に就いたとしても、逆に皆さんの歓談の興を妨げることになるのではないかと今度は自問。今回は残念ながら欠席と自答し、栗田兄に電話して幹事役を務めてくれるよう確認連絡を行った。
                                       2018/1/26(木)


<野菜高騰の陰で工夫された食事メニュー>
今日の朝食のメニューは、後でチェックしてみたところ、ご飯に、大根と牛肉の炒り煮、納豆、果物(黄桃)となっていた。久しぶりに納豆。しかし、キャベツは価格高騰につき情けないサラダ姿に…と思いきや、最後の一皿はキャベツではなかった。「ん?ん?なんだコイツは?」と思ったが、すぐに納豆の薬味のネギだと分かった。ネギのサラダを食べるとは妙な体験をしたものだ。昼食は、ご飯に、鶏肉のトマトソース、茄子の生姜炒め、辛し和え。葉物野菜の価格が高騰しているのにもかかわらず辛し和えとはと感動していたが、それは小松菜でもホウレン草でもない別の葉物野菜であった。お食事担当のどなたかが青果市場に出向いて、高騰野菜の隙間を狙って買い込んでこられるのだろうか。
                                       2018/1/27(金)
<病院にお祈りなんて!?>
深夜点滴注射作業に来られた看護師さんがえらく時間をかけて、新しい点滴注射針の設定に苦労している。しばらくして、「うん、これで大丈夫きっと、ね?」と声をかけてきたが、「ね?」と言われたって、こちとら分かんねえよ。「うん、大丈夫、これで」と作業を確認してから、「あとはお祈りして」というものだから、「病院にお祈りなんてあるの?」と応ずると、朗らかにカラコロ笑った。朝4時に再び点滴作業に現れた彼女、今度は手際よく設置できた様子なので、「今度はお祈りはいらないの?」と声をかけると、「あ、そうそう」と言いながら点滴袋に向かって手を合わせお祈りの真似をしていた。その彼女、8時過ぎに今度は給食係で現れて、「まずい物ばかりですがどうぞ」と膳を渡す。「いつも美味しくいただいているのに」と言うと、窓際並びのベッドの方を指さしながら、「だって、こちらさんなんか、‴マズイ物だらけだ‴とか‴地獄だ‴なんておっしゃるんですから」とスネて見せた。私がトイレに立つ時にもお隣さんとやりとりしていたが、彼女は「いつもこうなんですよ」とポツリ。「でも、結構仲が良いんじゃないの」と言うと、「そうかなあ」と、それでも少し嬉しそうにしていた。お爺さんと孫のような関係の、親しいが故の遠慮のないやりとりが交わされていて、それぞれがそれをそれとなく楽しんでいるように見える。


<出席メンバーにメッセージ>
本日の駒場寮OB会は残念ながら欠席ということにして、昨日スマホにて、栗田信治兄に出席者各位に対するメッセージを、栗田兄からの携帯メール・アドレス宛のメールに対するメール返信の形で送っておいた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
皆さんお久しぶりです。前回、重信さんと那須さんがアレンジして下さって以来何年経ったことでしょう。「ご恩返しに次回は私がアレンジを」と言っておきながら、こんなに長い月日が経ってしまいました。
新年早々に重信さんの奥さんから受けた訃報は大衝撃でした。昨年末に本日の件でお電話した時には、辛そうな状態でしたが、「花の咲く頃には」という一言があったので心強く思っていたからです。重信さんにご恩返しできなかったのが慙愧の極みです。今回お集まりの皆さんにも大変申し訳のないことをしてしまいました。私が幹事役を怠けていなかったなら、重信さんを加えた輪が出来上がっていたからです。
こんな怠け者の私に天罰が下りました。ちょうど1週間前の土曜日に左足に激痛が走り、歩けなくなってしまいました。明くる日曜日に藤沢湘南台病院を訪れたのですが、蜂窩織炎の診断で即入院の勧告がなされました。全く思いがけないことでしたが、放置すると左足が壊死してしまうとの話もありましたのでそのまま入院。1日4回の点滴を施して本日に備えたのですが、やんぬるかな、回復状況は残念ながら80パーセント。とても歩き続けられる状態になっていません。 どうぞ私の分まで、重信さんのご逝去をお悼みするとともに、古きよき日の駒場をご回顧ください。本日皆さんが良き時を過ごされましたなら、奥方様も今は亡き重信さん共々お喜びになられることと思います。

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事後の栗田兄からのメールによると、出席者は栗田、秋吉、安藤の38年卒組3名と、那須、二橋の39年卒組2名の計5名で、38年卒組の植田兄はドタキャンだったという。那須さんは重信さん追悼談をして献杯の音頭をとってくれたことと思うが、それぞれどんな追悼談をしていたのだろうか。 報告できる内容があれば、未亡人となられた重信文子さんにご報告したいと思う。


<嬉しいお見舞い品の到来>
ところで、お昼ごろ、「届けものです」ということで日本郵政スマートレターが届けられた。城山中学・小田原高校同期生でメール仲間の中澤秀夫兄(通称:吹き矢君)が贈ってくれたもので、石井遊佳著の「百年泥」。芥川賞受賞作品で、日本語教育体験談とインド事情が書かれているので、早速興味深く読み始めていたのだが、とんでもないフィクションが含まれていることに気が付きビックリ。いずれにしても、どこまでがrealityでどこからがfictionなのか、また、著者が主張する論点はどこにあるのか分かりにくい本である。芥川賞選定委員はどなたで、どのような評価尺度を持たれているのか分からないが、読書に集中して有効な時間つぶしをすることができた。こんな贈り物をしてくれる中澤秀夫兄に感謝するとともに、自分もお見舞いをする時には見習わなければと思う。
                                       2018/1/27(土)


<絵にも描けない美しさ>
今日も日の出ショーを見てきた。別に信仰心があるわけではないが、日の出の光景に出遭うだけで崇高な気持ちになれるのは何故だろう。地平線に近い空の茜色が徐々に濃くなってくると顔を出すキラリ感。そして、ゆっくり昇ってくる中で、赤が橙、そして黄色へと変化していく火の玉。この輝きは、どんな絵の具を使っても表現できない。まさに、絵にも描けない美しさだ。「月の錯視」という言葉を思い出した。「同じ大きさなのに横で見ると大きく見え、上方に見ると小さく見える」という話で、日の出の際には太陽が大きく見えるので、それだけ強く日の出が私たちに語り掛けてくるのだろう。
一方のサイドの富士山は、今日は少し後方に霞んでいるように見える。しかし、穏やかに聳えて静かな背景をなしている姿は、さすが「不二の自負」。これは山中湖に写る逆さ富士を描写した木版画に付けたタイトルだが、自分では結構気に入っている。こうして見ていると「みんな二人といない(不二)身なのだから、それなりの自負をもって生きていこうよ」と富士が教えてくれているような気がする。


<抗生物質の専門家が見舞いに>
昨日は義弟のミッチャン(千代道行さん)が辻堂の我が家に泊まりに来てくれた。私が入院中だと知ると、来宅を遠慮されるに決まっている謙虚なお人柄なので、入院談はオフリミットにしていた。辻堂宅について私の不在を知り驚かれたことと思う。しかし、子供5人のうちの末っ子のミッチャンと、すぐその上のカミ様なので、小さいころから仲が良く、昨日も水入らずの語り合いを楽しめたことだろう。今朝も、電話してもなかなかでなかったが、カミ様によると、「話に夢中になっていて受信音に気づかなかった」とのことであった。
10時少し前に、そのミッチャンがカミ様とともに見舞いに来てくれたので、食堂にて懇談した。武田薬品の開発部門に勤めていただけあって、患部を見て気楽に触診し、「これは慎重に対処された方がいいですよ」と述べた。実は、小田原城山テニスコートの石段で転んだ(1/14)際に段の角で強く打撲していた箇所が打ち身として残っていて、この箇所だけが頑丈で固く固まり赤色濃厚なので、「なあに、退院して、自宅で抗生物質を引き続き飲めばそのうち治るでしょ」と例のようにノー天気に言うと、「抗生物質が効果があるのは1週間限りと言われています。そのうちに黄色ブドウ状球菌が抗生物質に耐えられるようになったりして勢いを持ち直してくることがあります。しかも服用薬だとすると、胃腸を通して患部に達するので…」と心配顔。その時、10時の定期点滴を告げる看護師さんが来てくれたので、3人揃って508号室にバック。一通り点滴のセットができたところで「ほらミッチャン、これが問題の点滴袋」と指さすと、ミッチャン近づいてみて「あつ、ずいぶん古い薬使ってますね。私の現役時代からあるヤツですよ。」と言ってから「製造会社は…、タケダでは…」と元タケダの研究員らしく詳しいことを述べていた。「いずれにしても十分注意してください」と告げてから、カミ様運転のN Wagonで湘南台駅へ向け退出していった。


<病床からの‴横綱審議‴>
大相撲は平幕の栃ノ心が優勝した。入院前(1/20)までは、横綱・鶴竜と関脇・御嶽海らが全勝で優勝を争うものと見られていたが、入院後3日目にベッドサイドの有料テレビを見てみると、鶴竜のみが全勝という面白くない展開に一変していた。しかし、鶴竜は10連勝してから3連敗。この間、1敗を保ってきた栃ノ心に昨日逆転されてしまった。怪我をして一度は幕下下 位まで転落していた栃ノ心が幕内最高優勝したのはおめでたい限りだが、今後横綱陣がどうなるか心配。鶴竜は今日も大関・高安に敗れ4連敗になってしまった。やはり、白鵬が立ち直れるかどうかが今後の鍵となりそうだ。横綱審議委員会の北村正任委員長から、その「張り差し」と「かち上げ」は「美しくない/見たくない」と指摘された白鵬が、休場前の取組みで立ち合いに迷っていたのは事実。白鵬は、「張り差し」「かち上げ」ともにルール違反に非ずと考え、ここに寄る年波による体力低下を覆う活路を見出していたのかもしれない。白鵬が、格下の相手が自分に仕掛けてこない「張り差し」を一方的に用いるのは不当だと私も思っていた。白鵬の「かち上げ」も‴危険な‴技なのかもしれない。しかし、なぜ今頃になって日馬富士の貴ノ岩殴打事件に乗ずるような形で、しかも、本来なら相撲協会が自ら禁じ手の問題として取り扱うべきところなのに、横綱審議委員から物言いがつくのだろう。ここにも、「白鵬を頂点とするモンゴル力士勢に物言えぬ相撲協会」の実態が表れているような気がする。テレビ観戦してからヒマにあかせて考えているうちに、貴乃花親方がなぜ相撲協会に対して不信感を持っているのか分かるような気がしてきた。


<ついでに病床からの‴評議委員会評議‴も>
スマホでは、投稿者が自ら撮影・編集した動画データYouTubeを見ることもできる。眠れぬまま貴乃花親方について検索していたところ、「日本相撲協会の八角理事長は現役時代、横綱・北勝海として、同部屋(九重部屋)の横綱・千代の富士からの‴星回し‴で8回優勝している。ガチンコ相撲を取ってきた貴乃花には、そんな八角理事長が許せるわけがない。」という旨述べているYouTubeと出遭った。‴星回し‴という言葉は初めて聞いたが、例えば、千代の富士が対戦力士に譲った‴星‴が、その力士から北勝海に‴回って‴来るという仕組みだそうだ。そういえば、北勝海が千代の富士と争って優勝をかちえたケースがないので、大いにあり得る話だと思った。そして、‴星回し力士群‴が、今や3横綱を擁していたモンゴル力士グループに移行していたのではないかとも思われる。日馬富士の貴ノ岩に対する殴打ぶりは、とても先輩力士による教育指導のための往復ビンタの域におさまるものではなく、相当に強い怒りの気持ちが込められていたものと見える。ガチンコ親方の弟子の貴ノ岩が場違いの‴星回し力士群の集い‴に参加して、その利益に反するような態度を示したことが日馬富士の激高を呼んだのではないだろうか。「評議委員会」なるものがあるということも初めて知ったが、ここでは「貴乃花親方は礼を失した」という理由で貴乃花理事の解任を決定している。スマホで「相撲協会」を検索してみると、その組織図を見ることができるが、評議委員会も横綱審議委員会も諮問機関の類のようであり、誰またはどの組織に対して報告義務を負っているのか定かにされていない。もともと、評議委員会の池坊保子委員長にしても、横綱審議委員会の北村正任委員長にしても、その評議能力や横綱審議能力は誰が評価しているのだろうか。誰に選ばれたのか分からなような御仁が素人っぽい見解を述べていても不愉快に聞こえるだけである。病床でスマホをいじっているうちに新事実が分かるとともに大相撲の将来が一層心配になってきた。
                                      2018/1/28(日)


<夜勤に奮闘する看護師さん>
6:00amの採血に来てくれた看護師さんに「少しは眠れた?」と聞くと、「ええ、でも…」という返事。 更に「3人で担当しているんでしょ?」と問うと「ええ、1人が休んでいて2人が勤務という形です」とのこと。髪型もお化粧もきちんとしたままだから、恐らく熟睡はしていないのだろう。5階は501号室から524号室まであって、看護師さん休憩室などの非病室や1人部屋などもあるから、およそ全員で60名ほどの患者の面倒を見なければならないのだから大変な仕事だ。「夜勤は月何回あるの?」と聞くと「さあ、3-4回かな。でも、6回ということもありましたよ」とのことであった。手押し車に積んだPCに、それぞれの医師からの指示事項が分かりやすく書かれているようだ。


<徳洲会病院を凌ぐ医療技術>
今日は地平線上に幅広い雲がかかっているので日の出はしばらくお休み状態。毎朝来られている女性患者と会話していると、辻堂駅南口から極近にお住まいだと分かった。ご主人と娘さんと3人で暮れに北海道のトマムにスキーに行っていて、大晦日に骨折して元日に1人‴強制送還‴されたらしい。こちらが明日か明後日に退院だというのに来週からリハビリだというのでまだ時間がかかりそうでお気の毒だが、当方と同様「遊びの上での災い」。なんとなくいつもの受け答えが明るい理由が初めてわかった。この女性患者、徳洲会病院に日を重ねて受診に行ったが、結局は「当病院では対応できず」とのことでこちらを選んで入院されたらしい。徳洲会病院と言えば各地に拠点を置く、相応に医療技術レベルの高い総合病院とみられている。その徳洲会病院を凌ぐ医療技術がこの藤沢湘南台病院にはあるということなのだろうか。


<退院後週の通院治療方針決定>
点滴を1日4回続けてきたお陰で、懸案のCRP定量が一時13.65あったところが1.0台に下落したので、いよいよ明日退院ということになった。鈴木先生はこのことを告げてから、「退院後週1-2回は通院治療してください。」と言われたので、「辻堂から受信に来るのは時間がかかるので近くの医院を紹介してほしい」と頼むと「こちらも今後の状態が心配ですから、少なくとも直後の2-3回はこちらに来てほしい」とのことであった。退院後には、点滴注射に代わって内服薬を使うとのこと。そこで、ミッチャンから仕入れていた知識をもとに、「同じ薬剤を使うのですか。昨日訪れてきた見舞い客はタケダの研究開発部門に勤めていたのですが、“同じ点滴剤が有効なのは1週間以内”と言っていました。どうなんでしょう?」と持ち掛けたが、タケダの名前にビックリされながらも、「そういうお話は初めて聞きました。治療実績も豊かですので、ともかく、同じ点滴薬で継続治療してみましょう」ということになった。
話が終わってから鈴木先生に昨日のお休みの過ごし方について聞いてみると「家族サービスです」と答えられ、更に「お子さんはおいくつですか」と問うと「まだ3歳です」と答えられたので「じゃ、とっても可愛いでしょ?」というと、とても嬉しそうに頷かれていた。


<行き届いている‴We‴の意識>
10時の点滴の際に看護師さんが「明日は10時から退院の準備をして下さい」と言うので「貴女は、明日はお休みでしょ。じゃ、これが最後ですね。色々お世話になりました。」と早目の挨拶をすると、「いえ、明日は午後の勤務です。でも‴私たち‴が来て、ご退院に落ち度がないよう致しますので。」と、見事、「他の者(They)が来ますので」ではなく‴We‴の言葉を使って答えてくれた。「この仕事は私たち全員が果たすべきもの」とする「Weの意識」が浸透しているんだなと感じられ、より一層頼もしく思えた。そして、昨夜からの落ち度ない看護ぶりに感謝の言葉を申し上げると、「退院後もお大事に。もう病院ではお会いしないようにしましょう」と明るく言葉を返してきた。
午後、カミ様が来院してからも、この看護師さんは明日の手順について懇切丁寧に説明してくれた。「ね、親切だろ?その上‴また来てください‴なんていわれるんだよ。」とカミ様に冗談で言ったところ真顔で、「いいえ、病院でお会いするなら元気になられてからと申し上げたんですよ」と答えていた。色々な個性のあるスタッフとお付き合いさせていただいたが、最後の段階で、親切でやさしく、きちんとしていて、(マスクをしているので分からないが多分)綺麗な看護師さんと出遭えたのはラッキーなことであった。
                                       2018/1/29(月)
<「和楽」をお土産に>
例のように日の出を見るために車椅子を動かしていたところ、1人部屋だったところのドアが開けはなれていて、誰もいなくなっているのに気が付いた。どうされたのだろう、ここにおられた患者さんは?ことによると、看護師さんたちは、人に言えないような悲劇的なシーンに立ち会っているのかもしれない。
最後の最後ということで、カミ様に頼んで我が愛用カメラFinePixを昨日持ってきてもらっていたのだが、雲の幕が高く、ようやく太陽が顔をのぞかせてくれるまでに大分時間がかかった。引き返して富士山をと思ったが今日は完璧な雲隠れ。大山を撮るだけで終わってしまった。しかし、辻堂駅近くにお住いの女性患者が今日もご一緒で話題に花が咲いた。「お嬢さんも東京にお勤めなんですか?」の問いには「いえ、まだ中学生で白百合に通っています。」とのこと。子供を藤沢市立の小中学校に通わせていたこちらとは違って、ハイブローな生活をされているようだ。しかし、辻堂駅南口周辺にハクビシンやアライグマが出没しているというのは初耳であった。
最後のご挨拶にという感覚で富士山に会いに行ったが雲のかなたにお隠れになっていた。代りに壁に「和楽」という書がかけられているのを見つけた。矢島某さんという人が書かれたようだが「和するところ必ず楽あり」という添え書きがあった。そうか、自ら「和する」ところが必要なんだ。じゃ、「和する」って一体何なのだ。「戦いの心を抱かない」というのが前提にありそうだ。「和楽」をお土産に持ち帰って、今後の生きざまに活かしていきたいと思う。


<さていざ退院>
退院日につき、カミ様が来院して、病床周辺の整理整頓を手伝ってくれた。11日ぶりにズボンに履き替えようとしたところ、ベルトが更に窮屈になってしまっているのに気が付いてビックリ。入院に当って、カミ様が「これで減量できるわ」と喜んでいたように、「粗末な病人食」を食べていれば痩せられる筈なのだが、毎日出される食事は決して「粗末な病人食」ではなかった。合計500人以上に給食しているはずなのだが、献立をこらして手をかけて調理されている。若かりし頃多年を過ごした東芝独身寮でよく出されていた揚げ物はついに一度もなし。結構食事を楽しんでいたせいか、逆に体重が増えてしまったような気がする。収穫は禁酒を10日間続けてきていること。現在はまだ左足に軽い痛みがあるので、通院診断の結果OKが出るまでは、もうしばらく禁酒を続けてみようかと思う。
さていざ退院。お世話になった308号及び508号室の皆さんだけでなく、厨房で働かれている皆さんにもお礼のご挨拶をしたかったのだが、退院手続きは事務的に進んで、すぐにカミ様運転のN Wagonに乗り込んで帰宅することになった。


<市立でなくて私立だった>
N Wagonが今走っているのは、藤沢湘南台病院最寄りの小田急線長後駅から更に南下した湘南台地区。来る時には足の痛さに耐えかねて見ることもできなかったのだが、改めて見てみると、中高層ビルの集積度は藤沢駅周辺に負けず劣らずで、なかなかの街並みである。私はかつて「辻堂市」を独立させたいと願っていたのだが、ここには企業も多数立地しているので「湘南台市」の方が、大分分が良さそうだ。「良いじゃない、藤沢市民病院と並ぶ藤沢湘南台病院もあってさ」と“湘南台市構想” を口にしたところ、カミ様から、「藤沢湘南台病院の方は私立ですよ」と諭された。以前に「郵政民営化が改革の本丸だ」などと言語明瞭意味不明の事柄を述べていた総理大臣がいたが、組織が活性化するかどうかは、官営・民営の差ではなくて、顧客満足度極大化を目指す経営方針が貫かれていて、そこに参加する組織メンバーがWeの意識を持つかどうかによるものだろう。郵政だけでなくJRや道路会社各社も民営の形はとっているものの顧客満足度極大化を目指しているようには見えない。もって藤沢湘南台病院を見習うべしと言いたいところである。
                                      2018/1/30(火)