ちょっと発表


「日本人として生きる」誇りを

2018/06/22  3組 佐々木 洋

今日は6月15日。58年前(1960年)のこの日、私は安保反対デモに加わって南大門から国会構内に入っていました。当時はゲバ棒もなく、私たちはひたすらスクラムを組んで、国会全体に響けよとばかり「安保反対」のシュプレヒコールを叫び精一杯頑張っていたのですが、ついに機動隊による前と左右の三方からの圧力を受けて後退し”狭き門”から絞り出されるような形になりました。直線状のスクラムラインがV字形になって後退するのですからスクラムラインも断ち切られ、圧力で胸部が圧迫され脚元も浮足状態。その時のデモ隊員のもがき苦しむ様は尋常なものではありませんでした。亡くなった樺美智子さんはすぐ近くにいたものと思われます。

当時の学生、そして日本国民にも、日本の将来を真剣に考え、不本意な現状に対して大いに「怒る」ところがありました。右の報道写真のように、連日大規模なデモ隊が国会を取り巻き、「安保反対」の声を発していました。こんな時に首相官邸にいて、漏れ聞こえてくるデモ隊のシュプレヒコールを聞いて、時の宰相であった岸信介おじいちゃんに「アンポって何?」と問いを発したのが安倍晋三少年でした。そこで「アンポって、日本がアメリカに守ってもらうということだよ」と教わって以来、安倍晋三は「アメリカこそ正義」という考えに凝り固まってしまったようです。しかし、55年経った現在、多くの日本人も同様に、日本の将来を真剣に考えることをやめ、いたずらに米国追随に走って、外交政策の上で少しも「日本らしさ」を見せようとしない総理大臣に向ける「怒り」の気持ちをなくしてしまったように見えます。安倍首相をはじめとする「戦争を知らない子供たち」が人口構成上日本の主流を占めるようになったせいでしょうか。
近年「現在の憲法は押し付けられた憲法だ」という論議が盛んになってきましたが、戦争の悲惨さを心底あじあわされた日本人にとって、不戦を誓う平和憲法はまさに天から授かった贈り物であり、「喜んで受け入れられた」ものでした。歴代の総理大臣も、これも「戦争を知らない」小泉純一郎首相が初めて公言するまで、国民から反発されるのを恐れ「憲法改定」を公言することを差し控えていました。日米安全保障条約締結に反対する「怒り」の気持ちの裏には「平和憲法が度外視されている」という思いがあり、「将来的には日本人が‴銃をもって戦場に立たざるを得なくなる‴」という恐れがあったのですが、今や「憲法改定」が政治の現実課題となっています。 新聞をはじめとするマスメディアの論調も、1960年安保闘争末期より急激に政府支援側に回っており、国民とともに日本の将来を真剣に考えて「怒る」という姿勢を捨てています。本当の「改正」ならば反対するところはないのですが、「憲法‴改正‴問題」と報じているところにも日本のマスメディアの姿が写し出されています。

国連に多額な資金を拠出していながら「日本」の名が浮かび上がってこなかった時代に、当時小泉内閣で内閣総理大臣外交顧問を務めていた岡本行夫さんが「日本に対する”Show the flag.”の掛け声が国際的に高まっている」という論を吐き小泉首相らの支持を得ていました。亡くなった大橋巨泉さんは、「週刊現代」のコラムで、地道な現地実証した結果を踏まえて「岡本説は虚偽であり、”Show the flag.”の掛け声は国際的にどこからも挙がっていない。」と繰り返して述べておられました。広告収入に依存するところが少ない「週刊現代」だからこそ、大企業筋からの広告収入に依存している大方のマスメディアにはできない政府批判ができたのでしょうか。しかし、小泉純一郎は真偽の程もわきまえず闇雲に”Show the flag.”を実行するに至りました。

米国の大統領ジョージ・ブッシュが大義名分なきイラク武力攻撃を始めた時に、真っ先にこれを支持し、次いで自衛隊をサマーワに派遣しました。「人道支援」とはいうものの、迷彩服を着、銃を携えてのイラク上陸だったのですから、アメリカ軍に対する援軍と見られても仕方がありません。事実、「平和憲法を擁する不戦の国」として日本が高めてきた信望が一気に失われ、日本人はイラクの反政府主義者(小泉首相はこれを一括して安易に‴テロリスト"と称していました)からも敵視されることになりました。大義名分なきイラク武力攻撃を仕掛けるアメリカを支援して、日本人を実質的に「銃を持たせて線上に立たせた」罪は万死に値するのですが、大方のマスメディアからの批判はなし。逆にサマーワに派遣された自衛隊の功績が認められて、その隊長が国会議員に選ばれているのですから、ずいぶん妙な国になったものだと思います。

小泉首相が、よく口にしていた「カイカク」とは一体何だったのでしょうか。「改革」となれば相応の技術や理論武装が必要なのですが、小泉さんが「改革の本丸」と称していた郵政の民営化には改革らしいところがあったのでしょうか。企業の所有形態が国営から民営に変わったところで、日本の経済・社会体制に大きな影響力を及ぼす「改革」が実現するはずがありません。しかし、マスメディアも小泉さんのカイカク論の曖昧さについて批判することなく、日本国民もこれに「怒り」の気持ちを示さなかったのですから、日本は本当に妙な国になったものだと思いました。

広島市にある原爆死没者慰霊塔には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という添え書きがあります。この「過ち」を犯したのは誰だったのか。米国国内では、自国が広島と長崎に原爆を投下したことに対する罪悪感があまり高くないようですが、いつの間にか日本でも「正義の国アメリカが核兵器を持つことは正義なのだ」という論法が罷り通るようになってきました。閣僚なども「日本はアメリカの核兵器の傘で守られている」と公言しているのですから、日本が核兵器禁止条約にサインできるはずがありません。この米国一辺倒の姿勢が北朝鮮の核開発問題に向けても露骨に露呈されていましたね。唯一の原爆被爆国として、唯一の原爆投下国であり最大の核兵器保有国でもアメリカに対しては一言も発さず、もっぱらアメリカの尻馬に乗って北朝鮮に核兵器の廃絶を迫る姿勢をとり続けてきました。

アメリカ大統領ジョージ・ブッシュは、イラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」呼ばわりをしていました。金正恩が北朝鮮の最高指導者の地位を継承した時に真っ先に憂慮したのが、イラクと同じようにアメリカからの大義名分なき武力行使にさらされ、自らもサダム・フセインと同じ道を辿ることだったとしても不思議ではありません。「アメリカ本土を攻撃できる核兵器とミサイルの開発」は北朝鮮を守るための必須手段だったのです。従って、北朝鮮の標的は米国であって、日本は攻撃する価値がない存在だったのですが、安倍首相は日本国民の北朝鮮に対する恐怖感を煽り立て、財政存亡の折、防衛費の増額を推し進め、「北朝鮮に対しては圧力あるのみ」と唱える姿勢をとり続けてきました。これに対して、韓国の文在寅大統領は、先ずは北朝鮮に対して親和的な態度を示し、アメリカとの間の仲立ちに立って、北朝鮮の安全保障について根拠を得ることによって、「歴史的な米朝首脳初会談」を導きました。 米国追随の姿勢を取り続けてきたものの、米国のトランプ大統領が「私は、もう最大限の圧力という言葉を使いたくない」と言うようになった時点になっても「圧力維持」の言葉しか発しない安倍首相は国際的にも妙な存在になってしまいました。

米朝首脳会談開催の段取りが整うに当たって、安倍首相が訪米して、日本人拉致問題を確実に首脳会談で取り上げるよう要請したのは実にミットモナイことでした。拉致問題は日本にとって第一優先課題ですが、米朝首脳会談で論ずべき問題ではなく、日本が直接北朝鮮に対して働きかけるべき問題だからです。小泉首相が締結してきた平壌宣言には拉致のラの字も入っていませんでした。日本側が平壌宣言に“拉致”の文字を加えようと主張したところ、北朝鮮側が“植民地時代の精算”を強く主張して日本がこれに同意しなかったからなのです。小泉さんが妥協して5人の拉致被害者の帰還だけで良しとして幕引きしまった形ですから、北朝鮮側にしてみれば「拉致問題は解決済み」となるわけです。一方的に「悪」の枢軸扱いにして敵視してきた米国にも「正義ならざる点」があるのですから、盲目的に米国に追随してきた日本の姿勢も反省し、先ずは北朝鮮に対して親和的な態度を示し、北朝鮮側が望む“植民地時代の精算”も含めた会談を行う必要があります。

経済成長力ナンバーワンを誇っていたころには、「日本人として生きる」ことに誇りを感ずることができました。しかし、日本の世界経済に占める位置が低下するとともに、平和憲法の乱用によって日本は本来持っていたオンリーワンとしての「不戦国」としての評価も親近感も失ってしまいました。若い人々に「日本人として生きる」ことに誇りをもってもらうためには、やはり平和憲法の精神に戻り、日本ならではの国際感をもって世界に「不戦」を呼びかけていくしかなさそうです。しかし、周囲には、日本の将来を真剣に考えようとしない「戦争を知らない子供たち」ばかり。マスメディアも批判精神を失っており、SNS(Social Network System)にも威力を発揮させがたい日本。なかなか活路が見つけにくいところですが、「核兵器持ってる国が、北朝鮮の核兵器を非難するっておかしいと思うわ」としたり、「安倍さんなんか大嫌い」と評したりする女性層が存外多く、広まっているのは事実のようです。政治問題をしても、寝ぼけたマスメディア論調の受け売りをすることしかしない爺様連中は今更矯正しようがありませんが、子や孫のために真剣に日本の将来を憂える女性の助けを借りて、若者層に「日本人として生きる」ことの誇りや価値を認識してもらうよう仕向けていくことにしようではありませんか。