ちょっと発表


防災のための行政体制欠く日本

2018/09/18  3組 佐々木 洋

<こんな大規模な地滑りは予測できなかったのだろうか>
 北海道厚真町の美しい緑の山並みを一気に峡谷地帯のような様相に変えてしまった震度7の地震の猛威には驚きましたね。「やはり、人間は自然災害の猛威には抗しがたいのか」と思う反面、「こんな大規模な地滑りは予測できなかったのだろうか」という思いが脳をかすめました。東京大の太田猛彦名誉教授(砂防学)は、厚真町の地盤が「火山灰や軽石に覆われており、振動に特に弱い状態だった」と指摘し、さらに、「現場は網の目状に発達した多くの谷の両側に急斜面があり、激しい揺れで次々と崩れたとみている。」と語られたそうではありませんか。どうして、このような基礎的な砂防学または地質学的な情報が、平素の宅地規制に生かされていなかったのでしょうか。神奈川県某市の博物館での講演会で地質学専門の講師が、「我々が地盤軟弱と規定している地域で宅地造成が盛んに行われている」とボヤいていた姿が思い出されます。

<行政に生かされていない砂防学・地質学的情報>
 また、厚真町が住民の避難先として定めた指定避難所8カ所のうち2カ所が土砂崩れで倒壊するなどし、避難所として機能しなかったそうですね。指定避難所は、地震や洪水などの災害で避難した住民を危険性がなくなるまで滞在させるための施設として、市町村長が指定するもので、市町村が作成する地域防災計画に基づいて定められているのだそうですが、市町村庁には災害を正確に予測できるだけの砂防学または地質学的な情報を持った専門家が配備されているように思えません。国土交通省では、土砂崩れによって厚真町で36人が亡くなったことに関して、兵庫県西宮市仁川百合野地区の地滑りで34人が死亡した阪神大震災(1995年)の際の災害の規模を上回る規模と発表しました。しかし、国土交通省はこのように災害の状況だけを把握したり発表したりしていれば良いというものではありません。「国土」に関する専門的な情報を市町村などに伝えて行政に生かし、住民が受ける自然災害を最小限にとどめる必要があります。


<孤立している「国土」に関する専門的な情報>
 先の西日本豪雨の際にも、倉敷市吉備町は先に作製されていた「洪水・土砂災害ハザードマップ」で想定されている通りの浸水状態になったのですが、災害が起こるまでの間この被災地区で、危険情報が当事者間に受け渡されることなく、建築確認の申請がなされ、易易として建築確認が下されてきたものと思われます。タンカーが漂流して連絡橋が破損して問題を起こした関西国際空港でも、国土交通省海上保安庁が停泊しないよう呼びかけていた空港周辺の海域に、タンカー以外にも少なくとも10隻の船が停泊していたそうではありませんか。国土交通省は道路の復旧や鉄道の運行再開に躍起になっていましたが、より一層大切なことは、「国土」に関する専門的な情報を防災につなげる行政体制を作るところあると思われます。


<日本市民は自然災害から守る行政体制に恵まれていない>
 北海道地震関係で最初に報道陣と対応したのが菅義偉内閣官房長官だったということが、いみじくも「日本市民は自然災害から守る行政体制に恵まれていない」という実態を物語っているように思えました。この場面での内閣官房長官はスポークスマンに過ぎず、「防災」という役割機能を与えられていないからです。次いで、世耕弘成経済産業大臣が、報道陣の差し出すマイクの前に現れて、北海道電力の復旧予定を語り、北海道民に節電の呼びかけを行っていた時には「おいおい、それは経済産業大臣のする仕事なのかよ」と言いたくなってしまいました。災害による停電事故は過去にも何回も起きていますが、多くは配電系統の破壊によるもので、今回の発電所自体の機能停止によるものは例外的と言って良いでしょう。経済産業大臣としては何より、北海道電力発電所の地震対応能力の脆弱さを解消させるとともに、過剰集中している発電基地の発電能力を分散させる方策の企画を推進することの方に歩を選ぶ必要があります。


<一見防ぎようがなく見える自然災害が例年起こる>
 安倍首相は例の如く「すべての大臣が防災担当」などと綺麗ごとを言っていますが、現状はかくの通りで「防災」の観点で話をする大臣は一人もいません。この人も安倍晋三と同様、優れた経済観や歴史観の持ち主ではないので言うことに限界があるのですが、自民党総裁選挙に当って「防災省の設置」を訴求した石破茂氏の方が見どころがあります。安倍首相は、今回も被災者の見舞いに出かけましたが、被災者を前にした自分の胸に防災行政体制を不備のままにしていることに対する悔恨の念があったかどうか。もちろん、救いようがない自然災害はあるものの、行政の手抜きによる人為的災害がかなりあるのも事実のようです。「防災」を意識した行政組織が出来上がって、そこに大幅に財政投資がシフトしていかなければ、一見防ぎようがなく見える自然災害が例年起こるというデタラメな状態が続くことになるでしょう。


<デタラメな行政がもたらすデタラメ状態>
 東京都は存外強力な地下壕ネットと貯水施設を建設していて、相応の自然災害に対する抵抗力の強さを示しています。これは舛添要一や小池百合子の貧しい政治力と裏腹に豊かな財政力があるからです。私たちの場合を考えてみても、小田原高校を卒業するまでは、小田原市や神奈川県の税収によって安全を守られ教育も受けてきていますが、就職するとなると東京都内の企業に勤める人が多くなります。そして、そこで働いた結果が事業税となって東京都の税収となるのですから、東京都には、例えば小田原市や神奈川県へ「ふるさと納税」する“義務”があるはずです。ところが現在のふるさと納税制度は、魅力的なお礼品を並べ立てる地方自治体から、故郷でもない地方自治体に任意で納税するのですから全くのデタラメとしか言いようがありません。まともな「ふるさと納税」が行われていたら、河川の堤防強化投資などに振り向けることもできるのでしょうが、古ぼけた社会インフラのまま自然災害に身を任せざるを得ない地方自治体が多くなる道理です。デタラメな行政の姿がただされるまでは、日本は「自然災害脆弱国」のまま過ぎていくことななるでしょう。