ちょっと発表


周回遅れの日本

3組  佐々木洋   

 安倍総理大臣は5月26日の緊急事態宣言解除の記者会見で「“日本ならではのやり方”で、わずか1か月半で、今回の新型コロナウィルスの流行をほぼ収束させることができました。まさに、“日本モデル”の力を示したと思います。」と述べていましたね。米紙ワシントン・ポスト(電子版)は5月25日、「“政府の指示”よりも、“要請・合意・社会的圧力”に基づく日本独特の封じ込め手法が奏功した」と報じていましたが、安倍首相や小池都知事にしてみたら、“要請・合意・社会的圧力”の意識高揚も自分たちが促進した結果なのだから「これぞ“政府の指示”によるもの」だと思っていることでしょうね。

 私の場合は、新型ウィルス禍回避のための外出規制の話が出だしてからも、私の生来の桜狩人の血は抑えがたく、3月19日には小田原のお堀端や入生田の長興山に“お忍び”の気分で花見に出かけていました。しかし、3月25日に東芝時代の友人がメールで送ってくれた「ドイツ国メルケル首相のコロナウィルスに関する国民向けメッセージ」を読んでから、“お忍び”の外出もピタリと止めました。メルケル首相は、新型コロナウィルス禍を「第二次世界大戦以来」の出来事と位置づけて、「個人的のみならず社会全体を害する」ものであるという意識をもつよう国民に訴求しています。その上で「研究者が新型コロナウィルスの治療薬とワクチンを発明するまでのあいだ時間稼ぎをする」ことしかなく、「それは“私たち”の行動に関わってきます」と述べ、「皆様、ご自愛ください、そして愛する人たちを守ってください。」と結んでいるのですから、やたら“権限”に対して反発する性向の強い私も「こりゃいかん、“お忍び”花見どころじゃないわい」と気を引き締めるようになったわけです。

 安倍首相にとって最も身近な国民であるはずの昭恵夫人も、3月15日に大分県の宇佐神宮を約50人の大集団と訪れた後、3月23日の夜には、10人以上の親しい人間やタレントたちを招いて、都内の会員制秘密レストランで「花見の会」を催していたそうではありませんか。“日本政府の指示による要請・合意・社会的圧力の意識高揚”が行われていたとは到底思えません。我らが同期生で健康管理意欲最先端と思われる山本哲照兄(7組)が「そろそろ自粛しようか?」というメールを送ってきたのも、コメディアン志村けんの新型コロナウィルス感染症による死去が伝えられた3月30日のことでした。その後、俳優の石田純一、阪神の藤波晋太郎投手の感染罹病、更に、俳優・タレントの岡江久美子の逝去(4月23日) が伝えられるに及んで、国民の大半も「他人事じゃないぞ」と意識しだしたのが“要請・合意・社会的圧力”につながったものと見られます。

 4月7日に緊急事態宣言が発令される前日にペルー在のオーストラリア人の友人からメールが送られてきました。てっきり、新型コロナウィルス禍のないペルーからのお見舞いレターだと思ったのですが、実は4週間も前から検疫のため自宅に足止めをされているという内容だったので驚きました。相当前から、厳しい外出規制を受けているオーストラリア在の長女からも「日本人はのんびりしているけど大丈夫なの」といういら立ちの感のこもった電話が何回もかかってきていました。安倍首相は、政府専用機を乗り回して世界各国の元首達に表敬訪問して回って、いっぱしの「外交に熱心な総理大臣」として人気を博しているように見えます。しかし、このような海外の有益な情報は一向に首相の耳に入ってきていないようです。かつて、海外から有益な情報を得ることによって世界をリードする位置まで上り詰めてていた日本ですが、海外諸国との情報交換を怠っているうちにすっかり“周回暮れの国”になってしまったようですね。

 メルケル首相は国民にあてたメッセージの冒頭に「首相である私と“連邦政府のすべての同僚たち”が導き出したことをお話ししたいと思います」と語っています。残念ながら安倍首相にはこのような発言をすることができません。「日本が繁栄しているのは優秀な官僚たちのお陰だ」と言われていましたが、これは伝統的な縦割り式官僚組織でも対応できる問題が主体だったころの話です。新型コロナウイルス対策のような横断的な問題に対して“日本政府のすべての官僚たちの力を結集する”ことはとてもできません。加藤勝信厚生労働大臣は、東京大学経済学部を卒業後1979年に大蔵省に入省した官僚経験者だけに、「厚生労働省がしてきたこと」をソツなく説明していますが、「自らが大臣として意思決定した事項」は何一つないように思えます。これも、各省庁とも、それぞれの事務次官のもとに「私と“省庁の同僚たち”」からの情報や提案が集まってくる仕組みになっているのですから仕方がないことです。安倍首相は通常から「担当大臣に指示しておきました」の一言だけでことが済んだと思って居られるようですが、各省庁の方は総理大臣の発する単発的な問題提起などは既にご承知で“忖度”して動いています。要は「末は博士か大臣か」というのは昔の話で、情報力に基づく問題提起能力の乏しい政治家大臣には官僚を動かせるだけの力がないのです。「日本では議院内閣制が形骸化している」ところに日本の“周回遅れ”の根因があるのではないでしょうか。

 緊急事態宣言に当たって特別措置法の制定担当者として西村康稔経済再生担当大臣が起用された時にも最初は「新型コロナウィルス問題は、厚生労働マターではなくて経済再生マターなのかいな!」とビックリしました。しかし、東京大学法学部を卒業して農林通産省に入省してから参議院議員になった旧友がかつて、「議員の連中みんな法案を書くことができないから、法案作成の仕事がみんなオレに回ってくるんだよな」と“得意そうに愚痴っていた”のを思い出して、1985年に東京大学法学部を卒業して通商産業省に入省したキャリアがあるだけに法案作成能力が買われての“非経済再生問題”アサインの人事だったのだなと合点が行きました。経済再生担当大臣とは言っても、他の省庁のように情報がトップの事務次官に向けて集中してくるピラミッド組織があるわけではありません。しかし、その分だけ、“配下にある”はずの官僚組織の知見にとらわれることなく、少しは大臣らしい言動がとれていたように思えます。

 調べなおしてみると、この西村康稔大臣は「新型コロナウィルス問題担当大臣」としても任命されていたようですね。しかし、“大臣を決めれば事済めり”とするのは安倍首相の悪癖中の悪癖。厚生労働省はもとより、関係省庁から新型コロナウィルス問題に対して問題意識と問題解決力のある官僚を常駐させるプロジェクト組織を設けて、その運営権限を新型コロナウィルス問題担当大臣に委ねるくらいのことをしなければ、メルケル首相並みに「首相である私と日本政府のすべての同僚たちが導き出した」問題解決策が得られるはずがありません。国民に対する「アベノマスク」提供も、日本政府の誰とも協議することなく」安倍首相が苦し紛れに思いついた問題解決策として打ち出したものなのでしょう。「一人2枚」かと思ったら「一所帯2枚」だったんですねえ。しかも、藤沢市在の我が家に送られてきたのは一昨日の6月4日。緊急事態宣言解除の後のことであり、緊急の用を果たさなかったことを示しています。なぜ「アベノマスク」の程度の施行の権限を、市町村の首長に委ねなかったのでしょうか。中央政府は、マスクの標準仕様を示し資金の国庫からの交付を担保さえしておけばよかったはずです。緊急に地元で製造されたマスクを市町村長名で支給されたら、住民のコロナウィルス問題対策への取り組み意識は一段と高揚されていたことと思います。安倍首相の頭の中には、「日本政府のすべての同僚たち」という意識が全くないのですが、都道府県知事、市町村長や地方公務員も新型コロナウィルス問題対策行政の当事者としては見られていないのでしょう。

 ところで、西村康稔新型コロナウィルス問題担当大臣の岳父は元衆議院議員の吹田愰氏、加藤勝信厚生労働大臣も農水大臣だった加藤六月の娘に婿入りし加藤に改姓しています。何のことはない、二世三世議員同然ではありませんか。問題意識と論理性に裏付けられた指導力の強さが評価されるのではなくて、父親ないし祖父が、中央官僚組織から地元の利権を引き出すことによって築き上げてきた3バン(地盤・看板・鞄)を世襲することによって選ばれた議員が主流を占めているのです。そこから、これまた問題意識と論理性に裏付けられた指導力の強さが評価されることなく大臣が選ばれるのですから議院内閣制が機能しないのは当然のことなのかもしれません。

 現金給付の方も「困窮世帯に30万円」の案が山口那津男公明党代表からの一言があっただけで「全国民一律1人10万円」に大転換したのですから、事前にしっかりとした協議がなされていなかったということが歴然としています。しかも「緊急に支給できる」よう10万円支給になったはずなのですが、申請書が藤沢市在の我が家に送られてきたのはこれも一昨日の6月4日。一定所得が保障されている私たち年金生活者はともかく、収入源により日銭のやりくりに困って支給を待ちかねている人がどれほど多いのかと気を揉んでいます。どうして緊急の支給ができなかったのでしょうか。別途転送されてきたドイツ在住の日本人科学者の手記には「メルケルの 3/18 の国民に向けた 20 分のメッセージ。彼女は淡々と述べました。しかし、その和訳を読んで私は大変感動した。伝えたいことが科学的、論理的で有り、国民の判断力を促す内容。民主主義の理念入力に従う政府の行動への理解を求めています。」と述べたうえで、ベルリンでは逸早く申請書が送られてきており、画面で提出した 2 日後には 60 万円(5 千ユーロ)の補償金が振り込まれてきたという実態を伝えています。補償の条件は「夫婦のどちらかが経済的影響を受けていない場合には申請できない」ということだそうですが、こんな条件なんか、日本でいうマイナンバーカード情報で簡単にチェックできるんでしょうね。いったい何のために作ったのか分からない“日本モデル”のマイナンバーカード制度にも周回遅れ現象が見られるようです。また、ここで「補償金」という言葉が使われていることも注目に値します。営業停止処分に伴う収益減退して、予め地方政府が「補償」する姿勢を見せていたのでしょう。これに対して我が方では「特別定額給付金」という訳の分からない表現が用いられていますね。

 無知な私は、別途送られてきた米国ジョンズ・ホプキンズ大学監修の文書を読んで「新型コロナウィルスが生物ではない」と知って驚きました。「空気中をウヨウヨと泳ぎ回っているのだから外出することは危険である」と恐れていたからです。また、感染者の口から新型コロナウィルスは空中を漂っているわけもなく、暫くすると地上に落下するわけですから、「①三密(密閉・密集・密接)の状態で鼻または口から直接吸引することと、➁屋外の地上に落ちている新型コロナウィルスを靴の裏に付けて屋内に持ち込むことさえ気を付ければよい」と思うようになりました。そして、日本には“土足”で居室に上がりこむ習慣がないから上記➁の形の蔓延は自動的に抑え込めるだろうが他の国ではエライことになると思っていました。そこへニューヨーク市での大蔓延が伝えられてきたものですから、あの高層集合住宅密集街では、誰ともわからぬ感染者がまき散らしたコロナィルスがフロア中に広がっているエレベーターでコロナィルスを付けたままの靴で居室に入れば、換気設備の影響でコロナィルスが空気中に舞い上がって大変なことになったのではないかと素人っぽく憶測していました。いずれにしても、日本人は“土足”を履き分ける綺麗好きな“古来の生活様式”のお陰で、“結果オーライ”で「新型コロナウィルスの流行をほぼ収束させることができた」のであって、周回遅れの「日本モデル」では収拾のつかない事態に陥る可能性があったわけです。

 かのドイツ在住の日本人科学者のメモには「ポピュリズムに乗り、“印象”だけでナチス党のヒットラーに投票した結果、いかに悲惨な戦争を経験したかを 70 年経った今も学校で議論し考え学ぶことで、より高度な民主主義実現を目指す若者が生まれている」という一節がありました。安倍首相も小池都知事も精一杯日本人ないし都民を守ろうとした姿勢が受けてその“印象”(人気)は一層高まることでしょう。しかし、背景に少しも論理性や知性のかけらも感じられないので、今後の日本の経済社会に禍根が残るのではないかと心配しています。例えば、“不要不急”となったはずの各省庁別予算の返済を求めることなく、60兆円にも及ぼうとする史上過去最大規模の新規国債発行によって新型コロナウィルス対策費に充当しようとしていますが、このことのよって日本の経済が過剰流動性による深刻なインフレーションに陥ることがないのでしょうか。また、日本の政治体制の周回遅れを矯正しないままでいたら、日本の政治体制は“ガラパゴス”呼ばわりされることになるでしょう。かくなるうえは頼みの綱は野党議員の皆さん。安倍首相の「桜を見る会」のような公金横領案件の実態追求は司法の専門家に任せて、議会での大切な議論を「議院内閣制のあり方」に収斂させて論理的に追及して、人気かぶれしている国民に分かりやすく提示してほしいものだと思います。